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2010年4月のコラム


ようやく
青柳の糸よりかくる春しもぞ みだれて花はほころびにける
紀貫之
という陽気になってきたけれど、数日前は

さくらちる木のした風はさむからで 空にしられぬ雪ぞふりける
紀貫之
ならぬ
さくらちる木のした風はさむすぎて 空にしられて雪ぞふりける
  ***
って感じでした。

春といえ、寒すぎる時には目にも入らなかったものが、目に留まり、財布も紐も我が顔も緩みます。

柏餅!

その前に桜餅ってのもあったはずですが、今年はさすがに店先でお茶を挽いていた模様。

この柏餅、かしわの葉に包まれていなければ、ただの餡入りのお餅です。
七難隠す色白のもち肌は麗しくても、さっぱりしすぎる容姿。
それが、柏の葉をあしらうだけで、錦を纏うがごとし。

文化は成熟したような先進国家で、日本ほど「そのへんの葉っぱ」を食べるためではなく、単なるアクセントでもなく、食物に用いる国はないのではないかと思います。
桜餅は、大島桜の葉を1年越しで仕込んだものだそうで、塩漬けだからちょっと違うかと思うけど、柏餅、ちまき、椿餅と、青々とした葉で包まれた艶やかな甘味は、保存だの殺菌だとのいう以前に、やはり神さぶる国の気持ちが強いと思うのです。
季節を体に取り込んで、何かのちからで守ってもらいたい。
その約束の青葉。
神社での玉串の青さにも通じるものだと思います。


(2010/4/26 WADA)


「つぶやきの時間2」

 携帯電話の請求書3万円にビックリ。パソコンが壊れたため、原稿を書くときにかなり頻繁に携帯サイトで調べる。古い機種だがグーグルも十分検索できる。しかし何より、この金額はツィッターのおかげ?だった。
 1月にこのコラムで「つぶやきの時間」として紹介したが、「はまりすぎないように」と書きながら、はまった。携帯からはメールで入力できるので、文字送信は普通のメールと同じ。ただついつい撮った写真も頻繁にアップ。そしてサイトで自分への書き込みを見たり直接書き込んだりすると、パケット代、つまりデータ通信代がかさむ。日本語は1文字2バイトで200字でも400バイトだが、写真は40キロバイトだと100倍、つまり文字メール100回分。サイトには画像が多く、かかる時間からみると、読み込むたびに相当の量のデータをダウンロードする。
 いまスマートフォンと称して、パソコン機能を強化した携帯電話がブームのように報道されている。マックのiPhone人気にウィンドウズ系が追従しているが、グーグル検索なら数年前の機種でも十分。持っている携帯電話の機能すら多すぎて、使いこなす人はわずか。そしてパソコン同様のトラブルも高まる。
 ツィッターはいい点もたくさんある。先日、トークやライブをやったが、告知の書き込みを見て来てくれた人が何人もいた。書き込んだことで見知らぬ人とつながり、会えない知人・友人と交流できる。ただ、1日10くらいすぐ書き込んでしまう。電車の待ち時間などだが、それでも時間と労力を使い、ブログなどへの書き込みも疎かになる。
 そうやって、遅くに家に帰って、録画をチェックしつつ食事をして寝る。寝るときに本を開く。それが一番落ちつく時間。数百円の文庫が犯罪、恋愛、政治、哲学、あらゆる世界に連れていってくれる。この古典的なメディアが人間の想像力と創造力を支えてきたし、それは今後とも変わらないと、一人つぶやくのだ。


(2010/4/19 志賀信夫)


「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言葉があるそうです。
梅は枝振りを愛でるためか、実を味わうためか、どちらがメインなのか、わかりませんが、とにかく花が終わり、実を採ったら、剪定するものなんだそうです。
でも、桜は、何があっても切ってはいけない。
そりゃ、伸びる方向に何かあれば、切らなければならないこともあるででしょうし、桜とはいえさくらんぼ畑では高く伸びすぎないように切ることもあるでしょう。
でも、花を楽しみたいなら、決して切ってはならない。
という鉄則があるらしいのです。

昨年の秋も深まり、桜の葉も赤く色づいていたころ。
近所のソメイヨシノ5本の枝が切り払われました。
野球部に入って強制的に丸刈りにされたように、あらゆる枝をすっぱりと。
何か病気があったとか、そういう理由とも思えません。
もしかしたら、と思うのは、その桜の枝が隣接するスーパーマーケットとの境界線を越えていたくらい。
近所でも、評判のよくないお店なので、「あの店が何か言いがかりをつけたんじゃないの?」という声がちらほら。
案の定、ほどなくして、桜の枝が伸びていたあたりに、有料駐車場へのゲートが設置されました。
近所の人が自転車で買い物に行くくらいのお店なのに、ご大層な。

痛々しいというか、かわいそうと言うか、みっともないと言うほどにされた桜は、当然、今年の花は咲かないものと思っていました。
他の桜のつぼみが膨らみ、一輪二輪と開いていくときに桜自身もさびしく情けない気持ちであろうと。

ところが、咲いたのです。
幹や切られなかった太い枝のところどころから。
まるで、舞妓さんの花簪のように、丸くまとまった花の塊がいくつも咲いています。
花にいく栄養が他の木よりも豊富なのかもしれません。
ぷりぷりと弾けるように咲いています。破顔一笑! 元の枝振りを取り戻せるのか、また秋に伐られてしまうのか、今はわかりませんが、伐らせた者をあざ笑うかのように、見事な生命力を見せています。


(2010/4/12 WADA)


小さな非日常

 土日にそれぞれ花見に誘われて、土曜は行けずに日曜だけ行った。いわゆるお花見をするのは何年ぶりだろう。
土曜は快晴で日曜は曇ったから、ちょっと寒かった。新宿御苑前にさしかかると凄い列。でも、十分くらい待つと入れた。
 すると、反対から戻ってくる人の群れもある。なるほどここは手近なため、散歩がてら花見をする人も多いようだ。入口付近には座って見る人たちがたくさん。しかし奥に進めば、十分場所が取れる。どうして狭いところに無理して集まるのかというのは、花火を見に行ったときも感じたことだ。
 奥にブルーシートを敷いて三々五々、三十人くらいが集まった。こういう花見の面白さは、人と人のつながりで、知らない人が集まってくることだった。といっても、話をすると意外なところでつながっていたりする。ただ、普通の会場でのパーティは話しても数人単位で、同じ自己紹介を繰り返すようになってしまうことも多い。
そうして多くの人に会うと、どの人に何を話したか、酔いのせいもあり曖昧になることもしばしば。だが、車座っぽい花見だと、話題を共有できる時間が長く、それがなかなかいい。
 もっとも、桜を鑑賞するのは、行き帰りくらい。後はもっぱら呑んで食べて喋ってという状態だ。だが飲み会、パーティというと準備も会費もあるし、ためらいもある。花見だと参加しやすい。そして、踊りたい人が踊ったり、音楽などをその場で楽しんだりする。解放された自由な感覚は野外ゆえだろう。新宿御苑は本来、酒持ち込み禁止というが、周囲を見回しても、それにこだわる人はいない。通常、公園で呑んでいきなり踊ったり、音楽をやったりすれば、「何か」と思われるが、花見では許される。花見に惹かれるのは、日常の公園がちょっと非日常になるところだ。
 それによってリレッシュしたり、新しい出会いがあったりと、久しぶりに参加して、花見を見直した週末だった。ただ、ついつい呑みすぎるのが、欠点かな。

(2010/4/5 志賀信夫)


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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