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2010年12月のコラム



「戦場から扇情へ」

 ウィキリークス、海老蔵の話題が収まったら、APF通信代表が盛り上がっている。海外で活動する独立ジャーナリストとして、アジアプレス・インターナショナルとともによく知られ、2007年のミャンマー軍による長井健司さんの殺害事件で注目を集めた。一方、なぜかテレビのお笑い部門では、「戦場カメラマン」渡部陽一が、その話し方とキャラクターで引っ張りだこだ。
 ロバート・キャパ、一ノ瀬 泰造など、戦場カメラマンは過去にも注目を集めてきたが、いまはビデオを駆使するビデオジャーナリストも多く、時にその映像がテレビの画面となる。そんな「戦場」という非日常からの報道、「死を賭した仕事」が輝いて見えるのは確かだ。わずかな経験だが、アフガン難民キャンプを取材しているとき訪れた、タリバンを生んだといわれる街ペシャワールは、アフガン空爆の時期、外国人もわずかで独特の雰囲気、緊張感だった。そのときに、さらに留まって取材したい、もう一歩踏み出したいという誘惑に駆られたことを思い出す。

 時には制約のある取材、政府や軍の情報に偏ることがある一般の新聞や通信社に対して、独立ジャーナリズムの存在意味は極めて大きい。だからこそ、このような三角関係で盛り上がるのは非常に残念だ。テレビにとっては、戦場カメラマンも、女装や肥り過ぎの同性愛芸人と同等なのだ。しかしそんなテレビが、報道の自由の看板を背負って巷を徘徊するのが現実なのだ。テレビキャスターやコメンテーターは、もはや見世物小屋の呼び込みでしかない。
 どうみても、単なる酒の上の喧嘩にすぎない海老蔵問題や些細な不倫問題、いずれも明確な「被害者がいない」話を「事件」に仕立てて追う。他にやるべきことがあるはずだ。僕たちには、テレビやマスコミが、見世物小屋へと煽って人々を妙な方向に導かないように、そしてうかつに乗せられないような意識が必要だろう。
 来年がいい年になりますように。

(2010/12/27 志賀信夫)



今年の重大ニュース!なんて季節です。
いろいろなニュースサイトで、候補の中からユーザーの投票で「重大ニュース」が「十大ニュース」に絞り込まれ、って流れでもっと押し迫った頃に発表されるのでしょう。
その重大な候補を見て「そうか?」と思ってしまう私。そんなに重大なことかいな?というのと「それは今年の話?」「入ってない? あれは去年のことだったの?」と、世間の流れからは逸脱していることを思い知らされたような気分です。
頑張ったけどダメだったっていうのは、ランクインするべきものじゃないと思うんだけど。ランクインさせなくても、そこから発展できる大きな材料になるのなら、何年後かの「重大ニュース」の頃に「あれがよかったんだよね」とおのずと思い出されると思う。
当社比ではランク外のスポーツの話。
冬季オリンピックは今年だったのかぁ。。。いまだ、荒川静香選手のイナバウアー→金メダルの印象で止まっています。
フィギュアスケートについて言えば、この荒川選手の快挙から特に女子選手の注目度が上がり、国内・国外の大会すべてにテレビのお祭騒ぎが付き物となった結果、オリンピックでさえも通年の大会と同じ騒ぎになった。ということかな?と。
騒ぐけれど、それぞれの印象が薄くなり、荒川選手から上書きされないものは、「重大ニュース」ではないということ。

重大ニュースランキングに多く挙り、自分でも妥当と思うのは「宇宙もの」
野口聡一さんの長期宇宙滞在、その期間中の山崎直子さんの国際宇宙ステーション訪問。ツイッターで毎日のように送られる宇宙から見た地球・日本の写真は今でも保存しているものもあります。
個人的には、「はやぶさ」帰還・イトカワの何かを持ち帰ったってことが一番。
宇宙の話は、凡人には想像もつかないうえに理解もできない仕組みや計算があって「わかんない、わかんないけど、すごいぞ!」と思える圧倒的な映像や成果にドキドキし、日々のあちこちにある伏線に気付くとまたとんでもなく楽しい。っていうのがすごい。(すごい、という身も蓋もない感想しか浮かばないのがいい)
そのほか、記録的豪雨による災害も重大ニュースに入れておきたい。でも、これは二酸化炭素排出量が、人間生活による地球温暖化、なんてとこに関連づけてはいけないと思う。それが原因だとわかっているなら、もっと防ぎようもあるし、ピンポイントの警戒もできるはずだし、的外れなことばかりするエコな人々や政府への責任はもっと追求されないといけないでしょう?
流行語・事象にも挙げられている「断捨離」。身の回りのモノとの関わりをどうするか、ってことらしいのは、自然と耳に入ってくる。「流行ってるらしいね」「やってみようかと思って」と、本を買う人々。「断捨離」って明確に文字で表されているんだから、買う前に自分でちょっとだけ考えてみろよ、と思ってしまう。著者の書いたこととは違うかもしれないけど、この文字を自分で考えて実行することこそが「断捨離」の成果だと思う。片付け指南の本、買った時点で「負け」でしょう。

(2010/12/20 WADA)



怒涛のように押し寄せる用事の中で、ふらつかずに立っていられるよう、コラムのお休みをいただいておりました。
なんとか踏ん張りきることができ、何かを探したり、翼を広げたりもしないうち、季はもう冬。秋を飛び越していました。
さんざん書いてきたことながら、夏が大嫌い。すると秋の訪れが楽しみではあるのですが、私にとっては秋ではまだまだ甘い。
まだ、どこか空気が湿っぽく、金木犀の香りも甘すぎる。夏が終わる切なさに酔うのも、夏嫌いには恨めしい。
初冬のつんとする空気。ヒバかヒイラギか、常緑樹の緑からあふれ出るようなシンとした香り。寒くても寒くてもこの冷たさと香りが好き。堂々とダウンが着られる寒さにならないと。

神無月に神様が出雲に行き、戻ってくる師走。ここからあらたまるとも思えます。
事始は12月13日だけれど、カレンダーが残り1枚になる前には、新しいカレンダーも手帳も手元になければ心もとない。
新年を迎える前にクリスマスカード。そして年賀状。渡す相手がいなくてもポチ袋。
引き出しの中には、新しく、でもまだまだ使わないものたちが時が満ちるのを待っている。それらを取り出しては眺め、またきちんと、そっと収めてを繰り返して、冬が深まっていきます。

お茶を飲むのに沸かす湯の松風も懐かしい。うちでは石油ストーブを使わなくなったので、上にやかんを乗せたり、お鍋を乗せたりの楽しみがなくなってしまったのが残念。
寒い自室からキッチンに飛び出して、抱きつかんばかりに電気ケトルにまとわりついて、お茶をいれ、あつあつのマグカップを手にまた寒い部屋に戻る。
傍らには図書館から借りてきた本。何度も繰返し借りるのだったら、買えばいいのに、たくさんの人が読んだ気配の残るやわらかくなったページの温もりも、ケストナーや古いSFには大事なしおり。
お茶を飲んだり、ページを繰ったりしていると美術館に行きたくなってくる。出かける支度をしていると、もう陽は斜めに、ぎりぎりの日向しかない。冬の午後は短い。逢魔刻のあやふやな時間も短くて、その分、夜が長い。特別なお休みでなくても、あなぐらで冬篭りしてる気分がたっぷり味わえるのもよし。
そうか、朝起きたらすぐに美術館に行けばいいんだよね。でも、いつまでもお布団に包まってぬくぬくごろごろしてるのも冬の朝の大事。早めに出かければそのぶん、一日は長くなるんだけど。愛しのお布団さんとは離れがたく。。。


(2010/12/5 WADA)


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