「Art's Report site/ZAKKAYA PARIS

戸田昭子「雑歌屋パリ」

vol.13

フランスの音楽学校事情と、楽譜の話です。

数年前に、音楽学校のシステムが変わりました。今までは毎年進級試験がありましたが、おおまかな4年ほどのサイクル制となり、試験はサイクルを終えることができるかどうか、という目的になったのです。つまり、試験は3年か4年に一度。進級は先生が見定めるということで、集団クラスのソルフェージュも同じです。

フランスでは、普通の学校には、特に音楽の授業がありません。一時間ほど歌ったりする時間を設けているところもありますが、譜読みの勉強は滅多にしません。
だから、楽譜が読める子というのは、たいてい音楽学校へいっている子です。
その場合でも、親が楽譜を読めない=宿題ができない=学校でわからないことがあったら、おちこぼれるだけ。一年間、一週間に1時間だけ、楽譜に触れても、なかなか頭には入らないものだからです。音楽学校をやめてしまう子もいます。

さて、楽器も同様に、4年に一度の試験とは・・・上がり症の人には、ほっとするやら、困るやら。毎年あれば人前で弾くことにも試験にも慣れてもいくはずでしょうが。
いちどは落第とやり直しが認められますが、2度目の失敗は、もう、落第が認められませんので、学校をやめるということになります。

「昔はこんな風じゃなかった。レベルも高かった」と嘆かれる先生は、年配の方です。
フランスのソルフェージュ教材が、良い例で、昔のものはきちんとしているし、中身も豊富な印象。現在出版される新しい教材は、すっきり見やすくはなっていますが、ずいぶん早く進むんだなあ、という印象もあり。
表面を大あわてでなぞっていくイメージでもあります。現在は「楽しく学ぶ」という言い訳ついでに、レベルが落ちている、と年配の方は言われます。一般の学校教育についても同じことが言えます。特に68年革命のあと、新しいタイプの親(?)が生まれ、あまり教育熱心ではないとか、いろんな歴史的背景を思わされます。

・世の中の変化〜楽譜、CD、DVD、映画、他のジャンルの音楽〜などです。

楽譜の変化

「昔と違う」といえば、いろいろ音楽では変わってしまったことがあります。
テレビ、CD、DVDの出現により、生のスペクタクルは観客を失いました。楽しみの少なかった昔には、労働者は、楽しみに出かける時間が少なかったでしょう。ラジオを聴いたかもしれない、音楽好きの家族に恵まれた人は、生の舞台やコンサートに足を運んだのでしょう。すでに大昔の話かもしれませんが、現在、50才代の方に話を伺うと、「親がオペレッタに連れて行ってくれた」という方もあるのです。そんな風に、「生の」音楽が、現在より、身近にあったような想像をしています。

それは楽譜出版にも、現れています。ユーロの前の前の「旧フラン」が単位だった頃、その時代には、オペラのアリアの「メロディーだけのピース譜」といものが売られていたのです。たとえばカルメンの「ハバネラ」の「メロディーだけ」、オッフェンバッハのオペレッタのアリアだけ、という具合に。今も中古で見つかります。現在は、曲集ばかりが出版され、値段も高いです。(旧フランの感覚がわからないので、当時のピース譜の値打ちはわかりませんが)ピース楽譜もありますが、ピアノパートまでついて、数枚でも、大変値段が高いのです。8ページで10ユーロは簡単にいきます。
ジャンルが違いますが、2ページのシャンソンの楽譜、6ユーロです。(コラヴォケールの歌った曲で、昔の表紙のままです)

なぜそんなことを書くかというと

現在のフランス出版の楽譜が高いのです。日本人のように楽譜に慣れていないフランス人が、楽譜を買っても読めないので使えません。大人相手の音楽学校であっても、熱心な人でなければ、読めないものに20ユーロも出す気が出なくても当たり前でしょう。すると、「コピーしよう」という話になります。

さて、その「コピー使用」は、個人の使用以外は禁止です。

楽器の勉強の人はまだ良いのです。ピアノなら、何ページもあり、弾きがいもあります。
ヴァイオリンや管楽器なら、楽譜は、楽器用のパート譜と、ピアノ伴奏譜が、自動的にわかれて作品別に出版されています。しかし、歌の場合は、ちがいます。昔は「パート譜」があったのに、今は、ピアノ伴奏譜つきのものが、どんとのっかっているだけ。私はレッスンで伴奏もします。譜めくりもします。でも、本来は、歌のレッスンをしています。だから、手が数本たりません。譜面の読める猫がほしいです。

と、考えがばらばらあっちこっちへ飛んでゆくのですが、この、コピー禁止も、ソルフェージュの授業にかかわってきます。いや、今やソルフェージュとは言わず、音楽全体を知るためのような授業になっています。日本の学校の音楽の教科書の方が、断然充実していますが、多少は歴史もなぞるようになってきています。そのため、譜面を読む練習も、新曲ではなく、”実在する曲”を使います。それが、ソルフェージュの教材にのっています。それでは物足りないと思う先生は、積極的に他に教材を探すということになりますが、「コピー禁止」では、生徒に教材を渡すことができません。
毎年ソルフェージュ関係の出版物は、新しいものが多く出ます。結局、既存の教材に納得しない先生や、もっといろんな作品をのせたいと考える先生方が、出版を目指している、といえるでしょう。

この「コピー禁止」の目的は、コピーが増えることにより、出版物の売れ行きが落ちるのを防ぐため。また、作曲者の権利を守るためでもあります。
それはよくわかります。しかし、それによる不便もあるので、それを解決する方法が提案されています。コピーの各ページに、有料のシールを貼るのです。(以前書いたかもしれませんが)学校では、そのシールの貼ってあるコピーなら、オリジナルの楽譜が同時に使われているという条件で使用しても良いというものです。
ところで、このシールを発行しているのは、フランスの出版社や、作曲家(=楽譜の著者)たちの協会です。その協会に参加するのもおそらく有料でしょうが、そのシール販売による収入を、分かち合っているのでしょう。協会会長などの主要メンバーは、フランス大手出版会社の面々です。
このアイデア、良いのでしょうか?良いように見えます。

ところで、私の疑問は「外国の出版物のコピーにもシールを貼るのだが、その場合、そのシール代は誰の懐に入るのか」です。全音出版も珍しい作品を網羅しているためにフランスでも眼にしますし、イタリア、アメリカの出版物もかなり使用されています。
ドーバー出版などは、かなり安いものです。さあて、その出版社が、フランスの出版社協会に参加しているのでしょうか?そうでない場合、フランスの出版社協会は、その分までぼろもうけ、です。
というわけで、このシール方式にも、納得がいきません。

昔のように、買いやすい値段のパート譜があれば、まだ救われますが、協会メンバーの大手出版社のそういうパート譜は、ありません。私が勝手な言い方をしてみれば、「音楽出版物の売れ行きが悪いのをコピーのせいにしているが、手の届く、買いやすい値段の楽譜を出す努力はまったくしていない」のです。なお、コピーの中には「手書きの写し」も含まれます。

そう思って日本を眺めると、音楽をしたい人は楽譜を買うことに抵抗はないし、日本の感覚なら手が届く値段だし、たくさん出ているし、なかなかいいなあ、と思われます。
しかし、先日、日本の音楽教室での「移調楽譜」が、とても高くつく、ということを知りました。生徒さんの歌いやすいように移調=アレンジして楽譜を作ると、日本の曲なら4000円近く、外国からの曲なら1万円かかるというのです。フランスでのレッスン一週間は「出版社協会」ですが、こちらは「著作権協会」の方に収入となります。筋はとおっていると思いますが、随分高くつくものなのですね。驚きました。

日本の生徒さんは、その予算をもって勉強に挑んでいるような気がするのです。
楽譜代を出す心の用意ができているのです。「習い事は、お金がかかって当然」という背景が、そこにはあります。しかしフランス人はケチ、というか、フランスでの平民の収入感覚からは、習い事は、ずいぶん高くつきます。社会手当てがしっかりしている、ということは、皆で社会にお金を出し合っているということ。その分手元に残る収入は少なく、ギリギリで生活している人も少なくありません。レッスン代だけでも高いのに、そこに、何ページ使いこなせるかわからないような「20ユーロの楽譜を買って来い」といわれるのは、大変つらいらしいのです。

楽器はまだ良いのです。ピアノの曲集は、レベルごとにいろんなものが出ています。
しかし、歌は?コンコーネやヴァッカイ、イタリア歌曲といった、「日本なら普通の初心者の歌の楽譜」は、レベルが高いのです。しかも、皆輸入楽譜ですので、さらに高くなります。

だから、それ以前のレベルの人や、「楽譜を読めない大人」用の教材は?

さあ、私たちはどうしたらよいのでしょう?