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2008年7月のコラム

【コラム】

●言い換えない

 ワーキングプアが問題になり、二重派遣などの会社ぐるみの悪徳体質が報道される。そんななか起こった派遣労働者による事件。不景気、合理化を理由にアルバイトや派遣が常識となった現在の労働状況は、実は大きな問題を含むことが、ようやく実感されつつある。
 下請けや外注、派遣を「アウトソーシング」という新しい言葉で誤魔化し、経済学者から大企業も中小企業もそれを日常にしてしまった。大半をアルバイトや派遣でまかない、なおかつ管理職に手当を払わないことをトップ企業が平然と行い、それを政府・官庁が許しているという実態。ここには明らかに「弱者切り捨て」の論理がある。
 派遣のワーキングプア報道を見ると、以前はフリーターでもある程度の金額を稼げていたが、三十を過ぎて急速に仕事がなくなり、寮の共同生活も6畳に6人、生活できない給料というのが実態らしい。沖縄から高収入を餌に関西・中部地方に派遣する悪徳業者も問題になった。
 そろそろ「アウトソーシング」のような「言い換え」を見直すときが来ている。差別語を例にとると、英語で「精神病院」という言葉は時代とともに次々と変わるが、それは実態が変わったからではなく、時代に合わせて差別的表現を避けてきたゆえだという。日本語でも差別語を使わない、言い換えることで差別がなくなるかというと、そうではない。
 そういえば「フリーター」もほんの一時期だが格好よくいわれていた。会社組織にいる人間からは「自由」に見えたのかもしれない。しかしそれは嘘だった。経済学者やコメンテーターが提示する現状肯定の安易な楽観論も、現在の低賃金労働、ワーキングプアを生み出すことに加担してきた。よくわからないカタカナ語はで何かを隠蔽しているのではと、常に「疑問」を示すのが、せめてもの僕たちの自衛策なのかもしれない。ところでワーキングプアはどう訳すか。超低賃金労働世代といえば少しは実態が見えるだろう。

(2008/7/28 志賀信夫)

【コラム】

贔屓の力士がいるわけではないが、大相撲中継を見るのが好きだ。
我が家は、様々なスポーツをテレビ観戦することが趣味でもあり、子供の頃から放送される種目で、季節や月日の流れを感じることがよくある。
大相撲についていえば、競技としてよりも、よどみなく進んで行く儀式めいたところが好きで見ている。

ケガで休む力士があると、不戦勝として相手力士は勝ち名乗りを受けるためだけに土俵に上がる。
休場となれば、下位から上がってくる力士がいて、あぶれる力士はいないことになる。
これらは、勝ち負けの白星黒星は、一日の取組で必ず同数にするためだそうだ。

力士の四股名は、○○山や△△海など海山川野とつくものがかつてのスタンダードで、このことから、海(彦)と山(彦)とのやりとりを力士が代行する神事だとされる。
海と山の豊穣を祈ってのこと。

まわしについてるサガリは、神社のしめ縄を意味するとか、そんな話はいくつもあって、格闘技として見るより、祭事と見るほうが格段におもしろい。

その儀式の一切を取り仕切っているのが、呼び出しさんたちだ。と、私は思っている。
テレビで見ているだけでも、彼らの仕事ぶりは素晴らしい。
呼び出しだから、土俵上で力士の名を呼び上げるのが最も目立つ仕事である。
解説の声に遮られることが多いのが残念だが、声が朗々と伸びる人、枯れた味わいのある人と様々で、力士よりも贔屓の呼び出しさんがいたりする。
土俵下で、力士に柄杓やタオルを渡したりと世話をしつつ、呼び出しが立ち上がることで取組の時間を知らせる大事もある。
テレビによく映る場所なので、顔も覚えてしまうが、そこにいる呼び出しは、番付が下の取組では、土俵で力士を呼び出している。
そうやって、呼び出しの仕事は循環して行くのだと知るのもおもしろい。

裏方として、呼び出しは相撲のすべてを取り仕切っているように見える。
何かあれば、さっと動き、手を差し延べるのは呼び出しで、1分先の未来をすべて知って動いているかのように見事。
その日の勝敗を、全部予見しているのではないかと思う。

たっつけ袴を着こなして、音もなくキビキビと動く姿を「仕事ができる男はいいねぇ」と惚れ惚れと見ている。

(2008/7/21 WADA)

【コラム】

●『紫陽花の味』

梅雨は紫陽花の季節だった。多様な色の花を見ると、おやと思う。だが何も雨の中、花のために
鎌倉くんだりまでと思う。確かに植物園などで咲き乱れる薔薇やさまざまな花を見ると、美しい
と思う。でも、花の名は覚えられない。桜と梅、椿、薔薇に向日葵、百合、菫にチューリップあ
たりまでで、あとはほとんどわからない。男の大半はそうではないか。難しい漢字表記もすぐ忘
れる。美しい、いい香りだと肯きながらも、その区別は消えていく。花の香りや香水にもあまり
関心がない。

これが不思議なことに、パソコンやカメラ、電子機器などは、その型番をしっかり覚えている。
無味乾燥な欧文と数字の羅列だから、よっぽど覚えにくいはずだが、古い機器の型番も忘れない。
友人と話題にしたり、欲しいと思って比較したりしているためだろうが、子どもの頃から何度も
見ている花と漢字は忘れて、機械の記号をいくつも覚えているのは、やはり奇妙だ。これも男女
の差なのだろうか。ジェンダーの区別は社会的なものだが、花や香りに反応する遺伝子と記号に
惹かれる遺伝子が異なるのかと思いたくもなる。

ところで、紫陽花に毒があるのはご存知だろうか。先日、料理に添えられた葉を食べた客が入院
して大騒ぎになった。青酸系の毒素があるらしい。大きい紫蘇のような雰囲気で、天麩羅にでも
して食べられそうに見える。季節感から料理に添えられていたらしい。
鈴蘭には毒があることは、活けた水が毒殺に使われる推理小説などのため、よく知られている。
夾竹桃でも人が死んだらしい。鬱金香はチューリップの和名らしいが、この名は怪しげである。
紫陽花のように、意外な花や植物にも色々と毒がありそうだ。

進歩の早いデジタル機器では、型番も次々変わり細かい区別がある。きれいな花に知られていな
い毒があるように、パソコン、携帯、ゲームなどのデジタル機器にも、さらに見えない毒がある
のではないだろうか。

(2008/7/14 志賀信夫)

【コラム】

夏は本当に苦手なんだけど、夕暮れ時・逢魔が時だけは好き。
一日に何時間もない短い時、今ならば7時くらいか。
山入端の見えないところにいるから、日没の瞬間はわからない。
昼と夕方の、その違いは夏が一番くっきりとしているのに、変わる瞬間は誰の目からも隠されているような印象がある。

明るい間中、眩しい、暑いと弱音をはき続けているけれど、スカイブルーに少しずつ墨を流す気配に、何やら元気が出てくる。

暑い時でも、冷たい飲み物はあまり飲まないが、この時間にかぎり、グラスに水滴がついたものを飲みたくなる。
と言っても、アルコールはだめなので、ペリエやジャスミンティー。
味わうよりは、景色のひとつとして眺めたい。

野外ライブの開演を待ち、薪能の始まりを待つのも、この頃、この時間。
釣瓶落としの秋に比べて、薄暗い時間はやはり長く、藍色の変化を眺めるのがいい。

幽かな風を感じながら、影絵のような木の葉を眺める。
星がぽつりぽつりと見えてくるのもいいし、怪しげな風に遠雷を聞き、夕立を期待するのは更なり。
今夏、この僥倖に幾度まみえることができるか。

(2008/7/7 WADA)


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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