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2010年10月のコラム



「三原則の意味」

 NHK『貧者の兵器とロボット兵器』は衝撃だった。自爆テロをするアフガンのタリバンとロボット兵器を使う米軍の戦い。ハリウッド近くの米軍基地で、画面を見ながら、無人飛行機プレデターで地球の反対側の人を殺す訓練を受ける若い兵士たち。「高いところは怖いし、安全でいい」と笑う女。米国の若者は安全な場所でゲームのように人を殺し、紛争地域の若者は自ら爆弾で特攻する。
 そして日本では「武器輸出三原則」を見直す話が持ち上がっている。これは「共産国、国連決議で禁止されている国、紛争当事国とその恐れがある国には武器を輸出しない」というもので、三木首相時代に「それ以外にも輸出を慎む」として、日本が平和国家である証の一つになっている。自民党政権時代にも見直し案はあったが、民主党政権が持ち出すとは驚きだ。景気対策に事欠き軍需産業とは語るに落ちた。「死の商人」化は、国際紛争を長引かせ多くの人々を殺す。「アイボ」が人を殺す時代も遠くはないかもしれない。
 米国では多くの会社が軍需ロボットに参入している。しかし私たちと遠い話ではない。お掃除ロボット「ルンバ」の米国アイロボット社もそうだ。米の軍事費で「多目的ロボット」を開発し、ルンバや地雷処理ロボット、攻撃可能なロボットをつくっている。
 これはアシモフの「ロボット三原則」に抵触するとも指摘されている。この三原則は、「人間を攻撃しない、人間の命令に服従する、自分を守る」で、「人間に害を与えない」ことが第一義。だがすでに、空中から遠隔操作で無人飛行機が人を殺している。
 私たちは、テレビで米軍の非道に怒るが、その足元で軍需産業のロボットに掃除させ、日本の武器輸出を黙認しつつある。科学技術の名の元に若者が殺されていく。これら「三原則」は私たち自身を律するものとなっているはずだ。もう一度、それを本当の意味で「見直して」、平和への意思を再確認すべきときではないだろうか。

(2010/10/18 志賀信夫)



「舞台のリアル」

 気がついたら水曜日になる。日曜日に公演があって、そのまま都内に2泊したため遅れてしまった。お詫びします。
 僕はダンスなどの舞台を中心に文学、美術などについて批評や文章を書いているが、音楽も少しやっている。子どもの頃から楽器に親しみ、即興で音を出すことが好きだ。今回はそんな音で2人の踊り手に踊ってもらい、演出らしきことを少しやった。参加したのは舞台芸術のフェスティバルで、スタッフワークなどもすべて参加団体メンバーがやるというもの。やってみて、つくづく舞台は大変だと体感した。
 これまでもライブに出たり、ダンスと音楽でやったり、昨年末には舞踏家4人、音楽家4人のゲストで公演、新年も「舞踏駅伝」を行った。舞踏家にソロで踊ってもらう企画を2本やったこともある。いずれも、まず大変なのは、やはり観客集めだろう。そして、次に大変なのが、当日などの舞台づくりである。場あたり、リハ、本番と短い舞台でも1日に3回動く。もちろん大きい舞台だったら前日か前々日にリハ。そして、照明・音響などの意図を伝えて思うとおりの舞台を作るのが、なかなか難しい。
 だから舞台作りの大変さは体で感じるものだ。そんなに動いていないのにヘトヘトになる。だから、少しでもいい言葉をかけてもらうと報われる。ゆえに批評家が嫌がられるのもよくわかる。だが批評家自身も、読者の批判に晒されていることは忘れられがちだ。舞台も文章も、批判と称賛を糧として続けていくしかない。
 批評家ゆえに人前で話す機会も増えた。今月はこれから池の上でトーク、会津でパネラーと野外パフォーマンス、明大前で音楽の即興。さらに横浜で大学社会人講座、来月からは舞踏家との対話などの定期企画が始まり、12月にはダンスと音楽の舞台、即興音楽の舞台がある。しかし、体を使い続けることで、少しは批評や文章に、身体性やリアリティが出てこないものかと、秘かに思ってもいたりする。

(2010/10/4 志賀信夫)


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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