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2010年8月のコラム


高速道路はやたら安い区間があったり、飛行機も新幹線も正規料金 とは比べものにならないほどの値引ツアーがあり、深夜バスは東京-大阪間が3000円というのもある。
こんなにあちこちに手軽に出かけられるのに、行き先というと有名な観光地に集中する。
東京に特化されてると思うけど、各県の特産品を扱うアンテナショップも充実してる。おいしいものが現地に行かなくても買える。お店単位では、ネット通販でお取り寄せができる。評判のレストランはこぞてって東京に進出する。
ただ、現地で同じように買い物をし、食べ歩きをしようと思っても、ほぼ不可能。
京都・奈良、東京、大阪、神戸。このあたりくらいしか、行きたいところを全部まわるのは無理!な場所はないでしょう。結果、リピーターも増える。
--ちょいと地方に行くと「有名じゃなくても、こんなに美味しいものがこんなに安くいただける」ことに感激するんだけど、東京では 「有名なだけで美味しくないのにやたら高いもの」に人が群がる不思議は逆転できないものだろうか、と思う--

大都市から離れても、景観のいいところ・古刹などは、古くから絵になり歌になり、各時代の観光ガイドブックに載り、小説の舞台となり、行った気になるほど刷り込まれている。
新幹線の停まる駅前にあるわけじゃなく、あれこれ乗り継いで行ってみると、写真で見た景色そのままか、それにカラフルなお土産物店の看板や幟で彩られてて、人の流れを遮って撮影ポイントで記念写真撮ったら「さ、次どこ行くの?」、そこでゆっくりする雰囲気ではないし、いちど行けばもういいやと思ってしまう。
こんな感じで名所に行くとその次が何もない。いや、ないわけではない、はず。観光客っていう一見さんには並みの努力じゃ見えないのだと思う。
それで、アンテナショップに併設の観光センターで「いいところ」 を探し、目に留まったパンフレットのアドバイスを受けて、行ってみる。
「人が知らない穴場」なだけあって、日頃から観光客を意識して手が入っているわけでなく、いや、維持費と観光収入のバランスが取れないから、自然、放置。べらぼうな入場料なりを設定したら、それはそれで観光客は敬遠してしまうし。
本数の少ない電車を乗り継いででも行ってみたい・見てみたいものは、受け継がれてきた技術や文化で、要はそれを繋いできた「人」の手・足跡。伝統工芸も最新技術もやっぱり作ってる「人」がいなければバーチャルな見学で十分となってしまう。
美味しいものを作ってる農家のかたもシェフも「人」だしね。ネットショップで買えても、「人」が見えなければ、いずれ気持ちも下がってしまう。親戚じゃないし、買ってるんだけど、毎年この時期に送ってもらえると思える「顔が見えるようなお楽しみ」が嬉しいわけ。いつか現地で食べてみたい、そう思わせるのも「人」だと思う。

お祭りが魅力的なのは、それの集合体だから。それで全国から人が集まる。
その「お祭り」をパーツに分けたものが、その土地の文化の細部。
作って、守ってる「人」とどう、どこで出会えるか、が一見さんが欲しいもので、また訪ねたいと思うものなんだけど、それはどうしたらわかるんでしょう?「観光」に携わる誰かがアピールしてくれてたらな。
と、この夏、東北の数箇所に行き、用事の前後の時間をもてあましながら思う。


(2010/8/30 WADA)



「アンネ」

 芥川賞受賞作『乙女の密告』を読んだ。女子大生の生活とアンネ・フランクの物語を重ねて、「誰がアンネを密告したか」という問いにも答えようとする興味深い作品である。
 『アンネの日記』は、ナチス迫害下、壁の裏の部屋で暮すユダヤ人の生活の物語だが、印象的なのはアンネとペーターの恋物語だった。思春期のときめきが抑圧された環境のなかで輝いていた。これを読んでも、人体実験や人間の皮、人間の脂で作った石鹸にはつながらず、ナチスの現実よりもロマンティックな物語が印象に残る。さらに日本では、日記の月経の記述から「アンネナプキン」が販売され、「アンネの日」という言葉が定着してしまった。

 先日、SNSのミクシィに、外国人参政権の問題に絡んで、「在日は出ていけ」と書き込んだ人がいた。どうも最近、右傾化した発言を格好いいと思っている若者が多いような気がする。隣国とのトラブルが報道されるたびに目にするが、こういう意識がホロコーストにつながることを感じてほしい。現在も、ホロコーストや従軍慰安婦の存在すら否定する人がいる。膨大な証言や資料や研究を無理やり否定するこのような発言を見ると、唖然とせざるをえない。そしてこういった民族意識は、政治から戦争に利用され続けてきたことを考えるべきだろう。

 『乙女の密告』は京都の女子だらけの外国語大学で、女性と教授の関係の「密告」が重要なキーとなり、それをアンネの「密告」に重ねる。だが、この小説は僕にはマンガ的すぎてしっくりこなかった。この作品は、一つには忘れられつつある『アンネの日記』に焦点を当てて、人々に考えるきっかけを与えたともいえる。しかし、現在の恐ろしく平和で豊かな女子大生活と重ねることには、やはり違和感を覚える。そして「誰がアンネを密告したか」ではなく、「誰が、何がアンネを生んだか」を、右傾化した発言が目に付くいまこそ、考えるべきではないだろうか。

(2010/8/23 志賀信夫)



夏の雲は見飽きない。夏だけじゃないか、秋のうろこ雲も春の霞雲もそれぞれにいい。
が、ぼーっと雲を見る時間があるのは夏ならではなんじゃないだろうか。

もくもくと湧き上がる入道雲。猛スピードでスコールを投げ飛ばす雨雲。月に暑苦しくまとわり着く傘雲。
夏の午後、休暇をとる人が多くて、がらん・のんびりとしたオフィスの窓から、流れていく雲を眺めたり、床に寝ころんで読む本からふと目を上げたとき。
ああ、夏だなぁと眺めつつ、背景の空の色や入道雲の後ろに薄く掃いた雲を見て、同時にもう秋だなぁと思う。

立秋を過ぎると真夏日の予報でも、朝の空は秋色になる。
暑いのも太陽も嫌いだから、夏休みはいらないんだけど、雲を眺めるだけのお休みが一日欲しいな。
できたら、会社で皆が仕事してる中、窓際の席からぼーっと眺めていたい。
いつ、いい雲が現れるかはわからない。仕事しながら、ちらちらと外をみてて、これぞという雲が現れたら「すいませーん!今から夏休みしまーす!」と、、言ってみたいな。
そういう時は炭酸水とアイス。ハーゲンダッツとかじゃなくて、むしろ「ガリガリ君」。それのソーダ味。食べながら読むのはブラッドベリ。ああ、読んでないで、雲を見なきゃ。明るさに目が疲れたら、お昼寝して。目が覚める頃には外も涼しくなってるでしょう。

もしかしたら、夕立があるかも。そしたら、虹が出るまでを見届けなきゃならない。虹が薄れる頃には、西の空に夕焼け。火山灰や大火災の影響が強い時は、夕焼けはキレイなんだそうだ。喜べないけれど、夏休みの一日だけは許して欲しい。

逢魔刻を過ぎると今年の夏は3つの惑星が接近したのが見える。金星の輝きを見たら、やはり秋の気配。
そうだ、この会社、二十六夜待ちに最適の方角なんだっけ。旧暦7月26日といえば今年は9月4日か。寝待ちの月だけど、いちど見てみたい。
そうそう、その前に東京湾大花火大会もここはばっちりみえるはず。土曜日なんだけどなぁ。会社に来る用事もないし、そんなに会社好きなわけじゃないけど、眺めだけは最高だから。休日や夜中は、エアコン入らないから、ダメだな。


(2010/8/16 WADA)



「長寿の秘密」

 6月に大野一雄が103歳で亡くなった。舞踊家は長寿が多い。昨年逝去した宮操子は102歳、3年前の邦正美は99歳だった。

 100歳代も身近に増えてきたと思うと、行方不明のニュース。113歳の女性を皮切りに、各地に数名〜数十名、神戸市では100人以上という。全国だとおそらく千人以上。90代、80代はもっといるだろう。
どうしてこうなるのか。それはデータ主義ゆえだ。データ上の情報だけで行われる行政。かつて国民総背番号制度が議論されたが、住基ネットが広まり、課税情報、年金情報が合体すれば、ほぼ国民総背番号制度になる。問題は、国家などが情報を悪用する可能性、情報流出の可能性、統制国家への道をつくるともいわれる。今回の100歳問題は、このデータ主義への警鐘ともいえる。住んでいない住民票、家族すら所在を知らないなど、人間存在がデータだけになりかねない。

 消えた老人はどこへいったのか。家でミイラ化するのは稀な例だが、税金や年金も自動振込・引落しになっていればそのまま。100歳以上だと子どもも70歳以上で、当人の年金もわずかな時代、黙っている人もいるだろう。年金で不思議なのは、規定年以上加入しないと支払われない点だ。それ以下の人の支払った金はただ取りである。さらに申請しないと支払われないので、支払われるべき年金を受けていない人も大勢いる。

 有名女優ですら孤独死する時代。近隣のコミュニケーションといっても、マンションに70歳以上が何人住んでいるのかわからない。それではどうするのか。例えば、年に何回か会う80歳以上で1人暮らしの人がいる。そういう人のことを気にかける。共通の友人の間で話題にするなど、その存在を自分たちの間で共有する、たまには電話する、それくらいしかできないだろう。

 大野一雄に最後に会ったのは昨年の夏。もう一度、会いにいこうと思っていた。その果たせなかった思いは、残り続ける。


(2010/8/9 志賀信夫)



いつまでも梅雨が明けないと秋の実りが心配になり、体温並みの暑さが続けば、水不足や野菜がへたってしまいそうで。
たまの夕立はなんだかウキウキしてしまって楽しいけれど、浸水したり誰かが怪我したりなんてのはやりすぎ。
雷もガラス窓がビリビリするくらいのも、ひと夏にいちど位は味わって、「梅雨明け3日っていうのよね」なんて言ってみるのもいい。
暑いのも明るいのも太陽も、大嫌いなので夏中雨が続いてもいいくらいだけど、そんなことは言ってられない。
夏ならではのアウトドアなんてまっぴらごめんだけど、暑さを乗り切っての快感も、ま、やっとくか。
ということで、猛暑の週末には、まず、お茶を用意。急須に多めのお茶の葉をいれ、その上に氷を詰めて放置。
そして、洗濯。夏掛けやシーツなどベッド周りの布ものを手動モードでバッシャバシャと洗う。
洗濯機を何度も回しても、干すそばから乾いていくので午前中に最後の回のものまで干せてしまう。
陽に当て過ぎて、竿のあとがシーツにくっきり残るほど。取り込んだ洗濯物の太陽の匂いもこの時だけは嬉しい。
干している間にベッドのマットレスも日に当ててひっくり返しておく。 本棚の上など、ほこり取りのクロスで拭いて、床は箒ではく。水拭きはダメと言われても、棚の上をもう一度ぞうきんで水拭き。
床もモップなんて使わずに小坊主のようにぞうきん掛けする。
洗い立てのシーツでベッドメイクし、太陽の熱がこもらないように扇風機で風を当てる。
アイスとかプリンとか、冷たいおやつをコンビニに調達しに行き、しばし冷房の恩恵にあずかる。
お昼はカレーうどん!汗だらだら!
ここで、お風呂。ボサノバとかゆるめギターのジャズを聴きながら、ぬるいお湯にゆっくりつかる。
あがったら、最初に用意した冷茶がちょうどできてる。がぶがぶ飲める量ではないけれど、深い苦みと甘さが染みわたる〜。
扇風機の穏やかな風のなか、お昼寝。で、起きたらプリン〜。
昼間これだけ汗をかいておくと、洗い立てのリネンだけでぐっすり眠れます。


(2010/8/2 WADA)


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