Arts Calendar/column

アーツカレンダー<コラム>のページ


2009年8月のコラム


「話を聞くこと」

 防災フェアで、NPOなど各地で防災活動をしている人たちの話を聞いた。阪神・淡路大震災に遭ったのがきっかけという人も多い。現地では15年を経ても苦しむ人がいるのだが、防災意識は薄れてきたともいわれる。

防災といっても災害を防ぐわけではない。起こったときの対策である。地震、台風は止められない。そのため被害を少なくする減災という言葉が使われる。災害の映像、再現や実験映像を見ると、本当に家具が暴れ回り、耐震工事、転倒防止、家具固定の必要性がわかる。大震災になるとピアノが天井を突き破るというから、なすすべもないかもしれないが、対策を講じたほうが、被害を軽減できるのは確かだ。だが、雪害や台風などでは屋根は重いほうがいいのに、地震では屋根を重くすると家がつぶれやすい。また、窓を広く涼しく開放的に作れば壊れやすい。1階のリビングを広くすれば2階につぶされるなど、快適さと災害対策は必ずしも相容れない。

 興味を惹かれたのは、想像力ということだ。いまここで地震が起こったらどうなるか。
5分後、10分後から1カ月後を考えてみる。ほとんどの人が、自分が怪我をしていないと考える。動けない、家族、障害者はどうするかなど想像力を広げることで、やるべきことが見えてくる。シミュレーションとは想像力のことだと思い至る。

 体験を聞くことも意味がある。今回も体験者の声は胸に響いた。子どもの頃は祖父母が関東大震災について話してくれた。先日、ある画家の未亡人に10年ぶりで会いにいった。80歳前で記憶は曖昧になっていたが、話しながら、お年寄りの話を聞くことが少なくなったと思った。

 8月になると、テレビで第二次大戦の特集をやる。先日もニューギニアで人を食べた話、乗った空母が沈没した話を聞いた。災害も戦争も原爆も、まず体験に耳を傾けることだ。
そして想像力をもって、どういう智恵を引き出すか、それは聞いた私たちにかかっている。

(2009/8/24 志賀信夫)


小学生の頃からだから、もうン十年、気になっている人名があります。
「有名人」なので、GoogleやYahoo!に入力してみれば、たちどころに何者か、わかるはずです。
きっとwikiと付け足せば、世界中の人がこの人物について、解説していることでしょう。

小学生の私には、一番手っ取り早いある手段以外にその人を知る術はなかったと思うのだけど、インターネットで検索ができるようになった時、実は調べてみようかと思わないでもなかったのです。
時折、その名前を思い出しながら、また何年も重ねています。

小学校の図書室は、3つの部屋からできていて、いちばん広い部屋に図鑑や絵本、ルパン全集、ずっこけ三人組、はれときどきぶたなどの童話や児童小説。
ごく普通に、放課後に読みに行く、借りに行く本がおいてありました。
中くらいの部屋は、難しい全集、百科事典、美術全集など、基本的に貸し出しはせずに図書室の中で読むもの。
小さい部屋は司書の先生の事務室となっていましたが、生徒の立ち入りは禁止。
図書室に行っていいのは3年生から。1,2年生は学級文庫の本を休み時間に読むだけでした。
3年生になると、国語の授業で図書室に行き、貸し出しカードの書き方と借り方・返し方、図書室での約束事を習います。
すでに市の図書館に入り浸って、児童小説をものすごい早さで読破していた私には、小学校の図書室など取るに足らないものでしたが、並んでいるのは全部読んでいい本というのは嬉しいものでした。
(お姫様ものと思って「椿姫」を借りてきて、「お母さん、これなんて読むの?」と"高級娼婦"を指差して以来、次に借りる本は事前にお伺いを立てなければならなかったのです。)

中くらいの部屋は、いまでもはっきりと覚えていますが、新品のまま熟成されていく本の、少し湿ったような紙とインクの、本好きには甘美な匂いに満ちていました。
学校のなかのどの部屋よりも、静かだったかもしれません。
授業で必要になったときに、1冊の本を目指して大挙して押し寄せるくらいしか、その部屋に入る生徒はなく、どの本も手垢などついていませんでした。

その部屋の本は基本的に貸し出しはしませんが、唯一、伝記のシリーズだけは貸し出してもらえました。
と言っても、波乱万丈・紆余曲折があったとしても、最後は必ず「成功」や「栄誉」「賞賛」と結末がわかっている伝記はなんだか面白くなく、宿題が出たとき以外に読もうとも思いませんでした。

全部で何冊のシリーズだったのかはよく覚えていませんが、背表紙に書かれた未知の偉人は、年齢とともに知った名前になっていきました。
伝記を読むことはなくても、カードをめくっていくように「未」から「既」にかわっていきました。

その背表紙のなかで、いまだに「既」にならない名前があります。
子供心に、なんだか楽しげな音感で気になっていた名前。

気になったのなら、そのときに伝記を読めばよかったのです。
伝記は嫌い、なんて言ってるから大人になっても知らないままなのです。
知らなかったから、こうしてネタにできたとも言えますが。
この文章を書くにも、実は迷いました。
ここまで無知をさらしていいものか。
いちおう、調べてみるべきではないのか。
10回ほどキーボードを叩くだけの手間を惜しむのか?
赤っ恥をかくか、ほぉら誰もしらない、どちらに転ぶか。

小学生向けの伝記シリーズになっているなら、大人になれば誰もが知ってる有名人ではないのですか?
エジソンや野口英世やリンカーンと同じくらい有名な人ではないのですか?
私はいままで、伝記の背表紙以外にあなたの名前を見た記憶はありません。

何者ですか?ペスタロッチさん。

(2009/8/17 WADA)


ストレンジフルーツ

 23年前、昭和天皇の写真をコラージュした版画作品が、富山県立近代美術館で展示中止となり、問題になった。この夏、それが再現されてしまった。フリーのキュレイターが企画し、米国と東京を巡回した「アトミックサンシャインの中へ」展が、沖縄県立美術館などで開催されるときに、美術館館長の意向で展示拒否が示された。キュレイターはそれを呑み、この作品を外して展示した。アトミックサンシャインとは戦後の憲法改定会議のことで、平和憲法と戦後美術をテーマとした気骨ある企画と見えた。

 この事件を受けて、美術家などが都内でシンポジウムと展覧会を開催した。そして、美術館長が「腐った果物があったから、取り除いた」という発言をしたということに驚き、呆れた。沖縄という敗戦の記憶が強いこの地で、タブーが露呈した。もっとも館長は元副知事の行政官で、美術とはなんら関係がなく、著書も沖縄の経済という人物。そこも含めて、日本の美術館は指定管理者制度の導入で、美術と無関係なビル管理会社などの受託も増えている。管理と排除の論理がさらに広がるのだろう。そういえば半世紀前、東京都美術館の読売アンデパンダン展も、管理という視点から終止符を打たれたのだった。

 展示を拒否された作品は、大浦信行の『遠近を抱えて』である。その後大浦は、映像作品『日本心中』の映画監督として知られる。美術批評家針生一郎を描いたこの作品には、舞踏家大野一雄も登場し、記憶に新しい。
 アトミックサンシャイン展に出展したオノ・ヨーコは、かつてリンゴが腐っていく過程を作品にした。腐ったリンゴも美術作品になることを、この館長は知るはずもない。そしてまた、腐った果物という言葉は、ビリー・ホリディの『奇妙な果実』を思い起こさせる。
風に吹かれて揺れる奇妙な果実は、リンチで首を吊られた黒人の姿だった。何かを排除する考えが生きつく先にあるものが、そこにぶらさがっている。

(2009/8/10 志賀信夫)


六本木に近い場所に会社があります。六本木もそうだけど、港区と言えども坂というか、割と山っぽい土地です。
私のいるフロアは30階ですが、そんな山っぽい高台にあるので、六本木ヒルズの屋上も目線の高さに見えます。
雨の日には、靄の中に隠れてしまうんですよ、六本木ヒルズって。

テナントの事務所の共有スペースも、それぞれのオフィスも大きな窓があり、友達作ってよそのオフィスにお邪魔すれば、東京のすべ てを見渡せる環境です。
東京だけでなく、席にいながらにして、対岸の千葉や横浜のヨット型のホテルなども一望。もちろん東京湾を通る船も羽田に離着陸する飛行機も。東京タワーは手が届きそうな近さに見えます。
秩父連峰や日本アルプスと思われる山々も、どれが何岳だかわからないけれど、秋冬の夕暮れが楽しみな眺めです。

そんな環境を人を話すととてもうらやましがられるのですが、ただひとつ、見えないものがあり、それを告白すると皆いちように「それじゃあ、、、つまんないね」と。
富士山が見えないのです。
新宿のビル群がそこに見える。だからもう少し左のほうが山梨方面。そう思って視線を動かすと、六本木ヒルズがあり、その左右から富士山の裾野と思われる、なだらかな稜線がわずかに見える程度。
すっぽりと富士山が隠れてしまっています。
地図で確認したわけではないけれど、六本木ヒルズの展望台をぐるりと回ってみれば、どーんと見える富士山が、会社のビルから見えないのだから、六本木ヒルズが隠しているということです。
もう何年か早く、このビルに移転していたらなぁ。仕事せずに富士山ばっかり見てたかもしれません。

そうそう、神宮の花火大会も、ミッドタウンができてから見えなくなりました。
花火大会が始まる時間には、共有スペースの冷房は切られていて、とても暑いのだけど、みんな残業したり、外に食事に行ったりして時間をつぶしてから、なんとなく集合して、窓にずらっと並んで花
火見物したそうです。
私がこのビルに来たのが、ミッドタウン建設中の頃。花火大会の半分くらいは、工事中のビルの隙間から見ることができました。
近くで音と振動を感じながら見上げる花火には及ばないものの、ちょっと離れたところから見下ろす花火は、ぽこぽこと湧き上がる水槽の泡のようで面白いものでした。

(2009/8/3 WADA)


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

TOPpage/