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2011年3月のコラム



「不思議なこと」

 今回の原発事故で明らかに原発神話が壊れたのに、テレビで政治家や評論家は、「これを教訓により安全な原発を」という発言をする。その根拠が、原子力は一番コストが安いという。今回の損失を考えれば、原子力が安いという比較はありえない。さらに、コストの根拠に核廃棄物の処理費用が計上されていないことや、公表されている原発の企画書ではもっと高い数値だったこと、減価償却費の計算方法に違いがあることなどから、原子力は天然ガスと同コスト、それ以下の自然エネルギーもあるという比較も以前から示されている。しかし政府や産業界はそれを封殺してきた。そして現在、人々は「もう原発はいらない」と発言しているのに、為政者や経済学者たちは無視しようとする。これは不思議なことだ。

 現在必要なのは御用学者の意見ではなく、脱原発を主張してきた人の提言やデータではないだろうか。
それを検証しつつ、新たなエネルギープロジェクトを早急に立ち上げるというのが、いま最も必要なことだろう。
 さらに不思議なことは、選挙を行う人がいることだ。立候補を考える人は、金を使って選挙をするより、ぜひ、被災地や原発事故のために力を尽くしてほしい。それがきちっとできる人、成果を出せる人こそ、政治を任せるに相応しい人だろう。その行動力すらなくして、どうして政治家として認めることができるのか。「人のために尽くすために政治家になる」と公言するなら、まず尽くして、結果を示してほしい。「政治家にならないと尽くせない」という人は必要ない。
 今回の天災と人災によって、さまざまなものが露呈した。その一つは、原発の推進も選挙も、いずれも政治家や産業界の私利私欲のためになされており、それが今回の事態を招いたということではないだろうか。だからこそ、原発についても選挙についても、いまこそ振り返るべきときだ。もし、それをしないとすれば、それはもっと不思議なことだ。

(2011/3/28 志賀信夫)



暗闇で音と匂いを聞いてみる。

風は強くて冷たいけれど、空気は春の色、光。
暗闇の中で、紅梅の馥郁と豊かな匂いを辿ると、傍らに高潔に色を灯す白梅。
鼻の奥につんと抜けるのは沈丁花。
炎のように立ち上がって咲く白木蓮。
木々の芽は、ふっくらと、赤みを帯び、また緑に染まり始めている。
彼らは、なにごともなく、私たちと同じ空気のなかで、生きている。

十三夜、満月、スーパームーン、十六夜、朧月夜。
秋の初めから天にいるオリオンは、まだ冷たい春の夜空にもくっきりと。
暗い夜空に薄墨の雲。濃く淡く流れていく。
星はこんなに明るかったのか。
高速で流れていくのは、流星にあらず、科学の粋の人工衛星。

バタバタとうるさく飛ぶのは、計画停電の混乱を空撮しようとする報道ヘリか。
春宵に無粋な。

大丈夫、地球はちゃんと回ってる。
季節は順番を違えることなく巡っている。
去年だって、4月に雪が降ったじゃない。
銀座で夏日になった冬があったこと、覚えてる。
巡り巡って、西行が望んだ桜の下の夜は、次の満月。

(2011/3/21 WADA)



「とうとう」

 起こってしまった。最大級の地震。昨年は防災の広報誌を作っていたが、地震学者の予想を超えた事態。この地震の被災者の方々、知人友人、親類が被害にあった方々。深い悲しみとともに、復興を心より祈っている。
 この災害をさらに原発事故が救助・支援を困難にし、結果として被害を広げている。原発事故は自然災害ではない。電力会社と政府は事故・被害の内容と放射線量などを隠そうとしている。女川原発で火災が発生し海水が浸入したことも取り上げられない。福島も二つの原子炉の建物が爆発し、もう一つも危険だというのに、安全だと強調する。
 発表された放射線量は、県の原子力センターがサイトで公表してきた最高値160nGyの500倍から2万倍である。
森住卓らが現地で測定したら定器が振り切れた。森住と広川隆一がyoutubeで報告し、取材したチェルノブイリの危険区域以上だと警告している。
 脱原発の動きはスェーデンから欧州に広がったが、近年の地球温暖化に対して逆風が吹いている。しかし、温室効果ガスの排出取引により環境保護が経済化される現在、対策は形骸化している。核廃棄物の処理方法が地中に埋めるだけという極めて環境負荷の高い原発は大きな負の遺産を残す。
 さらに日本の政府と原子力産業は、原発をベトナム、インド、中国に輸出しようとしている。事故は相手の国にどれほどの負荷を与えるか。埋蔵場所が決まらない日本は、これらの国を核の廃棄場所にしようとしているのか。
 自然災害に加えてこのような人工災害を与えてはならない。電力を甘受しているとか、代替エネルギーがないという意見もある。しかし海水による水力発電を含めた自然発電、燃料電池やバイオ燃料など代替エネルギーに注力せずに、電気・科学産業と建設業の利益のために原発設置を行ってきたのが日本だ。今回の事故を教訓にしないとすれば、それはあまりに愚かな行為ということができるだろう。

福島県原子力センター:http://www.atom-moc.pref.fukushima.jp/dynamic/C0013-PC.html
森永卓・広川隆一:http://www.youtube.com/watch?v=IqqLU4q1dBg

(2011/3/14 志賀信夫)



前回のコラムで、東京の雪のことを書き、雪景色の写真や絵画など手持ちの画集や展覧会のカタログから探してみた。雪景色を「そうそう、これが東京の雪なんだよね」と思わせるのは、やはり浮世絵。重たく湿った雪とほの明るい宵。
二・二六事件も大雪での交通の混乱と事件のそれとで外を出歩くのは止められたというし、桜田門外の変も陽暦3月の大雪の中のこと。雪の白と血の赤、さらに事件や世相の鼠色が印象的なのだろうか。
芝の大門の雪景色は、川瀬巴水が描いていたと思う。そこに赤い東京タワーが描かれていても、違和感なく見るような気がする。東京タワーの赤は雪景色にもよく映える。雪の中だけでなく、江戸のいろんな浮世絵に描かれていてもいいような赤だ。
東海道新幹線に乗ると富士山を見届ける!と思う気持ちと、東京の風景の中に赤いタワーを求める気持ちは近いものがある。
なんとなく、東京タワーの周辺には、「蛍の光」が流れるような雰囲気があり、すでにノスタルジックな空気に包まれているようにも思え、それが浮世絵の「江戸の風景」に溶け込ませているのかもしれない。

3月初め、600mに達した東京スカイツリーにまつわる話題が多かった。その足元に馴染みの深い身としては、スカイツリーよりも周りの風景が気になる。
最寄り駅の「業平橋」の名前が「東京スカイツリー」駅に変わるという。「バカね〜」と沿線の生まれ育ち・江戸っ子の母が言う。「だって、地元の人がちゃんと読めない駅名だし」と私。「業平が読めないなんて。言問や都鳥とつながりもなくなっちゃうじゃない」「お母さん、も一回言ってみて。ありわらの?」「なりしら」「ほらね、言えないじゃない」とお決まりのオチ。実は私も気をつけていないと「ひ」が怪しいが、母はここまで誘導されても罠に気づかないほど、「ひ」は自分の辞書にないものなのだ。

隅田川近くのスカイツリーの足元は、在原業平・伊勢物語にまつわる地名や能からの名もあり、なにげに雅。業平橋、向島百花園、白鬚神社と江戸っ子が言えない「ひ」の多発地帯でもある。しらひげじんじゃ、なんてちゃんと言える人が氏子にいるんだろうか?(念のため「なりひらばし」が正しいと注釈はいるだろうかと思う一方で「しらしげじんじゃ」だよね?「ひらしげじんじゃ」だっけ?と不安。地元民に訊くのが一番あぶないし。) さらに、名所江戸百景の歌川広重の名もいったい何事かと思う。誰ひとり、「ひろしげ」なんて言わなかったと思うんだけど。(ひゃっけい、も) 江戸っ子は「そる」が「する」になる。七五三の時だったか、おめかしするのに襟足をさっぱりさせようと床屋さんに連れて行かれ、「襟、すってやって」と言う親の注文に、紙やすりで擦られるのかと思い、恐怖したものだった。
そして、「する」では「掏り」を連想させるので、「あたる」ともいう。「ひげをそってください」が、下町では「顔あたってくれ」となり(ひげって言えないから顔)、ゴマを擂るのもゴマをあたるになる。すり鉢はあたり鉢になり、すりこぎはあたりぎ。だから、江戸っ子は権力者に対して「ごますり」はしない。

維新前からの江戸っ子家系=東京生まれの両親の元、私自身は武蔵野の生まれ育ちだし、訛るとか方言とはいっさい無縁と思っていた子供時代。でも、実は江戸弁丸出しだったようだ。同様にほかの江戸っ子も、自分たちが訛っているとはこれっぽっちも思っていないので、国語のテストで大失敗をやらかす率高し。
「お勉強」での唯一の自慢、国語のテストだけは100点しかとったことがないと豪語する私は、実はいちどだけ「敷く」の読み方を間違えて、98点をとったことがある。
これは「うちの親は訛ってる」とようやく気づいた頃、親が「しく」と言うなら、本当は「ひく」なんだろうと勘ぐった結果の失敗だった。
国語の点がよかっただけで、私こそが標準語・共通語の鑑、と小学生の私は思っていたけれど、今ではその思い違いにも気づき、さらに訛りが矯正されなかったことが嬉しくもある。
東京ではあっても、周りには圧倒的に地方出身の人が多く、少し話しただけの言葉からどこの出身?なんて話題にもなる。さらに、同郷の仲間を見つけるきっかけにもなっていて、羨ましい。江戸っ子を売りにした落語家といえど、こっちからしたら、違和感のある発音が鼻につく。今、日本中で「共通語」が話せないのが江戸っ子かもしれないと思う。

(2011/3/7 WADA)


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