「Art's Report site/ZAKKAYA PARIS

戸田昭子「雑歌屋パリ」

vol.12

ごぶさたしておりました、雑歌屋です。
夏にパソコンを壊してしまい、大事に書いていたアヴィニヨン公演の思い出の記も、見事に吹っ飛んでしまいました。
メガネも壊れ、10年近く前の古いものを取り出したら、これが今は強すぎで、老眼が始まったのか、というか、なんというか、いや、もうガラス面も傷だらけでよく見えず、仕方なく毎日コンタクトレンズという、おちつかない7月でした。
パソコンってこんなにいきなりあっさりこわれるものだったなんて。
いやいや、これが初体験、パソコンあってこそ、日本の方とも出会いがある、再会がある。
故障にめげず、もう一度、長文を書いていくことにします。
アヴィニョンの記は、もう胸のそこにしまっておこうかとも思いましたが、あらためて書いたら、また、前とは違った風にかけるかもしれないし。

アヴィニヨンへいったのは、9年だか前のこと。
「ユートピエ」という題名の作品のためでした。
作品の内容は、ある本を下敷きにしたものです。その本は、ソビエトが崩れ落ちた後、変化についていけず、自殺を図ったが、失敗した人たちの記録だそうです。その中から、演出家は3人の証言をえらびました。年寄り、主婦、戦いに参加していた若者。
共産時代があまりに当たり前になっていたために、いきなり思想を変えることができなかった人々。「ユートピア」は理想郷。ユートピエ、という題名は、理想を夢見た人々、あるいは見させられた人々・・・といったように訳したらいいかしら・・・
その各自3人の証言と、この作品のために作られたオリジナルの無伴奏の曲(バス・アルト・ソプラノ3人)、黒が基調のセットと、それにあらかじめ組み込まれたデザインの照明でできています。

前年の11月にさむ〜いランス市で、かんづめ状態での創作。私は役者ではなく、歌手のひとり。役者たちは、椅子に座ったまま、順にそれぞれの証言をします。
動きのない舞台で、せりふに集約されます。緊張感にあふれていました。我々歌手は、曲が現代曲、練習時間が少ない、ということもあり、楽譜をもったままでした。
それでも、デコール(飾り)の一部であり、私たちも「亡霊」の役割があったのです。
衣装も真っ黒で、目立たないように。音楽のほうは、ほとんど自主稽古状態で、大変でした。ソプラノにはソロがありました。子守唄のような、わりときれいなメロディで、ここで私は、舞台を横切る立派な亡霊となることができました。

7月のアヴィニョンは、ご存知の演劇祭です。約一ヶ月の公演滞在でした。
お年寄りの役、すでに実際に70を越えてユシェット座で公演を続けているというジョンも、女優エリザベートも、歌手たちも引き続き参加。若者の役のみ、メンバー交代。モノローグなので、練習もしやすかったのかもしれませんが、
何かと記憶の悪い私は、すごいなあ、と思ってその交代に見とれていました。

アランという役者さんだったのですが、話していたら、すでにテレビのかくしカメラの番組などに出演しているという人。ああ、そういえば、見たことがありました。
アヴィニョンから数年して、カメラ・カフェというギャグ短編連続番組が大ヒットし、出演していたアランもすっかり売れっ子です。女性っぽい男性社員系の役で、長い間、これ、ほんとうにアランかなあ?と疑問だったのですが、鼻歌を歌っていたシーンで、彼だ、と確信をもちました。私のソロを覚えて口ずさんでいた声が、その瞬間、聞こえてきたのです。歌声はうそをつきません。
・・・中古の車に乗っていたけれど、買い換えたかしら?

アヴィニョン市内に長期滞在の家をみつけるのは、至難の業。川向こうの家を二軒かり、歌手と役者と別れて住み込みました。11月に雪が降っていたランスでの初演のときと比べたら、もう、南は暑いのなんの。風が吹くと「気がおかしくなる人が多いという話も納得が行く、もうなんとも、ついていけない気候です。公演は、幸い?夜の部。町外れの会場で、多分週に一回の休み以外、毎日の公演でした。
昼間は暇なので、歌の練習などもしましたが、だんだん退屈してきて、公演者は権利のあるチケットをもって、ただで、あちこちを回り始めました。毎日、いつでもどこでも、何かをやっているのです。(学際のようです。)印象に残ったのは「熱い公演」・・・・なにせ、冷房のない会場が普通なのでしょう。
ものすごく暑い中の、一人芝居。中身はよくわからなかったのですが、小説の主人公なので、人物像だけは少し知っていました。昼中、会場も暑かったけれど、熱い彼の演技に圧倒されました。また、それと対照的に、冷房つきの大き目の劇場で見た公演は、何とか筋は追う事ができたものの、つまらなかった・・・オーセンティックな演劇、っていう感じ?つまらなかった。大きな劇場で公演できる、ということは、この演劇祭では大事だろうし、スポンサーがついているか、大きな予算がある、ということにつながると思うのですが、「なんで?つまらん」・・・・というのが、素直な感想でした。小粒の公演が、見逃されていないといいなあ、と思いつつ・・・

演劇祭には子供向けの作品もたくさん来ます。小学校を使って、学際そのままの雰囲気という会場もありました。ちーいさな舞台の人形劇では、とつぜん「闇」の力を呼び起こされ、それに感動していました。お話の内容は、まあ、どんな状況のお友達とも、仲良く生きていこう、という感じで、感動的だったのですが、それで感動したわけではなく、さあ、始まるよ、と、電気が消されたとたんに、「真っ暗な闇」が眼の前にあり、驚いたのです。
毎日暗くなる舞台に立っているのになにやってんだか?というところですが、舞台裏にいると、あまり闇を見ていないのです。たぶん。全部消されても、たいてい見えるようになっていたり、見る必要があるので、とにかく「見て」います。だから、何かを忘れてしまっていたのだと思います。
このときの闇は、それが不可能な、「本当に見えない暗さ」の濃度でした。
舞台がすんでから、何とかその奇妙な感動を伝えたくて話しかけたのですが、うまく話せなくて涙が出るばかり。「体の不自由な友人のことでも思いだしたの?」と勘違いされてしまいました。(もどかしい〜)
闇は同じ闇なのかもしれないが、出演者やスタッフではなく、「観客」にだけ許された闇があるのかもしれません。
舞台に出ていて「慣れて」いくことがあるのはいいけれど、このときは、「麻痺してしまうもの」や、失ってしまう感動もあるのかもしれないな、と思わされました。

子供のための公演は、フランス語のレベル的にもなんとかわかり、大好きでした。
なにより、子供たちの無邪気な笑いが感動的です。同時に、彼らは辛らつな判断者で、つまらないと、すぐざわざわするし、長すぎても、だらけます。作る方は、年齢層を定めて工夫していますが、成功はかなり難しいことなのだなあと思いました。他には日本人のカンパニーの公演や、日本からのダンス公演も見ることができました。

川向こうの「家」から一歩でると、強烈な南の太陽。光だけはなく、熱がじかに伝わってくる、強さ。陽をできるだけ避けて昼は行動し、夜の公演後は、おそいというのに、レストランで夕食・・・すると、半そででは寒くなってくる!昔、山海塾の世話をした、という人にも出会いました。

ちょっと前、フリーの演劇関係者を巻き込んだ、アヴィニョン演劇祭のオンとオフ。
あの小さな町の城壁の中で、一定期間、町が突然お祭り騒ぎになる、一種の異様さ、同時に、それに関係なく、普段のように生活している人々。歌手としては、なかなか味わえない体験を許されたアヴィニョン滞在は、大切な思い出です。

光と闇にはさまれた、1997年の夏でした。