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2010年6月のコラム



「椿の香」

 子ども時代、初代若乃花の二子山部屋が近所にあり、若貴が走り回っていた。若い力士が巨体を自転車に乗せて走る姿はコミカルだった。部屋前を通ると激しい稽古の声。現在、サッカー日本代表の活躍に対して、対照的なのが大相撲。次々と起こる事件はとても残念だ。

 力士が野球賭博で暴力団と関わることは、何が問題なのだろうか。それが相撲賭博、さらに八百長にもつながるから、特に問題なのではないか。これまで野球賭博、相撲賭博で八百長が報道されてきた。1969から70年の野球の「黒い霧事件」は有名である。相撲でも八百長試合の報道は数多い。黒い霧事件がオートレースの八百長ともつながったように、賭博と八百長は連鎖する。賭博で恐喝された力士には八百長の可能性も出てくるだろう。非合法賭博は八百長を産み、野球賭博は相撲賭博と八百長につながるのだ。

 今回の特別調査委員会報告は厳しい処分を勧告したとする。だが、野球賭博が暴力団とつながっていることを力士は知らなかったという。胴元を知らず想像せずに何十万も金を賭けるものか。この報告では委員会も御用集団と見える。座長と理事長代行となった2人は、力士暴行死事件がきっかけで2年前に入った相撲協会の非常勤理事であり、すでに純粋な外部とはいえない。調査委員会を公募し厳しい追及を行うべきだ。日本相撲協会は財団法人だが、この2人と監事を除いてはすべて角界OB。公益法人としての社会的性格上、1/4は外部登用して再編成すべきではないか。現在、元力士など個人の責任として終息させようという意図がありありと見える。

 子ども時代、鬢付け油の匂いは、力士とすれ違った際や電話ボックスに、独特の甘さで漂っていた。いまも相撲取りを見かけると、あの香りが蘇る。マスコミも一時の話題ではなく、相撲賭博と八百長も視野に入れた根本的な追及を行い、暴力団との関係を断ち切り、角界の輝きを取り戻してほしい。


(2010/6/28 志賀信夫)



サッカーのワールドカップが開幕しまして、今回はテレビ観戦にちょうどよい時差、日本のゲームでなくともテレビでやっていれば見てしまいます。
むしろ、日本のゲームでないほうが、心安く楽しめるかもしれません。
そんな中、「サッカーなんてやってる場合じゃない!」とNHKに苦情が殺到したらしいのが「はやぶさ帰還」。
こちらも夜11時ごろで、いい時間帯だったのに。4年に一度じゃなくて映画にもなっちゃう紆余曲折の、7年ぶりの帰還ですし。
そして、前の事業仕分けで「一番でなきゃダメなんですか?」と言われた日本の科学技術の存亡もかかる大事だったんですが。

ところで、日本人て、無機物への感情移入だとか擬人化して愛でることが大好きですね。
鉄腕アトムならともかく、今回の「はやぶさ」は人型を想像するのは難しい姿ですが、繰り返し襲ってくる困難を乗り越えるけなげさ・いじらしさに涙する人も多かった。
実際に苦労したのは相模原の科学者たちなんですけど、はやぶさチームの中心には「はやぶさ」がいたわけです。
ネットの受け売りなので、信憑性は定かでありませんが、「はやぶさ」が旅立った2002年は設定上では鉄腕アトムの誕生の年ということで、「アトム」という名前も候補にあがっていたとか。
もし、アトムという名前だったら、きっと帰還の様子は生中継されただろうし、それまでもカウントダウンする番組も作られたかもしれません。
日本人が無機物にも感情移入してしまうのは、「万物に神が宿る」と意識して教わらなくても、刻んだDNAがまだ色濃くつながっているのでしょうか。
モノをぞんざいに扱うコも、自分にとって大事な携帯電話はデコったりする、その辺に現れているのではと思います。
神棚を清めたり、仏様を荘厳したりする、そういう意識に近いのかも知れません。

さて、「はやぶさ」の帰還。生中継を予定してるインターネットサイトをすべて開き、そのときに備え、流星となって燃え尽きた「はやぶさ」を見届けることができました。
燃料を温存するためにもう使わないはずだったカメラを使い、地球の姿を撮影させたのは、「はやぶさ」に最期に地球の姿を見せようとする科学者の意気だったとか(T T)
「はやぶさ」が持ち帰ったカプセルの中身も興味がありますが、たぶん成分分析の結果なんて理解できません。
そして、次は「あかつき」から旅立った宇宙ヨット「イカロス」を追っています。
「イカロス」も宇宙空間で自分撮りした写真を地球に送ってきたりして、可愛いんだ、これが。


(2010/6/21 WADA)



「環境と勘定」

テレビの広告はエコ流行り。車を売るために、子どもを使って「補助金、減税」と繰り返されるのには辟易する。新たに買う場合や必要な買い替えの場合は、環境負荷の少ないものを選びたいと思う。だが買う方も、エコを新製品への欲望の言い訳にしてはいないか。買い替えた場合、中古となった製品は、使われれば環境を荒らし、資源ゴミやただのゴミとなっても負荷がかかる。それを計算しないとエコでない。

生物は生存するだけで環境に影響を与えるが、何かを作り出すことは、さらに負荷を増大させ、販売・消費すれば世界に負荷が広がる。それは、砂漠地帯にテレビ、携帯電話が入り込むことを考えれば、わかるだろう。

 原発をクリーンエネルギーとする広告を考古学者が宣伝し始めたころから、エコのとらえ方がおかしくなった。やがて環境サミットの結果、温室効果ガス排出量を途上国と経済支援などと引き替えに取引することになった。これは環境負荷を金銭とする環境の経済化であり、普通に考えれば明らかにおかしい。間違った行為だろう。

 クリーンとされる電気も、発電に原発や石油などを使ったり、ダムを作ったりすれば、環境負荷は大きい。だから環境ビジネス、エコプロダクツなどと巨大な広告費をかけ声高に叫ばれるものには注意したい。その広告自体が環境負荷を生む。いつしか常識になったゴミの分別も、多大な労力で分別されたゴミがリサイクルされず、燃やされたり埋められているのが現実だ。広告に使われるデータも売るためのもので、公的機関が検証しているものは少ない。どこで騙されているか、私たちにはわからないのだ。

ただ、エネルギー不変の法則からすれば、火力も電力も太陽光も等価。酸素を吸い二酸化炭素を吐く人間と二酸化炭素から酸素を生む植物のように、別の意味で「環境の経済」というか、どこかで帳尻、勘定が合うようにできているのではないか。とも思うし、そう思いたい気持ちもあるのだ。

(2010/6/14 志賀信夫)


一般的に「エコ」という行動や考え方にたいへんに懐疑的な立場です。
現在、東京で都会的な生活を送る人のほとんどは他県出身者で、休日には土と戯れて「癒される〜」なんて言ってんだったら、さっさと田舎に帰ればいいのにと思う。
こちとら、先祖代々の街中暮らしですから、ちょっとした林や鎮守の森に置いてけぼりにされただけでドキドキ。
近県の湖や東京湾でさえ、船で出ようものなら、恐怖でいっぱい。
大自然恐怖症です。

「エコ」な皆さんは、いろいろとありがたい効能やメッセージのついた蜂蜜なんかを酸素をたっぷりと二酸化炭素に変えながら空輸したりする。
自宅のベランダや庭に外国産のハーブを植えたりして、日本の植生なんざおかまいなし。
「エコ」なグッズを買いそろえるのもいいけれど、どんなものだって原料がある。思いバッグから「エコ」な素材のバッグに買い替えるより、どこまでもとことん使ってみればいいのに。

で、6月と言えば「キャンドルナイト」。7月には七夕に関連つけてのライトダウンの夜なんかもあります。
電気を使わないのは賛成です。エアコンの室外機の熱気は私の最も嫌う熱なので、それがない夜は大歓迎。明かりを消すのもいいです。星や花火が綺麗に見えるのはいい。
でも、キャンドルは止めようよ。と思う。
同じ程度の明かりを電気で灯すのに比べて、二酸化炭素の排出量(というか発生量)はおよそ5倍です。
しかも、植物性の蝋燭でなく石油パラフィンを固めたキャンドルです。石油製品ですよ。燃したらどうなりますか?
ダイオキシンだの有害物質だのが発生するんだろうなぁと「エコ」に興味がない私でも、思います。
酸素の直火焼きです。100万人もが石油製品を燃やすと、それなりに気温も上がるんだろうなぁとかね。


(2010/6/7 WADA)


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