Arts Calendar/column

アーツカレンダー<コラム>のページ


2007年3月のコラム

【コラム】

会社に行くならば、絶対にこんなことしません。駅の昇りエスカレーターを大きなバッグを持って駆け上がるなんて。初めての新潟、初めての日本海への旅行のために、初めての上越新幹線に乗る日。家から東京駅までは、毎日の通勤で勝手知ったる道程、とは言え勝手がわからない平日昼間の出発だから、前日のうちにバスも電車もちゃんと時間を調べて準備万端。のはず、だった。
支度はできても体調が悪く(初めて尽しに興奮したのか、鼻血が止まらず)、出たくても出られない。貧血体質のいつものことで、慣れているし目眩がする訳でもないから、家を出る気は満々なんだけど、さすがに鼻にティッシュを詰めては行かれない。

もう大丈夫と家を出たのは、すぐそこでタクシーに乗れれば新幹線に間に合う時間。そういう時、絶対に都合よくタクシーは来ない。通りかかるタクシーを逃さないようキョロキョロしながら向かったバス停に、もしかしたら渋滞で時間がずれたのがきたりして、という淡い期待も虚しく、むしろ遅れ気味でバス到着。こうなったら、どんなに頑張っても無理。丸ビルで、新幹線の中で食べるお弁当と期間限定販売のわらび餅を買って行こうと思ったけど、無理。新幹線の座席で待ち合わせる友人たちに遅刻のメール。
東海道新幹線ならば、5分ごとに出ているような気がするけど、昼間の上越新幹線は30分間隔があく。自分ひとりなら、まぁいいけど、(たぶん)寒い新潟駅で友人を待たせるのはなぁ。一応、携帯電話についてるナビ機能で検索してみると、東京に行かずに新宿で湘南ライナーに乗り大宮に向かうと間に合う、ことになっている。一か八か。この検索結果に乗ってみることにする。
湘南ライナーのホームは上りと下りが混在しているので、反対方向に乗る恐れがある。そういう時、「これだ」と言ってくれる駅員さんはホームに絶対にいない。今はナビしか信じられるものはない。車窓なんて眺める余裕はなかったけど、しばらく行くと途中からすぐ隣を上越新幹線の線路が走っているのに気付いた。これなら、乗り換えも短時間で済みそうだ。

「次は大宮」のアナウンスが入る。気合いを入れてバッグを担ぎ直す。と、「地下ホームに停まります」!!!何それ!無理!想像したのは東京駅の地下ホームや大江戸線の六本木駅。帰っちゃおっかなと思ったけど、想像したよりはずっと浅い地下ホームに気をとり直し、エスカレーターを上がる。幸い、人が少なくスムーズに進む。新幹線改札に着いてみると、掲示板には目標の新幹線の号名がある。ということは、まだ間に合うということ。自動改札を通らずに窓口に駆け込んで「絶対に乗りたいんですけど!」と言うと駅員さんもサクっと処理してくれる。旅行代理店で買った東京からの切符だったので途中入場できないんじゃないかと不安もあったけど、OK。東京行きに乗っちゃマズイから「何番線ですか?」と確認してから、少々長いエスカレーターを走った。

ホームだけは間違えないように、一番近いドアから乗る。いくつかの2階建車両のせまい螺旋階段を昇り降りして、また鼻血が出そうなくらい頭を振り回して、ようやく指定席へ。久々に経験した動悸。心臓も肺も痛いし、気道が狭くなって喘息の発作おこしそうなくらい咳がでたけど、間に合った。
そして、こんな経験をした後に、「今度から体調の分も見込んで計画しなくちゃ」とは思わずに「できるじゃん☆」と思ってしまうのが、私の悪い傾向。

(2007.3.26 WADA)

【コラム】

●捨てたい


 A型は几帳面といわれる。整理し出すと徹底し、本のタイトルや色なども揃えていた。しかしいま自分の部屋は凄いことになっている。一因はチラシだ。毎日のように舞台を見て貰ってくる。貴重な情報源・資料なので、少なくとも見た舞台のものは捨てられない。電車の往復で整理してはいるが、見ようと思ったものなどが溜まりまくる。厚さ5ミリのチラシでも、整理しなければ年200公演で1メートル、たぶん50キロになるだろう。

 ネットのおかげでつい本も買う。送ってくると立派な梱包材が溜まり、もちろん本も積まれていく。生活する6畳は可動空間が畳1枚、積んだ山を乗り越えて入る。寝室ではベッドとタンス以外は本のダンボールで、積んだ本が時折倒れてくる。立てるのはドアの開く空間だけだ。
 会社でも本棚をいくつも占拠し、机の周囲にダンボールがゴロゴロ。ところが先日Pマークなるものの審査のために片付けた。個人情報保護法で、多くのデータを扱う会社には義務づけられつつある。パーテーションをつくり出入りを管理したりと、小企業には負担が多く、天下りの認定機関の仕事と推察するが、やむをえない。
 わかってはいるのだが、片付けながら、ものを捨てるしかないと実感した。「いるかも」「後で整理する」という資料は十年は眠る。親が戦争体験者、もったいない世代であることも原因だ。いまはネットに出演者などが載っているが、以前はチラシやパンフレットが頼りだった。だが捨てるものを分別するのも、時間が膨大にかかる。
まず片付ける時間もない。年末に予定すると風邪をひく。春や秋には腰痛が出る。カードや請求書など色々重要なものも埋もれているのだが、尻に火がつかない限り探せない。このままだと将来はゴミで世間に迷惑をかけることになりかねない。人生は捨てたり忘れたりすることで成り立っていることは、わかっているのだが。

(2007/3/19 志賀信夫)

【コラム】

少し前、「片付けられない女」というのが本だったり、TVに取り上げられたりしていました。「脳の機能によるもの」と言いつつも、乱雑な部屋を興味本位に取り上げたりして、なんだかなぁと。。。当事者は「私はだらしない・だめな人間なんだ」と深刻に悩んだりしていたのが、そうではないことがわかったから本当に安心した、という声も聞きましたが。
で、私は、「片付けすぎる女」です。件の映像を見るたびに「われ鍋にとじぶた」と思い、片付けられない人がいるなら、代わりに片付けに行きたいと思っていました。自分の部屋はもとより、会社のデスクのうえも片付けすぎて、無人の席と思われたりします。片付けるものがないと楽しくないので、週日はできるだけ片づけをせず我慢して、週末に備えます。気分としては、試験前になると本棚の整理をしたくなる、机の引き出しを整理したくなる、というのに近いでしょうか。試験前じゃなくて、毎日そう思っているのですが。
今、会社でこれを書いています。仕事してるフリを装うために机の上に書類を散らかしていますが、キーボードを叩きながら、視界に入る乱れた書類が気になって気になって。。。同じ島の、休暇中の人の散らかった机にも手を出したいのですが、彼なりに片付ける努力をした後があるので、我慢しています。友人の家に行っても、つい手を出したくなって「姑」のようなこともやってます。ひとつ終えたらすぐに片付ける、お寿司屋さんのまな板の上が理想です。
かといって、常にアルコール入ウエットティッシュを離せないような、勤務時間中に内職なんて!というような潔癖症ではないのです。角と角があっていない、書類がそろっていない、インデックスの山がずれてる、のがイヤ。文具置き場のテープ台やパンチの色が合ってないのがイヤ(すべてが新しいオフィスに移転して、文具も何も全部好きなのを買っていいと言われて幸せでした)。本棚の中は、背表紙の色をグラデーションに揃えたい・書体を揃えたい・背の順に並べたい、どれを優先するか、その葛藤のため、包装紙を大量に買い込んでカバーをつける。逆に文庫本はカバーを剥がしてベージュで統一(角川文庫と講談社文庫は極力買わないようにする)。そんな感じです。
家事自慢のタレントや専門家がやるように100円均一のお店で収納用具を買ったり、それを繋げて醜悪なものを引き出しに入れたりはしません。それ自体、片付けたい対象です。今あるものをそのまま使ってうまく収めるのが好きなのです。収納用具に、無用な凸凹や飾り・色は要りません。ご大層な収納用具や掃除用具は毎日ささっと片付けてれば不要ですけどね。
そして、私の住みたい憧れの部屋は、桂離宮、ではありません。ヨーロッパのインテリア雑誌にある、今にも崩れそうに本やCDを無造作に積み上げてるような、家中の椅子が全部Notお揃いのような、壁にポストカードがべたべた貼ってあるような、そんな部屋なのです。なんとなく落ち着けそうな気がします。自分の部屋を自分の手でそのように「整える」ことは、私にはとても難しそうですが、誰かが作ってくれたそんな部屋に行ったら、果たして落ち着いていられるでしょうか。嬉々として片付け始めるのではないかと思うのですが。(2007/3/12 WADA)

【コラム】

腰痛人生

 季節の変わり目には腰が痛くなる。最初の腰痛は23歳。引越しの手伝いに行き、小雨のなか冷蔵庫を持ち上げたら、ギックリ。そのまま友人宅に送られ、4日ほど寝込んだ。卒業時期だから3月のこと。癖になったのか、翌夏、冷房の効き過ぎた部屋で寝て、置き上がるとまたギックリ。
 それからは4、5年に1度、軽いギックリ。だが最近は、毎年1度起きられない。通勤時は座席でパソコン、ちなみにこの文もそうだが、仕事でも、打合せ以外ほぼずっとパソコン生活。夜は舞台で、土日ははしご。帰ると録画した映像を見て、本を読んで眠る。座り続ける姿勢が明らかに腰に負担をかけている。唯一の運動が美術館のはしごだが、数が多すぎると腰痛。ああ腰痛無限地獄。
 昨秋、松澤宥が亡くなり、いま追悼展や雑誌の特集などを目にする。詩からオブジェへ、コンセプチュアルアートから量子芸術、言葉による概念芸術、「最終美術」を唱えた美術家で、数年前まで80代の現役でパフォーマンスを行っていた。あの白いスーツの立ち姿に憧れた。
 バレエでも芝居でも、立ち姿のいい人には自ずと観客の視線が集まる。その核は腰にあるのか、丹田か、体の芯か軸なのかわからない。しかしふつう老人の腰が曲がるように、人は重力に反する直立歩行ゆえに、次第に立てなくなり、幼児に還っていく。立つことで、前足でもある両手が自由になり、道具を使い、物を創り出してきたという。そのために脳が発達して文化、社会、政治、芸術が生まれたとすれば、「立つこと」を物理的に支える腰は、文化の元ともいえるだろうか。
 腰痛対策として運動や、体を使う、同じ姿勢を続けないなどわかるのだが、文楽で10時間劇場に篭る生活を止められない。会場まで歩き電車でも立っていると、疲れて舞台で眠る。花粉症はならないことに決めているが、腰痛はつきあいながら、騙し騙し生きていくかしかない。それ自体、僕の人生そのもののようだ。(2007/3/5 志賀信夫)

無断転載禁止 掲載:アーク編集室

TOPpage/Weekly/Performance/Music/Dance&Ballet/Movie/Art/Link