Arts Calendar/column

2008年10月のコラム

CDや本を「返してください」とは、なかなか言いにくい。
自分のモノじゃないものが手元にあることに落ち着かないタチなので、それについて鷹揚な人を羨ましく思う。
返ってこない覚悟で、または「ごゆっくり」と言って貸したとしても、何年たっても「私のCD」なのであり、「人様のモノ」なのだ。

本やCDの貸し借りが日常化していた同僚、1枚のCDを貸し出し中、嫁に行き、子供を生み、ダンナの海外赴任に同行し、帰国したものの、中途半端に遠いところに住んでいる。
なにかと連絡を取りあう話の中で、毎回「CD借りっぱなしなんだよね、ごめんね。今度送るから」と言う。
CD1枚郵送するのに、どれほど手間がかかるものかと思うけれど、CD1枚だけだからお神輿があがらないというのも、わからなくはない。
そして、「CDを必ず返す」というのが、彼女と私の唯一の繋がりになってしまったので、「返さなくていい」と何度か繰り返した言葉のほうを忘れることにしたらしい。
貸しているCDは当時のハヤリもので、返してもらったところで聴くことはなさそうだけど、レアな掘り出し物になっているかもしれない。
もし、返ってきたら、また別のCDか本を無理やり送りつけてやろうと思う。彼女からオススメの本が同封されてくるかもしれない。そうしたら、私も何年か寝かせてから返そう。

そういう流れを楽しむ反面、「貸し借り」に鈍感な人には、やはり呆れもする。
貸したものをじっくり読んで聴いてくれたほうが、いろいろ話もできるし、様々に発展していくので、嬉しいのだけど、何事にも限度ある。
ある程度、つきあっていれば、時間はかかっても必ず返してくれる人かどうかは、わかるものだけど、中にはさほどの仲でなく、ご挨拶かわりに「よかったら」と渡す場合もある。
それで、同じものを楽しめる人か、きちんと返してくれる人かを見定めようとするのだから、こちらの根性も相当だけど、やはり初会は肝心でしょう。
そういう場合には、大切なCDは貸さないけれど、あとあと「**のCD持ってたよね?」と友人から尋ねられたりして、あの人に貸すよりはこのコに役立ててもらったほうがよかったと惜しんだり。

モノが惜しいより、その人の評価が私の中で暴落することが残念だ。
借りた本やCDをじっくり味わうことも貸してくれた人に対して、心を尽くすことだし、あまり早く返ってくると「ほんとに読んだ?」と疑ったりもするくせに。
いずれにせよ、なにか「一言」あれば、かなり気楽に待つなり、あきらめるなり、できるのだけど。

(2008/10/27 WADA)

●ドラマ

 緒方拳が亡くなった。近年、痩せすぎたその姿には癌を感じていた。不思議はなかった。続いて峰岸徹も亡くなった。緒方拳は松本清張の『鬼畜』と佐木隆三の『復讐するは我にあり』が鮮烈だった。気骨のある役を演じ続けたが、次第に温厚さが前に出て、近年は「老い」をテーマにしたドラマも眼に入った。山田太一の作品を見た気がする。
 亡くなってすぐに、出演しているドラマが始まった。倉本聰の『風のガーデン』で、北海道富良野に住む赤ひげ医師のような役だ。ドラマの中で、飼っていた犬が死ぬと、死について淡々と語る。その姿は印象的だった。この5年、入院せず仕事を続けていたらしい。9月30日の記者発表に出席し、5日後に亡くなった。膵臓癌末期の息子の医者が仕事を続けるストーリーに緒方の姿が重なる。題字は彼だ。
 倉本は富良野塾を閉じるらしい。もうドラマは書かないとも語った。視聴率を追い、いいものを書ける場ではなくなった。お決まりの言葉。人気漫画原作に安易に飛びついたドラマも多い。だが『北の国から』も、当初、甘ったるさが鼻についた。でも登場人物がドラマを超えて生き出し、はまった。この秋は宮藤官九郎、井上由美子の新ドラマや『相棒』も始まり、毎日忙しい。
 原作といえば、大島弓子の『グーグーだって猫である』が公開されている。この少女漫画家の作品は本当に素晴らしい。言葉と絵が時折、何かわからない感覚、感情を喚起する。『バナナブレッドのプティング』は特にお勧め。映画の原作は、本人が猫と暮らすエッセイのような短い連載漫画で、癌を患い入院し、手術、退院といった事実もさらっと描かれる。昨春、サイトでエキストラに応募した。20代から50代までの男女が集まり、長い待ち時間はオフ会のように盛り上がった。娘の名にも「弓」を入れている。
 さらっと病いを漫画に書く大島。死を目前に、演技で死を語る緒方。筆舌に尽くせない思いが、そのなかにある。

(2008/10/20 志賀信夫)

コンビニやファストフード店では、消費期限が過ぎた食品は即刻廃棄される。その消費期限はとても短くて、家庭では一晩おいたカレーがおいしいとか、煮物は冷ましてこそ味が染みる、なんていうゆとりは論外なほど。
それでも、お店の棚が品薄ということはなくて、いつでも「新鮮」なお弁当やおにぎりを買うことができる。
でも、その新鮮さって必要なこと?と、この騒ぎに思う。

「新鮮」である、または便利であるという食品をいつでも口にすることができる代償が「毒入り」って、どういうことだろう。

それぞれ、いろんな生活があるから、真夜中にお弁当を食べる人もいるだろう。だから、24時間営業などをとやかく言うつもりはないけれど、必要なものが必要なときに手に入るのが便利ということで、必要ないものがいつでもあふれているのは、無駄だと思う。
そりゃ、ほんとに必要なものの隣に、ちょっとした彩りやオマケがついてると嬉しい。お昼ごはんを買いに行って、アイスクリームにも手を出してしまうこともある。
でも、その程度のゆとりと、捨てるほど食品を作ることは違う。

この「捨てるほど」の食品を潤沢に用意する部分が無駄であり、何かよからぬものを入れなければ生産が追いつかない・採算が取れない原因なのだろう。

自給自足は夢としても、地産地消はなんとかうまくいって欲しい。
人間は、好奇心旺盛な雑食だけれど、それほど多種多様な味がなければ、生きていけないことはない。けっこう皆、同じメニューが続いたって平気だし、なによりも「ご近所で採れたのよ」なんていうものに相好を崩したりするじゃない。

そして、たまさかの「お取り寄せ」で遠くの町のご馳走を味わうくらいでいいじゃないかと思う。

(2008/10/13 WADA)

●個室と密室

 マンガ喫茶には二日酔いの昼休みに眠りにいき、深夜バスで早朝着いたときも利用する。慣れれば自分の部屋のようにマンガや映画、ネットに熱中してしまう。飲物はタダだし仮眠をとったりシャワーを浴びたり、軽く疲れを癒すにはとても便利だ。
 個室ビデオは元々エロビデオを見るためのもので、家庭用ビデオが普及していない時代に始まり、普及し出すと裏ビデオ屋になった。マンガ喫茶、ネットカフェが普及して、それに接近したらしい。
 マンガ喫茶、ネットカフェは驚くほどきれいになり、若い女性の利用客も増えているが、火事になったらやはり不安だ。カラオケボックスもそうだが、数階を占める大規模店も、入口出口は一カ所がほとんど。非常口もあるはずだが、個室だと火事に気づき逃げるのが遅れ、誘導されるとも思えない。消防署が果たしてこの危険性を本当に考えているのだろうか。
 団塊の世代を親に持つ子どもたちから、鍵付の個室を与えられようになった。だいたい45歳以下のオタク世代といえる。民主主義と個人主義からか、子どもの個性を伸ばそうと無理して個室を与えてきたが、家族がバラバラになり、引きこもりの場を提供する結果にもなった。そういえばネットカフェ、マンガ喫茶は、引きこもり部屋ごと外に出たかのようだ。かくいう僕もオタク世代の先駆けで、家にいるときは自分の部屋にこもりっぱなしだ。
海外のネットカフェはパーテイションくらいで、個室化していない。もっとも欧米でマンガが大流行、フランスに「マンガカフェ」がオープンしたから、欧米も「日本化」するかもしれない。
密室政治が顕著なように、日本の本音と建て前には個室、密室がよく似合う。僕も日本のマンガを愛し、マンガ文化は優れていると考えているが、トップからワーキングプアまでが揃って個室でマンガに夢中という図は、ちょっと奇妙だ。どうやら一億総引きこもり国家に変貌する未来図が見えてきた気がする。

(2008/10/6 志賀信夫)


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