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2011年1月のコラム



「輸出規制」

 日本が原発を海外でつくる。えっ。驚くべき事態が起ころうとしている。
いったい原子力発電の問題性は解決したのだろうか。確かにテレビでは、核廃棄物は永遠にリサイクルできるような説明がされ、クリーンエネルギーという宣伝がある。しかし、電力会社のホームページを見ると、低レベル廃棄物はドラム缶に入れ(必要に応じて)アスファルトなどで固めて地下4mに埋め、高レベル廃棄物はガラスで固めステンレス容器で30〜50年冷却貯蔵し、地下300mに埋めるという。結局、これまで同様、土中に埋めるのではないか。さまざまな廃棄物が土壌汚染で問題になってきた轍を踏んでいる。

 人力で掘れるレベルの4mのドラム缶も呆れるが、300mだと安全なのか。アスファルト、コンクリートも壊れる。腐食しない金属はなく、加工された容器は変形・破壊される。マグマによる地殻変動もある。容器が壊れ、危険物質が土中、海水に溶け出す。また、その廃棄物処理は英国やフランスに送って行っているのが現状で、輸送が問題にもなっている。
 このような原子力技術を開発途上国に売り出そうとしている。放射能の半減期が1億年。原子力エネルギーは核廃棄物として、地球に未来永劫消えない汚染をもたらす。廃棄物から作られた劣化ウラン爆弾は米国などによって紛争地に核被害をもたらしている。さらに生み出されるプルトニウムは核爆弾の原料でもある。

 今回のベトナム原子力開発への協力は、中国のレアアース問題から急遽、決まったと報道されている。原発だけで500億円、合わせて2兆円という日本の負担。しかし、日本は自国の高レベル廃棄物の最終処分地を決定できてすらいないのだ。自国に埋めるのか、他国に埋めるのか。この国際原子力開発は、同時にそれをもくろんでいるのではないだろうか。
 コンピュータ関連での輸出規制で、時折、中小企業が摘発される。それでは、この最大・最悪の危険物輸出を規制する法律はないものだろうか。

(2011/1/31 志賀信夫)



1月18日はチェリストの藤原真理さんのお誕生日。毎年、この日に「バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏」というコンサートをされる。
お誕生日なので、何曜日であっても1月18日をたがえずに。今年は平日の火曜日。

19時からの演奏で、途中2回の休憩を入れて、さくさく進めても終わるのは22時すぎ。昨年は、23時を回っていた。
自治体のホールでこんな時間まで使わせてもらえるのは、藤原真理さん・自治体・そこに集まるお客さんの信頼関係が築かれているからでしょう。
しかもチケットが1000円と格安。これも運営するギリギリの金額で誰も「儲け」てはいないはず。強いて言えば、お客さんの気持ちはプライスレスに潤う。このコンサートは12回にもなるそうだ。

休日ならば、マチネもいいけれど、平日だと会社勤めの人も来られる時間として19時開始が限界でしょう。
都内から、定時ダッシュで駆けつけてもギリギリ。休憩中のロビーではクラシックコンサートには珍しく、持参のおむすびをほおばる人の姿があちこちに。
私も定時で帰れれば間に合うけれど、途中で電車のトラブルでもあったら、アウト。長丁場でお腹が鳴っても困る。なので、休暇を取ることにした。

「すんごくいいから!」とオススメした結果、一緒に行く仲間は年々増えて、リピーターとなり、今年は山形から参加する友人もと輪は広がる。せっかく山形から来ても、終演後はお茶を飲む時間冴えないので、開演前に老舗洋食店で新年会。集まる仲間がそれぞれ休暇を取ることになり、この日のコンサート&新年会は、年中行事となりそう。

もちろん、演奏が素晴らしい。何の衒いもないとは正にこの日のこと。最新の音響設備やシートの豪華さなんて売りにしない小ホールのステージに椅子と譜面台だけ。藤原真理さん自身も飾らずに美しい人だと思う。そして、ただ、チェロを演奏しているだけ。本当にきれいにチェロが歌う。
バロックは音が降り積もるところが好きなんだけど、演奏者や会場によって、降り方・積もり方が違う。積もって重なって前の音が土壌となって次の音を育てているように思う時もある。

藤原真理さんのバッハは、掌に乗った雪をよく見ようと顔を近づける前にふっと融けてしまう。消えてしまったかと思うと自分の周りは清冽な雪景色になっている。
何年か前の雪がよく降った年、雪の日ってバッハが聴きたくなるよね、なんて話していた。グールドのピアノで聴いている・カザルスをネットで聴いている、と報告しあって、やっぱり雪の日はバロックだね!と意見が一致したり。
藤原真理さんのバッハ無伴奏チェロ組曲は、きりりとした空気の中にも春に向かう明るさや緩んでいく蕾の気配。日本のお正月の清々しさ、ご自身の潔さが感じられる。よくぞ、この「寒」に時季に生まれてくださったと思う。


(2011/1/24 WADA)



「遅れる」

 最近、とみにコラムが遅れる。一つには、これまで通勤のときにパソコンで原稿を書いていた。それが、書く時間がなくなったことだ。ほとんどの原稿を小さなパソコンで書いている。正式にはPDA、シグマリオン3という古い機種だ。ウィンドウズが常に立ち上がった状態なので、開けばすぐ使え、消すのも閉じるだけ。パソコンに移したら分量や表現を調整する。

 もう一つの理由はツィッターだ。携帯で、政治・経済や社会問題から舞台や身辺雑記まで、電車の待ち時間、つり革にぶら下がる時間などに書き込む。140字だが、1つの意見を言うことはできる。サッカーもラーメンもダンスもアフガンも民主党も書いてしまうと、書きたい欲望の一部が満足してしまう。そのためコラムの欲望が下がり、ネタも減る。

 もう一つは、活動がやたら複雑になったことだ。国際関係、労働関係、食品関係の広報誌、医学書、専門誌の編集。舞台や展覧会を見て、批評の原稿。社会人講座やトーク。舞台の企画に関わり、音楽で舞台に立つ。先週は6日間で調布、茅ヶ崎、神戸でインタビューをやった。そして常に感じるのが、「舞台は待ってくれない」ことだ。

 たぶん貧乏性と怠惰なので、仕事を詰めて自分を追い込まないと、進まない性質(たち)だ。おそらくそのほうがアドレナリンは出る。いや単に誘惑に弱く、自転車操業になるだけかもしれない。
 ぎりぎりまで何かをやって遅れる、遅刻しそうになることが多い。旅行でも前から準備すると、直前に余計なことをやって、結局ぎりぎり。空き時間、ぼうっとする時間をもったいないと思ってしまう。これは何とかならないものか。
 ただ人生、半世紀を超えてしまったので、よもや性格が治るとも思えない。やむをえず自分と付き合っていくしかない。もし差し支えなければ、もうしばらくコラムにも、お付き合いください。本年もよろしくお願いいたします。

(2011/1/17 志賀信夫)



つやつやの深い緑にぴかぴかの真っ赤な実を付けた「万両」「千両」が植込みや街路樹から覗いています。
何も言わずとも、初春の気分。
調べたら、「百両」と「十両」というのもあるそうで、鳥に食べられにくい実の付き方をしている順に価値が上がって行くそうです。
いちばん、食べられやすいのが「十両」で、葉の陰に隠すように実をつけるのが「万両」になるわけです。
潔い配色のこれらの木と実、つい半月前は同じ色遣いがクリスマスの象徴だったのに、年が改まったとさほど実感のないままに過ごす日々のなかでも、目に入ると「春の気配」を感じて、なにやら目出たい気分です。
種類が少し違いますが、同じ色遣いのものに「南天」もあります。
これは「難を転ずる」という字を当てて、やはり縁起がよく、お正月によく飾られるもの。
植物スケッチのお手本みたいに、きれいに互い違いに並ぶ葉の整ったリズムも正調な感じで気分のいいものです。

大晦日までの慌ただしく、ざわついた気分や空気が除夜の鐘がどこかから聞こえてきた瞬間に清められるのは、毎年の不思議です。
近所にはかろうじて聞こえる弁天様の鐘がありますが、天気か風向きか、ちょっとしたことで聞こえない時もあります。それでも、耳を澄ませ続けていると、聞こえてくるような気がするものです。
もしかしたら「鐘の音は聞こえないか?」と窓を開けたご近所の家のテレビから聞こえてくる知恩院の鐘かもしれません。
いずれにせよ、この夜に春の調べの鐘が響くだけで、なにもかもが清々しく生まれ変わる感覚は「かたじけない」存在の交替式がここで行われているように思うのです。
普段、暦通りの行事などできないのですが、お正月だけは別。
カウントダウンライブに行っていようと朝方には帰って来て、家族揃ってお雑煮を祝わなければ、なんだか落ち着かないし、7日には七草粥を、8日には堅くなったりしない切り餅でもお汁粉をいただかなければなりません。
ことに七草の「七草なずな 日本の鳥と唐土の鳥の渡らぬ先に・・・」という唄、鳥インフルエンザだとか、領土問題だとか、ちょっとここのところの世相を反映しているようで、今年は大きな声で歌ってみようかと思ったのでした。

(2011/1/10 WADA)


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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