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2011年9月のコラム



「いま、そこにある危機」

 震災以降、食べられなくなった、10数キロ痩せたという話を聞く。自分の中にも何か、まだ負の意識のようなものが潜んでいるのを感じる。当初は見たこともない光景と不条理さ、自然の力を映像とはいえ目の当たりにしたことや、絶えず余震を体感する状態に依っていたが、その後は原発事故だ。
 良心的な原子力学者、物理学者が「もはや原子力に頼るべきでない」とまで発言しているにもかかわらず、しがみつくのは、原子力で利益を得る人ばかりだ。ようやく菅首相が脱原発を打ち出したにもかかわらず、新首相は再び推進を口にする。野だいこはやはり財界の提灯持ちか。松下政経塾生たちはバブルを背景に、発展と戦前の日本精神を目指す人ばかり。発展が基調でない時代の到来に、果たして応えることができるのか。
 地元での原発説明会でのやらせは、地元の人の賛成を装った偽装と、それに基づいた合意への誘導というきわめて悪質な問題だ。民主主義の名の元による地元の合意が実は偽物だった。用地買収では常に行われてきた手法だが、こと原発については問題が大きすぎる。そして、福井で原発事故が起これば、関西が危機に晒される。止まっている原発も使用済み核燃料が危険を演出する。福島の処理も何十年かかるかわからない。福井で起これば日本の機能はストップするだろう。経済界も政治家も見ないふりをしていた危機が「いまそこにある」ことを、福島により目の当たりにしたはずではなかったか。
 9.11に対するアフガン攻撃、イラク攻撃が誤りだったことは米国でも検証されているが、右派のテロも起こり始めた。米国が覇権主義を進めるかぎり危機はなくならず、日本も原子力主義を進めるかぎり、危機はなくならない。
 僕たちの中にある負の意識は、この危機に根ざしているのではないか。地震の恐怖が原発、放射能の恐怖となり、時折顔を出す。原因をどう取り除くかは、この社会をどうしていくかにかかっている。

(2011/9/12 志賀信夫)


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