Arts Calendar/column

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2005年7月のコラム

【コラム】

2006.7.31

7月のある日、やはり梅雨っぽくて曇っているけど、気温が高いとともに湿度も高い夕方。7時くらいの帰りのバス、まだ陽も落ちきらずに月も見えず、昼と大差ない明るさの道。目に飛び込んでくる「こざっぱり」という感じの涼しげな親子連れ。幼稚園くらいの男の子ともう少し小さい女の子とお父さん。それぞれに髪の毛が濡れているのは「晩ご飯の前にお風呂に入っちゃえば」とでも言われたお風呂上りなんでしょう。女の子を肩に乗せたお父さんに手を引かれる男の子。きっとお母さんは晩ご飯の支度の火の前で汗かいているところだと思うけど、お父さんと子供たちは昼の暑さも汗もさっぱりと洗い流しての夕涼み。お揃いではないけれど、白いワンピースと白いシャツが風をはらむ。強めに効かせたバスの冷房の風よりもはるかに気持ちよさ気な夕涼みの風を感じました。

家に着きしばらくすると雨。涼しさを呼ぶほどの夕立ではなかったけれど、昼の熱気を洗い流すには十分で、雨上がりはクーラーを切って窓を開けておく。風鈴の音でも欲しいところ。水を滴らせるような釣り忍もこんな夜には欲しいなぁ(たぶん、手入れができない・・・)。夕食後、「アイスクリームが食べたいわ」という母の言葉にコンビニまで歩く。桜の木がトンネルになっているコンビニまでの遊歩道は、少々の雨ならば傘はいらないほどの緑陰だけど、雨が上がってから、僅かの風に雨垂れの時間差攻撃。ぽたんと落ちる冷たさが嬉しかったりする。その遊歩道の終わりには二群ほどの萩。ここは緑のトンネルの陰にはならず、街灯の光を十分に受け、花が咲くにはまだまだ早いけれど、たっぷりに繁った葉に雨の滴をいっぱいに乗せて重たそう。誰も見てなさそうなので、萩の枝を一本ひっぱってみる。手を離せば滴が無重力のなかのようにあちこちに飛び散ってなかなか綺麗。水溜りにはまったわけでもないのに、足元はびしょびしょだけど、まぁいいね。。。緑のトンネルのなかもところどころの明かりで木々それぞれの緑の濃さが様々であることが見てとれる。すでに濃くなった緑、まだ若々しい新緑といえるような明るい葉。

さて夜も更けて、今夜は満月だったのではないかしら?部屋の窓から首を伸ばし体を曲げて月を探そうとすると、なんのことはなし寝待の月の言葉のままに窓の前に寝ていれば一番よく見える。秋や冬の月と違い、冴え冴えとした白い光は望むべくもないけれど、なにやら曜変天目の茶碗の見込に月を配したような。周りの雲の濃き薄きに怪しげな斑点が映ってみえる。 (2006/7/31 WADA)

【コラム】

北の国から


 この連休に東北から舞踏家3人を呼んで踊ってもらった。小劇場のダンスフェスティバルがあり、推薦して東京に来てもらった。3日間で二百人超という観客数は、必ずしも多くはないが、劇場はしっかり埋まり、かなりのインパクトを受けた人も多かったようだ。また中沢新一、中沢けいというゲストのトークも受けた。


 農業をやりつつ踊る、役所に勤めて踊る、大学で教えて踊る舞踏家たち。その3人がまったく違う舞踏を踊る。1人が師匠なのだが、それぞれが自分の踊りを追求している。1人は道端でいきなり踊り出す、道路劇場と名づけた活動を長年行い、アジアから欧州まで毎年旅をしている。1人は東京から学生を受けいれ、農業体験と舞踏のワークショップをする。1人は毎日と作物と格闘し、時折、舞台に立つ。だが何よりも、面白かった。このことが大切だ。破天荒さ、ギャグ、戯れと儀式、日本的イメージとバルカン音楽にジャズ、クラシックなど。そこにはらんでいる混沌は、舞踏を美術・美学的にとらえる視点や、舞踊史のなかに収めて歴史的価値としてしまうことへの大きなアンチテーゼだ。東京、都市の舞踏にないものがそこにある。そして舞踏を踊るのは技術ではなく、それを超えたパワー、踊る動機、何かへの問いなどであることが伝わったように思う。


 二十年ぶりに実現した東京公演で、こちらで次の予定はない。しかし、もうすぐ始る新潟・越後妻有の美術展、トリエンナーレでこの中心人物が舞踊部門のプロデュースを行い、三人とも踊る。そして地元の集落でゴゼ唄による「門付け」など、劇場を飛びだした活動を行うらしい。普通に期待されるダンスのキレイな体や美術的なモノはここにはない。しかし、それを超えた踊りと体のリアリティが感じられる。北の風土に根を生やし四十年育まれた舞踏の襲来は、観念にとらわれすぎた現代アートの世界を、ある種のリアルさへと開くきっかけになるかもしれない。 (2006/7/24 志賀信夫)

【コラム】

2006.7.10

7月7日は七夕で、雨は降らないものの曇り空。いっそ雨のほうが風情はあるんだけどなぁ。と思いつつ、この頃、星も月も見てないなぁ、太陽も晴天という日がなくて回りにはどんよりとした暑い空気だけ。いまひとつ体調がパッとしないのは夜空が楽しくないせいじゃないかと思う。


帰り道のほんの数分でも、頭の上に月や星が瞬くと何となく落ち着いたほっとした気分になる。私の場合、太陽の輝きよりも月の光のほうが栄養になる気がする。植物だって、昼見てるときより夜が明けて朝にびっくりするような成長があったりするでしょう?


まぁ、今は昼が長くて月が昇るのも夜空で光って見えるのも遅いし、あっという間に夜が明けて暁を眺める間もない(そんな時間に起きちゃいないし)。だから、私は夏は体調悪いし、薄ぼんやりとしているのかなぁ、なんて。


そんな夏に憧れの「月」の行事がある。二十六夜待ち。大好きな鏑木清方の随筆に見つけた。『それは旧暦七月二十六日の夜半、月海上を離れる時、三尊の弥陀の御来迎が拝めると言い伝えたので、市内の高い丘や、海沿いのところへ、あっちこっちから夜の更けるのを待ってうちむれては出かけたのであった-岩波文庫「鏑木清方随筆集」-』この後、東京でそれを見るならば、芝・愛宕山、山頂の愛宕神社を目指し、振り返った位置がベストポイントであると続く。海面から姿を現すほんの一瞬だが、三つの丸い光が見える。それが阿弥陀三尊のご来迎のように見えるのだそうだ。現在、愛宕山の背後にあたる位置の高層ビルで働いている。そこに勤務が決まったとき、まっ先に頭に浮かんだのがこの二十六夜待ち。勤務初日、窓から見える風景と方角を何よりも先にチェック!これ望めないほどの最適な場所であった。ついで暦をチェック。今年の旧暦七月二十六日は、8月19日・・・土曜日・・・。しかも月が昇るのは、夜半。夜半ってやっぱり夜中12時過ぎとか、ですかね。休日のそんな時間にどういう理由をつけようと会社にはいられない、ってかビルに入れてもらえません。(2006/7/19 WADA)

【コラム】

3964伝説


 
ようやく静かにサッカーを楽しめる。1日1、2試合なら録画してなんとかこなせるし、日にちも空いている。それぞれの実力を感じているから、わくわくして見ている。予選から話題になっていた、「3964」をご存知だろうか。それによると、優勝はブラジルだという。


 この数字は1982の2倍に当たる。これまでの優勝国は、1982年の優勝国イタリアを中心にすると、前後5回がほぼ同じ国となっているのだ。4年に1度の試合で、1978年と1986年がアルゼンチン、1974年と1990年が西ドイツ、1970年と1994年がブラジル、1組飛ばして1962年と 2002年がまたブラジル。だから今年2006年は1958年の優勝国ブラジルとなる。例外の1966年と1998年はそれぞれ開催国のイングランドとフランスだったという理屈だ。さらに2010年はドイツということになる。いずれも2回の年を足すと3964になる。こんな組み合わせが実現することは、統計上ありえないので、予想のトリビアとしてはなかなか面白い。


 ところで、サッカーマンガとして一世を風靡した『キャプテン翼』、そのアニメは世界中で大ヒットした。そしてワールドカップに出る主要選手たちは、子ども時代、熱中したらしい。ブラジルのカフー、フランスのトレゼゲ、イタリアのガットゥーゾなど、それぞれがこの日本のアニメの主人公やライバル、キーパーなどに強く憧れたというのには驚いた。日本は最近、マンガやアニメを文化としてアピールしているが、こういった広がりと影響を調べた人は少ないのではないか。 欧州の組織型サッカーとブラジルの個人技、アフリカの身体能力など、地域的、民族的な特徴が語られることも多い。しかし選手たちがどの地域でも同じように、日本のアニメでサッカーにあこがれていたら、勝てない日本も、1本とったことになるかもしれない。ただ日本に圧勝したブラジルも負けてしまった。3964の法則は当てはまらなかった。

(2006/7/3 志賀信夫)


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