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2011年7月のコラム



7月24日の正午を過ぎました。
うちのアナログテレビは、今まで通りの放送を受信しています。
さんざん、テレビなんてもういらない!と言い、この機にテレビ見るのやめるつもりでいたのですが、マンションがCATV対応可となっていました。CATVに加入していなくても、CATV対応可(=CATV経由で受信)となっている世帯ではアナログテレビに「デジアナ変換」された映像を見ることができます。

2週間前。かの「アナログ放送終了まで○日」という表示が出るというものの、逆にうちのテレビの画面はすっきりとし、右上に「デジアナ変換」と表示されるようになりました。そして、CATVのサポートセンターの電話番号が時たま控えめにテロップに流れます。そのフリーダイヤルに電話してみるとオペレーターに繋がるまでの案内音声で、「デジアナ変換と表示されていれば、アナログテレビで2015年3月までそのまま視聴できます」とか。テレビはやめるつもりでいたけど、こう毎日大きな事件・事故が起き、また災害が収束していないのでは、ニュース番組くらいは…と決心もぐらついていたけれど、チューナーもデジタルテレビも買わずに最後までぐずぐずしていて結果オーライ。
7月24日の正午を過ぎ、「アナログ終了なう!」なツイートがいっぱいなのかとツイッターを覗いてみると、「アナログまだ映ってる」というのがすごく多いのです。デジタルテレビを買うかチューナーをつけるか、録画機器も買い替えないとダメ!という告知はさんざん見て聞いていたけど、「デジアナ変換」ならまだ大丈夫というのは、見た記憶はありません。CATVのホームページでもかなり頑張って検索しなければ、このことは見つかりません。

CATVの密かなご好意ではなく、総務省がCATVに依頼してのことのようです。
アナログ放送の終わりの瞬間を見ようとして、あえてアナログに切り替えた人や私のように「もういいや」と思っていて、この事態ならば、「なーんだ(笑)」で済みますが、他に必要なものや欲しいものがあったのに総務省の言う通りにテレビを買い替えた人は、気付く機会もないままかもしれないけれど、無駄な出費だったかもしれないわけです。
今年後半には、ふたたび家電エコポイント制度が復活するかもしれないという話もあります。それからゆっくりと自分のタイミングで買い物ができるほうがいいし、完全に移行してからの新製品をいろいろ比べてみる余裕もあります。ちょっとニュースをチェックする程度なら、テレビ以外に受信できる製品もたくさん出てくると期待しています。
「2011年7月24日アナログ放送終了」というのは、テレビの歴史として大きな節目ではあります。でも、デジタル方式が始まった2003年12月から、ブラウン管受像機がただの箱になる2015年3月という、わりと緩やかな流れの中のちょっと大きな岩くらいなものな気がします。だって、この瞬間に皆が見たかったのは、どんな番組でもなく「アナログ放送終 了」の瞬間のお知らせだったのですから。


(2011/7/25 WADA)



「私たちの望むものは」

 稲藁とは盲点だった。では、その土、大地はどうなのか。3月の原発事故で東北の田植えは5月。水を張って苗を育てて、この夏を経て秋に収穫する。雨水、地下水、湧き水が山から川となって流れてきたが、各地の放射線物質を運んでこないのか。水を抜くと、土地の放射能ごと洗い流してくれるのか。発育した稲はどうなのか。稲藁被害の範囲は東北すべてから新潟に及び、静岡にも運ばれていた。本土の数十%が危険地帯になった。牛はほぼ日本中に流通した。豚、鶏もいる。福島から北に流れる海流で漁場は安全なのか。原発はこの狭い国土を減らす。農業、畜産、漁業、工業などすべてについて原発災害は大きなマイナスを生み出してしまった。

 台風の季節がやってきた。日本は火山国で温泉が各地にあり水も豊富。「日本には資源がない」というが、鉱物資源も豊かだった。掘り尽くしたり、コストが合わなくなったりしたのだ。そして、かつては「資源がない」という理由で海外侵略を行い、近年は同じ理由を掲げて原発を作ってきた。むしろ「日本は自然エネルギーが豊富だ」といって、脱原発政策を立てるのが真っ当ではないか。台風、洪水、地震、津波は、ものすごいエネルギーを持っている。これを転換・活用することができれば日本にエネルギー危機は訪れない。

 これまで原子力にのみ注がれてきた技術開発を自然エネルギーに向け、エネルギーの保存、蓄電技術の発展に力を注ぐべきだ。電力のみに頼ることは問題だが、各企業や各家庭が1カ月分の電力を貯蔵できれば停電も回避できる。個別発電が提唱され始めているが、優れた蓄電機があれば、電力会社に買い取らせる必要はない。携帯電話で充電池は発展したが、この技術による家庭用蓄電池の開発は有効なのではないか。
 科学者・技術者たちは原発の幻想を捨て、新たな道をぜひ探り出してほしい。おそらくそれこそが、多くの人々がいま望んでいることだ。

(2011/7/18 志賀信夫)



農水省が日本食文化を世界無形遺産登録にむけてプロジェクトをたちあげたと。
日本人でありながら、いちばん、おそらく誰もが疑問を持つのは「日本食って何?」ってことだと思う。自慢の発酵食品の雄「大豆」さえ輸入しているというのに。
これがリリースされたとき、NHKの番組でアナウンサーを相手にNHKの解説委員が話すというコーナーがあった。原発事故による風評被害を受けた日本食(作物)の安全性を強調するというのは、別問題だから今は置いとくとして、その解説の中では「かいせき料理を頂点とした日本食」を登録したいんだそうだ。
「かいせき料理」と聞いて、私は「懐石料理」だと思ったんだけど、農水省が提唱するのは「会席料理」とのこと。
聞き手のアナウンサー氏と私は同時に解説委員に突っ込む。「会席料理ってなんですか?」解説委員の答えは「会席料理ですよっ!」
不思議なことに一問一答を載せたNHKのサイトに、この問答はない。

「会席料理」といえば、法事や堅苦しい忘年会。無礼講といいながら「ま、ま、おひとつ」とお銚子やビール瓶を持って膝でずりずりと各席を回って行くおじさんの姿が思い浮かぶ。嫌いなものも好物もひとつふたつあり、箸が進むでもなく、どこまで食べれば完食と言えるのか、お膳に載った各国料理の集大成のようなものではないかと思うんだけど。
山だろうとカツオの季節だろうと赤いマグロのお刺身と海老フライ。エビチリとマカロニサラダ。ご飯はもちろん型抜きで黒ごまが振ってある。こういう「会席料理」に付くのはたいていお吸い物で、味噌汁は少数派。大きな土瓶か保温ポットに入れっぱなしの、出がらしなのか渋茶なのか判別不可能な煎茶。
そうではない集う日の「会席料理」は、土地で穫れたものをお母さんたち伝統の料理方法で大皿に盛られ「ほら、もっとたくさん食べなさいよ!」と強いられる親戚一同が顔を合わせるような、お祭の直会か。いずれにせよ、土地に縁りのない者がそうそうお相伴できるものではない。それを統計立てるなんて無粋だし。

お茶を習っていると茶懐石に触れる機会も多い。「たまにはお茶事(茶会)の雰囲気もないとね」と、先生がお正月の初釜などでそのように整えてくださることがある。生徒に下準備をさせることをしない先生はご高齢でもあり、本当に本格的に奔走して「ご馳走」を準備するのは難しい。そこで普段のお総菜と同じ焼き魚や煮物、先生自家製のお漬け物に汁物となるのだけど、それを塗りの美しい皿や織部風の器に乗せ、葉や薬味をあしらったりすると、家元御用達の茶懐石の仕出しかと見紛うほどの食事になる。いつものお稽古室もどこの茶室かとなる。黒漆に乗った谷中生姜の淡いピンクを、あらためて美しいと思えるなんて。
他文化の人が目を輝かせる=日本の文化と誇れるのは、こういう趣向とひと手間なんだと思う。どこの国の料理でも一見、和食化してしまう「会席料理」マジックも興味深いといえなくもないけど、やっぱり違う。見立てとか、食べやすいように湿した杉箸の心遣いとか、旬の色合いの妙を楽しんだり、食べる・愛でることが嬉しくなるような趣向がない。どんなおかずでも食洗機でガンガン洗える松花堂に詰めたら、コンビニのパックそのままと同じこと、逆にコンビニのお惣菜でもベランダの大葉をあしらって、大切に使ってるお皿に載せれば、「ご馳走」になるのだと思う。水ようかんだって、貼り付いてるビニールの葉を取って、道ばたの紫陽花の葉を湿して載せ、黒文字を添えれば、何倍も美味しく感じられると思う。

(2011/7/11 WADA)



「金か命か」

 人間というのは権力を得るとおごり高ぶる。その典型が、大臣になりたての男の放言だ。総理大臣になる器量はなくても、野党でなりえないと思った大臣の椅子が転がりこんできたとき、権力を得たと勘違いしてしまう。これはいわば、場末のキャバレーで、金がないのに、店に入ったら「社長さん」と呼ばれて、その気になったといったら的を射すぎか。勢いで、「ドンペリ持ってこい、俺のいうこときけば、税金をお前たちに使ってやる」というスタンス。まあ、村長レベルだとセクハラしてももみ消せる。そんな感覚で、国政を担当するのだから、たまらない。
 ただ自民党政権になれば、過去の関係修復から原発推進に邁進することは目に見えている。たとえ政権延命の方策、副産物としても、自然エネルギーへの転換が必要なため、現政権に持ちこたえてほしい。福島が突き付けた「原発か脱原発か」。これは「発展か安全か」、すなわち「金か生命か」という究極の選択だ。ある原発地域では年収1000万以上に加えて豪華な公共施設が建設されている。しかし安全な農業、漁業を放棄してしまった。

 いま一番気になるのは、廃炉にしたときの原発とその地域の行く末だ。数年冷やし続ける燃料棒と廃棄物、冷却でさらに生まれる廃棄物。これらを安全に処理するシステムがない。廃炉になっても、危険性が完全にクリアできなければ企業進出も農業や漁業の再興もない。また、予見していたことだが、原子力の国際協力の名の元で、日米がモンゴルに廃棄物を押しつけようとしている。これは国際的な犯罪行為だ。
 「日本は資源がないから」という。しかし世界でも豊富といわれる水、火山島ゆえの地熱、太陽、海などの資源。かつて多く石炭を算出し、海底油田の可能性もある。原発推進ゆえに生まれたこの常套句を繰り返すのはやめたい。そして世界に率先して、自然エネルギーの利用を推進したい。それは何より、生命に関わることなのだから。

(2011/7/4 志賀信夫)


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