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2011年8月のコラム



「測れない」

 持病で急死された方のことを聞いていたら、同僚が原発対応に回されて亡くなり、2人分の仕事を抱えて残業が重なり、悩み、無理したのが遠因ではという話が出てきた。また、NHKドキュメント『放射能汚染地図3』を見ると、被災地近くの子どもを抱える家族は大きな精神的ストレスを抱えている。なかでは、尽力してきた学者が自分の内部被曝でショックを受けた姿が印象的だった。一方、あまり報道されないが、現地で作業する下請け従業員たちの被曝は確実に増えている。
 日本の国際的な評価も懸念される。まず輸出問題。原発の海外輸出で途上国の発展という名の元に未完成の技術が移転され、お金が投入される。それは同時に、途上国を日本の廃棄物処理地、核植民地化する政策といえそうだ。また、アジアへの食料品輸出は回復しているようだが、欧米ではまだまだ不信感を抱いている。次に観光と交流。欧米から見ると、まだまだ日本は危険地帯であり、出産を意識する女性を中心に来日拒否が続く。来日外国人は7月期、昨年より37%減った。絵画など文化財の来日も困難になっている。
 放射線を実際に測ってみると、線量計は同じ場所でもデータが刻々変化する。大気の影響もあるが、物質から出る放射能も一定ではない。そして表面に現れない精神的な被害については、放射能以上に測りようがない。文字通り「計り知れない」影響を与える原子力の害。これを推進してきた当事者たちは、高額の退職金を得たり、天下ったりしている。これは原子力を食う害虫といえるだろう。そして、その数も計り知れない。
 新首相候補者は、またも懲りずに原発の安全な利用だという。被害も計れず対処法や具体的な除染の見通しも立たないいま、それこそ非現実的、空想の類だ。さらに増税まで口にする。なるほど。結局、命よりも金ということだ。除染しようがないほど、金に汚染されている。彼らの心も計り知れない。

(2011/8/29 志賀信夫)



「ハッピーアイランド」

 舞台を見るのが仕事の一つである者にも、影響はじわじわと押し寄せる。来日予定の舞台がまたキャンセルされ、「日本へ行きたくない」外国人が増えている。欧州の若い女性は子どもを産むことを考えて危険な日本へ近づかない。絵画も地震と放射能汚染を警戒する。日本で見られない舞台やアーティスト、絵画が確実に増えている。外国からはHIROSHIMA/FUKUSHIMAと重ねられ、「広い島」「福の島」は日本列島全体を指すようにも思える。かつての黄金のジパング、繁栄の象徴日本は、いま、どう見えるのか。
 先日、初めて放射線測定器に触れた。東向島の現代美術製作所で20日までの「アトミックサイト」展。美術家イルコモンズの総合監修で石川雷太、山川冬樹などが展示をしている。砂場とブランコがあり、福島の砂場で採取した砂を測れるが、みるみる数値が上がっていく。風評被害ではなく、汚染は確実にある。
 8月15日にはプロジェクトFUKUSHIMAに参加した。福島出身や在住経験のある音楽家、スターリンの遠藤ミチロウ、大友良英、詩人和合亮一が中心になり、坂本龍一ら賛同する音楽家などが福島に集まった。即興オーケストラFUKUSHIMAに参加したが、大友良英の指揮で30分の即興、子どもを含めた230人の大オーケストラは感動的だった。観客はトータルで1万2000人、ネットで25万人が見たという。温泉街や呑み屋街をまわると、お盆とはいえ人の少なすぎる温泉や商店、投げ売りのように安い果物や野菜が今後を案じさせた。
 一刻も早く、福島を皮切りに、原発廃炉と廃棄物処理の計画を立て、技術を開発すべきだ。その技術すらなく進めてきて安全というのは、何とも子ども騙しだったことか。北電の献金を受ける経産省出身知事が北海道泊原発再開を決めた。まず、福島をどうするのか。それは、原発に関わる人のみならず、島国日本の僕たちに突きつけられた現実だ。

アトミックサイト展
http://atomiksite.wordpress.com/

プロジェクトFUKUSHIMA
http://www.pj-fukushima.jp/815fes.html

(2011/8/15 志賀信夫)



「スマートに」

 スマホ、スマートフォンを買った。やはり便利。パソコンでやることがほとんどできる。ワードやエクセルも修正できる。撮った写真をすぐにアップ、映像もすぐ放映される。ソフトも豊富でダウンロードも一瞬、クリックすると立ち上がる。楽器も充実し、タッチセンスになったのでパッドとしてすぐに使える。
 テレビも遂に地デジだけになった。受像器は途上国に輸出されたり、コストをかけて破棄されたり、結局ゴミになる。原発もゴミ問題だ。核廃棄物、壊れた施設、冷却した廃水。放射性物質がついたらすべて処理できない永遠のゴミになる。
 1955年生まれの僕はまさに電気文化の発展とともに生きてきた。ゲルマニウムからトランジスターラジオ、ステレオアンプ、オーディオ。アニメもアトム、鉄人28号、8マン、音楽もエレキギターにシンセ。レコード、AMからFM、オープンリール、カセット、ウォークマン、CD、MD、iPod。
 正義の子アトムと悪のゴジラは原子力の両面を象徴していると、たぶん、みんなわかっていたが、それでも信じたのは発展神話を求めたからだろう。「あれは米国の戦略だった」といわれても、「当時そう言っていたら凄い」。それでも原爆のため原子力に反対と思っていた。とはいえ、帰るとクーラー、充電器にスマホとPDA(ミニコンピュータ)、デジカメを差し、地デジをつけて録画チェックと予約をしつつ電子レンジで調理という生活。アトムが「原子の子」なら僕らは「電気の子」だ。
 スマートグリッドという言葉を目にする。自然エネルギーも含めた電力をコンピュータ制御で改革するらしく、スマートシティはユニバーサルで合理的な街らしい。だが僕たちは、消費のサイクルからは逃れられない。「スマート」という名前も、何か本質を覆っているような気がしてならない。
きっと、どこかでコケルのだろう。そういえば、昔流行ったドラマ『それいけスマート』も、ズッコケだった。


(2011/8/1 志賀信夫)


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