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2007年2月のコラム

【コラム】

  今年は梅の咲き初めがいつもよりひとつきほど早いでしょうか。庭に梅の木があった頃、この白梅はちょうど桃の節句に満開を迎えました。お雛様の隣には、桃ではなくて白梅が飾られて、私の雛祭りの記憶は梅の香りとともにあります。

 我が家だけでなく、ひな人形と一緒に飾るのは、紅梅白梅の家が多かったような気がします。桃の木はお隣の庭にありました。私の記憶では、梅の後、桜と同じころに咲いていたと思いますが、花が咲き始めてから割とすぐに大きな葉が茂り出し、花の姿より野生的な生命力の強さを感じて、女の子の節句の花という印象は薄いのです。

 うちの庭の梅は、盆栽のような枝振りのまま大きくなったなかなか見事なもので、梅干し・梅酒に最適な大きな実をたくさんつけることもあって、ご近所で評判のいいものでした。そして、庭から続くような小さな公園には、そこを取り囲むようにソメイヨシノの大木が連なって、お隣の桃は、かなりな大木で、そのせいか大味な雰囲気で近所の人からもあまり愛でられないちょっと可哀想な感じもありました。

 梅の木は、枝を横に伸ばし、次に上に向かって伸びて行きます。人がガッツポーズをするような感じです。桜は横へ横へと枝を伸ばしてこんもりふんわりと花を咲かせます。桃はただまっすぐ上に伸び、横に広がることなく花束のようなかたちのままで、花と葉をたっぷりとつけていました。

 思えば、私は桃の花というと、実物はお隣の木しか知りません。もう少ししたら、ニュースなどで、桃が満開でなどと見ることもあるでしょう。毎年きっと、それを見ていると思います。でも、どんな花・枝だったのか、思い浮かぶのはお隣の桃だけ。

 お隣は、近所付き合いをほとんどしない家でした。庭には、桃だけでなく大きな木が何本も植えられていました。そういえば、桃と並んで栗の木が(うちには柿!)。その栗は、枝がうちの庭にも伸びていて、地味な(ネコジャラシを細ーくした薄黄色の)花は、房ごとうちに散ってきます。それは梅雨時だったかなぁ、濡れた毛虫みたいであんまり歓迎したくない花。掃除しても掃除しても散ってきます。でも、秋が深まり栗が実ると、めったに挨拶もしないお隣のおじさんは火ばさみを手に黙ってうちの庭から落ちた栗を拾って行くのです。(2007.2.16 WADA)

【コラム】

いま、移民は


 『イゴールの約束』を見た。不法移民労働者を使う父を手伝う十代の少年が、事故死したアフリカ人の妻を守ろうとする映画だ。日本も街や電車で肌の色が違う人を見かけるのは当たり前になった。日本自身、百年前から南米などに二十万人移民を送り出し、いまはその二世から四世二十万人が日本で就労し、浜松や群馬県大泉町などが移民の街と化している。
 だが彼らが話題にのぼるのは犯罪が多い。言葉や学業ではみ出し不良化した若者や、日本で交通事故などを犯し故郷に逃げ帰った人が取り上げられる。サッカーで活躍してもそのときだけまつりあげるだけで、いま日系移民の地位は高くない。海外でも移民差別は根強く、1998年のワールドカップではフランス移民チームが活躍したが、9.11で抑圧が強まり、2005年に大暴動となった。


 1月、舞踏家大野一雄を祝うために世界から舞踊家が参集したときに、ある日系移民の死を知った。秋葉なつみさん。大野や舞踏の南米公演をプロデュースし、舞踏を南米に広めた一人で、日本からの演劇もサポートしている。二国を行き来し、2008年の移民百年芸術祭を企画していた矢先の突然の死。とても悲しく残念だ。


 日本は移民を送り出す国だったが、いまは受け入れる国だ。都内の飲食店で3回に1回は外国人店員に出あう。しかし、テレビで外国人妻は取り上げられるが、人情話か面白おかしい異文化紹介。安い労働者として利用するだけではなく、就労や生活をもっと推進・支援すべきだ。個人的な交流があっても、支えるシステムがないかぎり、排除する社会は変わらない。犯罪を犯したら逃げる国ではなく、この国で裁判を受けたほうがいいと思える態勢と理解が必要だ。彼らの労働が必要である点でも、外国人や移民の労働に日本は真剣に取り組むべきだろう。このままだと移民排斥につながりかねない。国際貢献としても、海外に軍隊を派遣するより、国内でやるべきことがある。(2007/2/19 志賀信夫)

【コラム】

スケジュール帳を、今年もたくさん買ってしまいました。以前使ってよかったもの、それと同シリーズでサイズ違い、カバーが気に入って買ってしまったもの、ただし中身が気に入らなかったので別に中身を買って。さらに様々な理由を作って、都合6冊買いました。「コレクションはスケジュール帳」ということで。

毎年10月の声を聞くと、新しい手帳が目について、見開き1カ月タイプのスケジュール帳が好きで「これだっ!」と思うものがあるとつい買ってしまうのですが、これに書いているのは、実は美術館のスケジュール。今、どこでどんな展覧会をやっているか。ふと時間が空いた時、ここらへんで何かやってないかなぁ?とか、友人と約束のある日もせっかく出かけるなら会う前に寄れるところはないかなぁ?というために、スケジュール帳に書き込んでいるのです。アドレス帳には、美術館の休館日・開館時間を記入しています。

都内近郊のすべての美術館・博物館のスケジュールを網羅している訳はもちろんなく、自分の興味のある展示だけですから、たいした量ではありません。そして、毎年何冊も買ってしまうのは、つまり自分にとって理想的なスケジュール帳がいまだにみつからないから。それならばと、携帯電話で見られるサイズで自分専用美術館スケジュールのサイトを作ってみました。完璧。スケジュール帳いらないじゃん。難を言えばマメにアップするのが、近い将来、面倒になるだろうなということ。そして今、バッグに入って持ち歩いているのは、ただのメモ帳。それさえも、指一本で済んでしまう携帯のメモ機能やメール下書きに淘汰されるかもしれません。

私は、自分のスケジュールを手帳に書き留めることはしません。書いておいて常にチェックしていなければ忘れてしまう予定や目標は到底こなせるはずはない、と思うから。覚えていられる範囲が自分の領域だと思っています。そして、今日・今週の事柄が、次の、その次のページにどう影響するかが想像できなければ、意味はないし。書き留めるのは今ではなくて、将来のためという考え方はアリだけど、私向きではないようです。覚えておきたいことは、ずるずると芋づる式にいろんな情報がリンクしあっていて、過去の手帳に頼らなくてもいつまでも覚えているものです。

でも、きっと来年も、その前に4月始まり(もう並んでいますからね!)の、10月始まりの、スケジュール帳を見たら、また手に取ってしまうと思います。書こうと書くまいと将来用に取っておけるものではなく、中途半端に書き込んで「このあと、どうなったの!?」というスケジュール帳がまた増えていくでしょう。(2007/2/13 WADA)

無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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