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2011年4月のコラム



「何ができるか」

 今回、「アートは何ができるか」「芸術表現は何をすべきか」といった問いをよく目にする。所属するJTAN(Japan Theater Arts Network)でもこのテーマでシンポジウムを行った。だが、ある舞踏家から次のような話があった。誰もがこのような問いかけを行い、それによる行動を広めることは、「アートは社会に働きかけるべきだ」という考えを広め、「社会に役立たないアートは意味がない」ということになりかねないと。

 「なるほど」と思った。もちろん、アートや舞台を通じて社会に対して何かするということ、芸術の社会性を否定するものではない。だが、かつて「舞踊と社会、政治性」というテーマで議論になったことがある。「社会や政治を取り上げた作品はプロパガンダになりがちでつまらない」「社会的発言で作品を評価すべきではない」と主張した。芸術は一つの主張・解釈に収斂しては魅力的ではない。一方、自分の表現自体で募金を行うことは表現の価値を損なうものではない。しかしその募金は、舞台自体に対する観客の評価といえるかという疑問もある。

 アートに何ができるか、舞台芸術で何ができるかという問いは、一見、普遍的に見えながら、誰がという主体が消えてしまう。自分が、何ができるかという問いが必要なのだ。そして、アートは個人の美学と欲望によって生まれ、見る人も自分の美学と欲望で理解する。ピカソ『ゲルニカ』、岡本太郎『明日の神話』は、ナチスや原爆を知らなくてもひきつけられる。ナチスに関わったヴィグマンやリーフェンシュタールの作品もすばらしい。だから社会との関わりが第一義ではない。芸術の力はそういうものだ。むしろ、社会に役立たない、ゆえにアートは社会に意味があるといってもいい。

 原発問題はまったく解決しない。だが、東京では日常が戻りつつある。ここで改めて、「アートに何ができるか」ではなく、「自分に何ができるか」を考えたい。

(2011/4/25 志賀信夫)



浅草の浅草寺、昭和本堂落慶五十周年「記念大開帳」/特別公開「大絵馬寺宝展と庭園拝観」。
うちのほうから浅草に行くには、銀座線を使うのが乗り換え案内のご推奨。でも、節電モード以前にエレベーターがなく、古く・暗い階段をいくつも昇り降りしなければならない銀座線。震災時に30Fのオフィスから非常階段を降りて以来の階段恐怖症。体力もないから余計に人の多い階段が恐い。
乗り換え案内には出なかったけれど、私の強い味方「都バス」なら、階段なしで雷門に乗りつけられる。
通常の路線バスなら、東京駅八重洲口から荒川土手方面に。また、丸の内口からは「夢の下町」という近未来的な車体で観光気分満載のバスもよい(しかも普通料金)。

まず、「大絵馬と寺宝展」。大絵馬すごい!
先の「柴田是真ブーム」の折りに話題になった「茨木」も、鈴木其一の「迦陵頻伽」、歌川国芳の「一つ家」、本物ってあるのか?な谷文晁も「神馬」を描く。
絵馬と言っても五角形の手のひらサイズのものではない。額に欄間彫刻のような立体の彫を施した板絵。たたみ一畳を超え視界に入りきらないサイズもあるし、小さくても12号くらいの大きさ。それに上記の江戸の絵師たちの直筆!明治に活躍した菊池容斎の「堀河夜討」なんて大和絵風かと思いきや「最新の」洋画の遠近法も感じさせて「かっけー!」

題材は説話や謡曲、寺縁の物語から取られている。流派にとらわれない自由な筆致のように感じられる。これらは何かの願いをこめて描かれたもの。個人的な願いを絵師の筆に託したものもあるだろう。「板」に向き合った絵師は描くうちに、願いを届けるべき道筋の果てに誰かが待っているという確信を得て、一心不乱に筆を動かさざるを得なくなったのだと思う。
その思いにシンクロしたというのは、錯覚かもしれないけれど、いろんな行事が自粛されたり見合わせになったり、まだ大きな余震も続く中で、重文クラスの寺宝を予定通りに公開した浅草寺の気持ちもここにあったのではないかと思う。
単なる絵画であったら、時期をずらしたかもしれない。でも、「絵馬」だから、いまこそ。

自粛や見合わせは、「こんな時に歌舞音曲なんて」って人もいるかもしれないけど、三社祭などについては、警備のことなどを今から東京消防庁や警視庁と打ち合わせなければならないため。火消したちの東北での活躍を優先するなら、今年の祭より来年を盛り上げよう心意気。 警官や消防士の手を煩わせない範囲でできることをどんどんやればいい。

「細工合」という額もよかったな。根付けにしそうな「くすっ」って感じの細工物をいくつも一つの額に並べたもの。これこそ柴田是真的なもので江戸っ子好み。
高村光雲作の沙竭羅竜王像や、寄せ木造りのほぼ頭身の「神馬」。書が好きな人には勝海舟の額なども。「見事!」が山ほど。
庭園も含め、拝観料は300円!それも義援金とされるとのこと。

さて、庭園。
東京に残る唯一の江戸期の回遊式庭園とか言ってた人もいたけど。都内であれば庭園美術館や(以前の)根津美術館、国立博物館の庭園などとさほど変わらない庭園に見える。他の庭園のほうが鄙びた茶室が多くあったり、野趣にとんでいたりするし。京都のお寺でもこういう感じの(あくまでも「感じ」)のお庭はよくある。
常時公開ではないけれど、公開される機会はけっこうあるし。ただ、浅草寺の五重塔と東京スカイツリーが視界に入るのはおもしろい。かつては十二階も見えたのではないかと。
今ならば、早咲きの桜と綻び始めた枝垂れ桜が見られる。大きな蘇鉄があるのが江戸時代っぽいかもしれない(二条城のイメージから)。
手入れが行き届いて清々しい。秩序がここにある、というのは今は特に心強さを感じられる。

江戸〜東京の庭っていうことなら、休館中の「朝倉彫塑館」や下町の銭湯の庭が好き。滴る緑と磨き上げた大石の緑陰の池にまるまるとした錦鯉。それを狙う猫が出入りする隙、がいい。松平健が歩いてそうな大名家風の庭よりも。

係の人のお許しを得て、もういちど絵馬を見せていただく。いいものを見ただけでなく、見にきた人たちの穏やかさと係の人たちの寛大ながら気を配る様子、とても豊かな温かさにぬくぬく。
が、風の強い日で夕方にはかなり気温も低くなっている。伝法院を出ると、上空から「からん、からん」と乾いた音が聞こえる。見上げると五重塔の風鐸が響いているよう。風鐸を見つめながら、本堂のほうへ行くと、本堂の風鐸もからん・からんと鳴っている。この音を意識して聞いたのは初めてかもしれない。その音のなかに散華を見たような気がする。
普段は不信心ながら、この音に誘われて「お参りしていこっ」と思う。

(2011/4/4 WADA)


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