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2010年1月のコラム


「つぶやきの時間」

 「つぶやく」「なう」という言葉が流行している。ツィッター。「いまどうしてる」という問いに、140字以内で「つぶやき」を書き込むので、「佑佳でランチなう」のように使う。するとミクシィと同様、自分が「フォロー」している人のつぶやきも表示される。100人フォローしているだけで、絶えず新しいつぶやきが表示され、テンポが早い。企業も新しい情報をいち早く流す。サイト、ブログ、ミクシィよりも早く、手間がかからない。どんどん書き込み返信されると、チャット同様にもなるが、書き手の所在が明らかなので、荒れにくい。変な発言や相手はブロックできる。

 「つぶやき」自体も魅力がある。いま、中野のベトナム中華屋で昼食中、安くて旨い。だが中野に来る人がいないと話さない。今日もまだ寒い。でもだれかにメールするまでもない。そういった「ちょっと言いたい」ことは誰しもある。返事がなくても、つぶやいたことで満足する。恋人同士や家族の他愛もない会話に似ている。

 だが、「これを探している」と書き込むと、教えてくれる人もいる。キーワード検索ができるし、直接メッセージも送れる。ジャンルを特定できるタグを入れて発信すると、同じタグで意見を集めたりできる。ミクシィやブログサイトなども取り入れ始めた。先週の週刊ダイヤモンドは、表紙にツィッターで募集した人のアイコンを入れて特集を組み、アイデア会議もツィッターでやったという。

 このように個人の「つぶやき」が募金、社会活動、営業、仕事にまで広がる。速さと手軽さが武器で、オバマも選挙に活用したというが、世論操作や悪徳商法などの危険性もある。ちなみにミクシィは企業の営業を禁止している。

 今後、どうなるのかわからないが、はまりすぎないようにしたい。電気とアクセス料、そして圧倒的に失うのは、時間だ。だが現代は、そういう無駄に見える時間を失ったからこそ、つぶやく時間が必要なのかもしれない。 

(2010/1/25 志賀信夫)


出掛けた展覧会や舞台、コンサートのチケット半券を保存しています。
いつ頃から始めたのか、定かではありませんが、上のほうに少し隙間がある引き出しに、帰ってきたら投げ込む。という風にしてただ溜めていたものです。
たまぁに「あのコンサートっていつだっけ?」と探ることはあっても、確認したら元の場所に戻すのを心掛けているので「時系列」順にただ上に重なっているだけのこと、整理することもなく、ただ溜めていただけ。
それが、なんとなく、もうこれ以上入らないような気配を感じて、お正月の休暇中に整理することにしました。
また、1年間のチケットを並べて写真を撮ってみたくなったりもして。

確かに、地層になっていましたが、たまに「地殻変動」も起きていたようで、明らかに古い年代の地層が上のほうにある、こともありました。
そして、2009年のチケットを床に並べ始めて数分後に断念。
並べたところで、意味のないモザイク模様が写るだけ。つまりカメラに収まらないほどの数。

写真を撮るのは諦めて、年ごとにまとめておこうと、2009や2008と書いた紙の上に重ねていきました。
これもすぐに床に山脈ができる結果。
1980年代まで遡ってしまいました。どんだけ溜めてたのか。。。
「あぁこれ、おもしろかったなぁ」という展覧会や舞台も思い出され、まさに時の経つのも忘れて熱中。
逆に、「こんなの行ったっけ?」と善くも悪くも記憶にないものもいくつか。
BlueNoteなどのライブハウスのチケットは、ミュージシャンの名前も日づけも記されてなく、どれがどれだかわかりません。
次回からは、メモしておこうと思う次第。そして、チケットさえないライブにこそ数多くいってるはず。そういう記録だけでも日記つけようかなぁ。
それに、大好きな東京国立博物館の常設展。これもいつ行っても同じチケットで日づけも入っていません。
いや、途中から平成館や法隆寺館の記載が加わったり、金額が上がったりして、並べてみれば変化はあります。

展覧会を振り返ってみると、景気の善し悪しがわかるような気もします。
1990年バブルの頃は、豪華な展覧会が多かった。海外の美術館から門外不出とされるような貴重な絵画がやってきたり。
そして、その後数年はバブルがはじけた影響でしょう、展覧会自体、目をひくものが少なかったようです。

そんな中で、最古の出土品と思われるのが、根津美術館のチケット。
現在は、平常展が1000円。掘り出したのはハガキ大の250円のチケット。
私の記憶で、最初に根津美術館に行ったのは、小学生の頃と思いますが、250円のチケットはその時のものらしい。
根津美術館は、2009年夏に新装なったわけですが、その前にも改装がありました。
2回の改築の前の、薄暗い展示室で見た尾形光琳の燕子花図屏風から、日本画フリークが始まったエポックメイキングなチケットです。

(2010/1/18 WADA))


初夢と全裸

 夢を見ない。人生半分を超えて、将来の夢を見ることもないという意味ではない。実際に夢を見ることがまずないのだ。中学から深夜放送で夜深しになり、いまも横になっても本を読み、ギリギリまで起きていて、短時間睡眠から「えい」っと起きるためだ。寝直すとか半睡状態があれば見ることもあるが、見たと意識するのは年に数回もない。ジェラール・ド・ネルヴァルは、『夢は第二の人生である』と書いたが、夢を見ない人間は逆に現実を幻想として生きるしかない。夢判断ができないために、無意識も探れない。

 そんなことを考えていたら、突然、シャネルの五番の謎がわかった。マリリン・モンローは、何を着て寝るのかと訊かれて、「シャネルの五番」と答えたのは有名な話。それは「wear」を「着る」と香水を「付ける」にひっかけて、裸を思わせるしゃれた答えだった。そして、全裸で寝ると風邪をひかないのかとみんな思う。だが、それは羽根布団なら可能だ。羽根布団で寝るときには、間に毛布などを入れると意味がない。
自分の体温が羽根の間にたまって自然と温度を上げてくれる。試してみればわかるが、羽根布団に厚着をして寝ると寒い。一番いいのは裸で寝ることだろう。

 だが、それなら香水は必要ないはずだ。香水などつけたら、眠れない。そして何よりも、香水は基本的に異性のためにつけるものだ。つまり、男を誘うためのもの。一緒に寝る相手がいれば、羽根布団よりも暖かい。相手の体温で温もるし、布団をかければ、同じ空間に二倍の熱源で熱すぎるだろう。
 だから、むしろモンローは、私にはネグリジェもいらない。いつも男と寝ているのだからということを、香水の名で表現したのではないか。斯くしてめでたく、長年の謎が解決された。しかし、自分の布団は寒いままだ。夢を見ない自分が、初夢を見るのはいったいいつになるのか。そして、そこに果たしてモンローのような美女が登場するのだろうか。

(2010/1/11 志賀信夫)


去年の秋から、「百人一首」にはまってます。

「ちはやぶる」は、囲碁・書道などに続き、競技かるたの世界を描くコミック。
最近、大人気のようです。
「ちはやぶる」と聞いて、「かみよもきかずたつたがわっ!」と条件反射で諳んじてしまった ので、「こんどは百人一首の漫画か〜」と手にも取らずに読んだ気になっていました。
そして、NHKでも新年から百人一首をモチーフにしたドラマが始まるようだし、橋本治の「 桃尻語訳」の百人一首も上梓されました。
ブーム到来か、珍しくブームに乗るのか。

子供の頃はお正月に集まる従姉妹たちとの「百人一首大会」で大騒ぎし、その一日のために百 首覚えたものでした。
次第に、親戚で集まってもカルタ取りなどすることもなくなりましたが、「ちはやぶる」の件 で、まだまだ覚えているもんだなと高をくくっていました。
ところが、iPhoneで百人一首ゲームに挑戦してみると、点数が伸びない事実に驚愕。
いや、記憶が白紙に戻ったのではなくて、歌はほぼ全部覚えています。
以前は、音で覚えていたものが、今は意味もわかるものが多くなり、上の句の一音、二音を聞 いて、取り札に手が伸びる、という条件反射ではなくなっています。

「むすめふさほせ」暗号のようなこの文字は、決まり字が一文字のもの。決まり字とは、冒頭 の音で下の句が「決まる」文字数のこと。
百首あれば、同じ音で始まる歌も数々ありますが、この「むすめふさほせ」で始まる歌はそれ ぞれ一首しかなく、たとえば「む」は、「むらさめのつゆもまだひぬあきのひに きりたちの ぼるあきのゆふぐれ」の歌。つまり、読み手が「む」と発したならば、続きを聞くことなく、 「きりたちのぼるあきのゆふぐれ」の札を取れば正解というわけです。

競技かるたでは、このような記憶と反射神経の勝負なのでしょう。
子供の頃のかるた遊びも実はかるた競争だったわけで、手や口を出したい大人たちから、この 「極意」を教わったりして、意味なんてなーんにもわからずに記憶していただけでした。
31のひらがなの並びを100コ覚える、そんな感じだったのかもしれません。
(それはそれで、すごい記憶力だと思います・意味のわからない31音を100コも覚えるな んて)
それがあるとき、突然に31このひらがな暗号の意味が解読できてしまったのです。
繰返し聞いて耳になじみ、音ではなく漢字変換できて、意味もすーっとわかってしまった。
それからは、百人一首がゲームではなくて文学作品となり、いかにスピードを競うかよりも、 どういう意味だろう、隠された仕掛けは何だろうとじっくりと耳を傾けるようになりました。
それで、覚えた「音」はリセットされたようです。
そして、古今和歌集、新古今和歌集なども読んでみると、「小倉百人一首」にすごくよく似て るけど、ほんのちょっと違うという歌も見かけ、初めのうちは「盗作」だの「ミスプリ」だの と騒いでいたものが、もう一回披露したり、写本が伝わっていくうちにどこかでちょっとちが ったりもアリだよね、とだいぶ寛容にもなりました。
それらの歌集の和歌も混ざってきて、ますます百人一首の早取りは難しくなってしまいました。
さすがに「むすめふさほせ」や有名歌人の歌には条件反射がまだ健在ですが、そのほかの歌で は、まず5文字を聞き、その状況ならば、下の句に「これ」はないなと消去法と「あらしがふ いてるんだったら、こっちの方向にすすむよね」という推理。このやり方で取り札を選びます。

けっこう当たります。もともと覚えてはいたものだから、当たり前ではあるけれど、意味や展 開を読んで当てられるほうが達成感があります。
でも、じっくりと考えていると、ゲームではポイントがどんどん減っていくんです。

(2010/1/4 WADA)


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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