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2010年3月のコラム


春の高校野球「センバツ」真っ盛り。
休日の昼間にNHKを見なければ、気がつかないほど、情報や生活が多様化してるんだろうか。なんて。

高校野球に感じる郷愁というのは、モノクロにしたら、いつの試合だかわからないような、坊主頭で気持ち悪いくらい礼儀正しくキビキビとした選手たちでなく、アルプススタンドのブラスバンドが演奏する曲目のせいじゃないかと思う。

十年一日のごとく、タッチ(1985)、宇宙戦艦ヤマト(1974)、海のトリトン(1972)。
私でさえ、リアルタイムで見たかどうか記憶が怪しいアニメの主題歌。10年どころではない、最新の「タッチ」でさえ25年前。歌詞だけ見たら、どこが野球と関係あるのかわからないし。
ブラバン部も選手も、見たことないだろうに。

コンバットマーチに至っては、パロディとしてコントで見た記憶はあるが、もとのアメリカのドラマとしては見ていない。
あ、調べたら全く違ってました。
「コンバットマーチ」は作曲当時にヒットしてた米ドラマ「コンバット」からつけられた曲名で、早大野球部の応援のために作曲(1965)されたとのと。

チャンスに演奏される「狙いうち(1973)」も高校野球で聴くばかりで、もとは何だったっけ?
先日、浦和に行った時に、浦和とつく駅の多さをネットで調べてたどり着いた「替え歌」と同じと知り、突然「山本リンダ」と繋がり、深く納得した次第。

割と新しくレパートリーに入った曲でも「暴れん坊将軍(1978)」「パラダイス銀河(1988)」

今、アルプススタンドで演奏される曲は、選手の父母たちがコアな世代かもしれない。

ところで、どの高校も同じ曲を同じ編曲で演奏するのは何故だろう。
「ブラバン!」のCDがヒットしてるという。これを買ってみたらライナーノートに秘密が明かされているかもしれない、が、そこまでは。。。
ビッグバンドは好きだけど、そんなに日々盛り上がらなくてもいいし、好機もそうそうないし。
中学・高校でブラバン所属、現在プロのミュージシャンになった知り合いも何人かいるけれど、訊いてもたぶん知らないだろうなぁ。

実は、数年前の新聞に同じような疑問に答えるコラムが載ったことがある。
その記事が検索で見つからず、「へー」と納得すると肝心のところを忘れてしまうタチなので、今思えば疑問はまだまだあるのだけど、どこかの高校野球好きの楽器屋さんが「これは応援によかろう」と思う曲をブラバン用に編曲し、主要な(?)ブラスバンド部に送っているとのこと。
いかに高校野球の強豪校とは言え、ブラスバンド部だって自分たちの大会やコンクールがあるので、次はいつかわからない応援用に曲を選び編曲し、練習して備えておく時間は取れない。
そして、その楽器屋さんにしても、毎年レパートリーを増やすのは不可能。
結果、楽譜は代々引き継がれ、他校にも融通し、いつも皆が同じ曲を演奏することになる。
最近は、人間の代わりに耳コピしてくれるソフトもあり、新レパートリーを増やしやすくはなっていると思う。
実際に、ある高校だけが演奏する新曲を耳にすることもある。たまたま、その演奏中にチャンスを逆転されたりして、縁起が悪いとお蔵入りになるのだろうな。
数多い場面で演奏する曲のほうが、チャンスに貢献した印象も強くなる。
そして、結局、いつも・みんな・同じになってしまうのだろう。

定着しつつある最新曲は、大塚愛の「さくらんぼ(2003)」あたりでしょうか。
これはきっと、ブラバン部主導なんだろうな。

(2010/3/29 WADA)


「存在しない青少年」

 非実在青少年という奇妙な言葉。東京都が出した「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案の中の項目だ。性犯罪、特に幼児ポルノなどに対する対策、未成年者の性的被害を減らすのが目的であり、性犯罪を減らすことに非を唱える人はまずいない。ただ、表現に対する規制につながることを、発案者は考えるべきだった。
 非実在青少年というのは、具体的にはマンガやアニメなどの18歳未満の登場人物。その性表現に対する規制である。18禁のマンガ、アニメやゲームなどはロリコン系が多く、驚くような表現もある。性や殺人の表現などが犯罪に影響を与えることがまったくないとはいえない。しかし、これはいまに始まったことではなく、小説の影響で犯罪を起こしたという話は19世紀からある。むしろ、性表現が安全弁となって、直接行為ではなく性欲を満たす面も多いにあるだろう。自らの経験を振り返ってみれば、小説、雑誌、マンガ、映画、ビデオなどの多くに影響を受けてきたが、犯罪を犯しはしない。統計や社会学的研究でも相関関係については否定的意見がある。
 非実在青少年。非実在ということは想像力の産物である。つまりこの規制は、想像力による表現を取り締まることである。表現は個別のもの。それを一つの網で括って取り締まるのは為政者の発想だが、それによって抑圧する構造を強めることは、規制が厳しい国ほど性犯罪が多いという統計でも現れている。また芸術表現の多くは性表現を抜きに考えられないことは絵画や文学を見ればわかる。モンロー、ジェームス・ディーンといった「セックスシンボル」が映画を発展させてきた。マンガやアニメ文化も性表現なくしてはここまで発展しなかったといえるのではないか。
 この改正案は大きく問題として取り上げられ、先送りされた。だがそれよりも、性犯罪の防止には性表現の規制という発想は、そろそろ見直されるべきときではないだろうか。


(2010/3/22 志賀信夫)


「より高く」

 昼休み、思わず定食屋に時間を合わせて行ってしまったほど、今回のフィギュアは気になった。ジャンプも魅力的だが、体を変形させたフォルムでの急速な回転は、初めて見るととてもインパクトがあった。そして芸術点があり、芸術性があるといえる。
 しかし、これはあくまで「芸術的」であり、「芸術」ではない。ある舞踊関係者が、いまの舞踊家もあれには適わないといった。こういう発言が誤解を招くだろう。スポーツは競技であり、芸術は競技ではない。もちろん賞などにノミネートすると、審査では競われるが、当人が誰かと競うものではない。

 僕も近年いくつかの舞踊賞やフェスティバルの審査を行い、便宜的に点を付けたりするが、それは審査の議論をいったんクリアに行うためのものであり、本来点数を付けられるものではない。そのことからも、競技ダンスといわれるソシアルダンスはスポーツといえるし、ヒップホップやストリートダンスもテクニックの優劣を競う要素が強く、僕にはスポーツに見える。もちろんその技法で芸術といえる作品を作っている人もいる。
 バレエはテクニックを競う面もある。回転もより速く、高く、多くといった部分がある。実際にバレエダンサーにはアスリートの体力・筋力が必要だろう。これはソプラノやテノールの歌手がより高い音、大きい声を出すのと似ている。だが、表現の質が大きく問われる。

 フィギュアやアイスダンスでも感動はある。身体の与える感動の本質は変わらないのかもしれない。しかし芸術は技術ではない。技術を上回る表現の力があってこそ、技術も生きる。拙いギターやピアノでいい声でもないが、感動する弾き語りに出会うことがある。ただ、立ったまま動かなくても踊りになるといわれる舞踏でも、訓練は必要だ。そうやって、訓練を積んで、高く飛ばなくても、低く地を這おうと、何か高みのようなものを感じさせるものが生まれる。それがきっと芸術の世界なのだ。


(2010/3/8 志賀信夫)


目黒雅叙園の「百段階段」を使った「百段雛まつり」に行ってきました。
雛街道として有名な山形県からの出品が主なもの。
数年前に突如「雛ブーム」に取り憑かれ、京都と東京で見られる江戸時代あたりの主なものは、手当り次第に見に行きました。

徳川御三家や大名家など、行きやすい美術館で見られるものもほとんど。
ブームが終わりかけた頃、山形県には江戸・京都に紅花や米を運び、その利益で贅を尽くした雛人形を購い、現在も旧家を中心に数多く保存・展示されていると知りました。
ブーム終盤でもあり、失礼ながら見飽きてもいた頃「山形は遠いな」。
他に何か面白いものがあるとか、イベントでもなければ行くことはないだろうと。
忘れかけつつも、春になれば「山形雛街道」の旅行パンフは目に入りますが、行く気にはならなかったまま数年。
それが、今回、目黒のあの雅叙園のあの百段階段でお雛様の展示があると!

百段階段がどういう空間かというと、昭和の初めの木造建築。およそ百段の階段が続く廊下に6つの部屋がある、蟻の巣のような構成になっています。
各部屋は、荒木十畝の花鳥画と豪華な黒漆・螺鈿細工で飾られた部屋、柱・欄間にとんでもなく立体的な木彫で物語が施された部屋。
これぞ雅叙園的な派手さというと想像がつくでしょうか。
最上階は鏑木清方の美人画に囲まれた「清方の間」。
その各部屋に酒田市の豪商や旧家からのお雛様が出張ってきてるわけです。
百段階段の部屋を見るだけでもきゃーきゃー騒ぎたい豪華なところに、元禄や享保の贅を尽くしたお雛様。
かなり、楽しい時間でした。

ただ、各部屋の絵画や彫刻の痛みが激しいのが悲しい。「魚礁の間」の木彫は色が落ち、あちこちが欠けてしまったそのままで、「清方の間」の美人画はシミやカビでせっかくの美人が台無し。
お雛様も見たかったけど、部屋の装飾も楽しみだったので、各部屋の係員さんに「なんで修復 しないの?」といちいち突っ込んできました。
さらに惜しいのは、係員さんがこの百段階段の部屋部屋については何も勉強をしてないこと。
お雛様についても質問は困るようで。。。

私が行ったのは平日の閉館1時間前。いちばん空いてる時間を見計らって行ったので、さほど混雑はしていなかったけど、1Fロビーには、あのグルグルと並ぶ柵があるところを見ると、休日や昼頃にはかなり混雑したのでしょう。
まぁ、説明を求める・応えるような余裕はないからなんだろうな。


(2010/3/1 WADA)


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