Arts Calendar/column

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2010年5月のコラム


大野さん

1977年、第一生命ホールの二階席から、その姿を見ていた。バッハの『トッカータとフーガ』の重厚なパイプオルガンの音が響くなか、客席から異形の存在が立ち上がる。白塗りに化粧、紅を差し帽子にマントの老婆のような人。媚を見せながら静かに舞台に上がっていく。すると倒れ臥して暗転。しばらくすると、明るいシュミーズのようなワンピースの華奢な少女が、恥じらいながら起き上がる。
ピアノがバッハの『平均律』を奏でると、下手からピアノとともに運ばれる男性は裸身の上半身をピアノに預け、両腕を左右に開き、磔刑のキリストにも思える姿で、流れるピアノの音の中に浮かび上がる。
気がつくと、涙がこぼれていた。なぜ泣くのか、自分でもわからない。しかし確実に何かに触れていた。それは一つには本物の芸術であり、おそらく大野一雄その人とその心だった。
そのときから僕は大野一雄を追い続けている。代表的な舞台はほとんど見続け、二十年近くたって、関わっていた雑誌で、インタビューをしようと決心した。そして初めて上星川のお宅に伺ったとき、わざわざ坂の下まで迎えに来てくださった。足が悪いのに。そうして、あの『ラ・アルヘンチーナ頌』のビデオを自らダビングして準備してくださっていた。
インタビューを始めた二時から気がついたら八時すぎ、時に踊りを交えて話す大野さんと奥さんのカレーを食べて、スタジオで衣裳を見ながらまた話す。尽きない。それからアトリエ公演などに伺うようになった。
そして僕は、このインタビューから舞踏、ダンスについて次第に文章を書くようになって、いまに至るのだった。
だが、大野一雄の踊りの魅力について、まだ書ききれない。というか、わからないのだ。なぜ、すごいと感じるのか、なぜ泣くのか。 そして今日は、それとは異なる涙を流し続けている。あの暖かい掌の感触を感じながら。

合掌

(2010/5/31 志賀信夫)


「魂の風景」

 横須賀で舞踏家大野一雄の映画の上映会があった。横須賀シネクラブが主催し、滅多に見られない『魂の風景』を上映した。上映されなかった理由の一つがオリジナルプリント1本しかなかったこと。そのためにシネクラブではニュープリントを作り、上映料の代わりに制作会社や大野研究所、海外のライブラリーなどに寄贈するという。驚くのはそれを会員がお金を出し合って行うということだ。30年以上続くこのシネクラブは、海外からもフィルムを購入してきた。ボランティアによる地道な活動が映像文化を支え続けてきたことに感銘を受けた。
 横須賀は基地の町。原子力空母が配備され、イージス艦の母港。普天間基地問題がマスコミを賑わしているが、いつの間にか鳩山叩きに転じている。鳩山首相はある意味で正直に発言し、避難の的になっている。基地撤廃、国外移設のために何ができるか。自民党政権が50年以上できなかったこと、手をつけられなかったことを一歩でも進めるには、どうしたらいいか。新聞や毎日ワイドショーに登場する人々も、首相や政権に責任を押し付けるのではなく、現状を変えるための提言を示して前向きの議論をすべきではないか。
 現在の流れでは、普天間問題などから解散総選挙、そして自民党から分かれた小政党が獲得した票で自民党と連立政権を立て、再び自民党に戻るという、繰り返されてきた一種の詐欺的手法とともに、基地問題は進展しないままになりかねない。
 大野一雄は長い従軍体験を心に抱き、死者とともに踊り続けてきた。横須賀も沖縄も軍隊という負の存在に苦しんできた。抑止力とは名ばかりで、今も横須賀や普天間の軍隊が中東を攻撃し続けている。日本では、多くの人が「基地NO」の思いを抱いていることは確かだ。この機会に、どうしたら基地をなくす方向へ少しでも進められるのか。青く晴れ、月と金星が驚くほど近づいた横須賀の空を見上げながら、そんな思いにとらわれた。


(2010/5/17 志賀信夫)


今年もGWは引きこもり。
子供の頃は人並みに「どこか連れってって〜」と言っていたような気もするのだけど、いい思い出がない。
体が弱くて、出掛けると同じ時間分、寝込んでしまう子だった。それでか〜、新緑はベッドの中から眺めてた角度が記憶にある。
さらに「どこそこに行く」と早めに子供に言ってしまうと愉しみにしすぎて、はしゃいで熱を出す。だから、休暇を前に計画を立て、指折り数えて待つ、ということもなかったっけ。

後ろめたいこともなく、数日まとめて休めるのは社会人には嬉しいものだけど、GWを心待ちにして、3日にはどこへ、4日はここ。それよりも3泊して遠出しようか。そんな計画をするなんて考えもしない習慣になってしまって、突然「え!明日から5連休?」という事態の繰り返し。
人ごみには、その分、マナーの悪い人も多く、そのストレスは受ける前からストレスになるくらい腹が立つので、それを避けたいし。

だから、近頃では、読みたい本を積み上げ、音楽を用意して、大好きなお菓子やパンととっておきのお茶。これからの季節用の麻の部屋着を新調して、連休は引きこもることにしている。
ニュースでの、どこそこのインターチェンジで渋滞何十キロとの報に高笑い。
体を動かしたくなったら、床をぞうきん掛けしたり、窓を磨く。冬用のカーテンやベッドカバーもガンガン洗ってすぐ乾く。そのあとで大の字になって昼寝して起きたらプリンが出来てる。そのくらい時間がたっぷりある。
近所の骨董市や植木市に行ってみるくらいはするけれど、三度の食事は家で食べるのを基本とする。
せいぜい、見かけた和菓子屋さんで柏餅を買ったり、一目惚れした空豆を抱えて帰ってきたり。
そうすると、緑や風の恵が本当にじっくりとしみ込み、体で味わえる。


(2010/5/10 WADA)


「赤いパンツと微笑みと」

 巣鴨近くでNPOの会議があったので、とげ抜き地蔵を通った。巣鴨から地蔵通り商店街入口の真性寺を眺め、それから歩いていくと、連休ということもあって凄い人。自分より年下を見つけるのが難しい群れは、年長の女性が多い。街頭のレトロな音楽演奏に集まる人々、両側の店には人だかり。列をなしているのは甘いものの店。そして下着をはじめとする衣料品の店が盛況だ。いずれも数百円の値札でとにかく安く、1円というものまである。有名な赤いパンツが、ひらひらと風景にアクセントを添える。

 なるほどこれがとげ抜き地蔵の魅力だ。地蔵にお参りするだけでは、こんなに人は集まらない。衣料品を激安で買えて、和菓子も何も安く、一服を楽しめる。たまにド派手な服のおばあさん。原宿と同じだ。ファッションの激安店に女性たちが集い、ド派手ファッション。だから「おばあさんの原宿」なのだ。クレープのかわりに饅頭や団子をほおばる人々。元竹の子族は、さすがにまだいないだろうか。

 次に根津のギャラリーに行った。忍ばずの池への通りは広い車道だが、一本裏に入ると下町の路地が続き、迷路のような道、行き止まりに入り込んだ。植木が飾られた家々に猫がうろつき、心和む。先日の銀座は訪れるたびに様変わりしている。新しいデザインの巨大なブランド店が増え続け、昔ながらの店は肩身が狭そうだ。だがブランド志向は少しずつ薄れている。新しい店は次々と入れ替わり、残るのはがんばる古い店たちだけかもしれない。

 どの街も連れ立って歩く人が多い。おそらくみんなが求めているものは、買いたい「モノ」自体ではなく、それを介しての友や家族とのつながりだ。彼らの楽しげな顔は、人と一緒にいる喜びだ。それには昔ながらの街並がよく似合う。だが植木や猫ではなく、黒服に守られた銀座の最新のコンクリートやガラスのビルには、そんな微笑みではなく、「モノ」への欲望が映っているようにも思えるのだ。


(2010/5/3 志賀信夫)


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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