Arts Calendar/column

アーツカレンダー<コラム>のページ


2005年6月のコラム

【コラム】

06.06.26

6月23日の朝、いつもの時間に起きた時には、当然、試合は終わっていた。もしかしたらブラジルに勝っちゃうんじゃないかとちょっと思ってた。ほら、実力に差がありすぎて振り回されて、気が付いたら大番狂わせなんて、ありそうだし。でも、やっぱり、TVをつければニュースや天気予報・交通情報を繰り返していて、「どうなった?」と問うまでもなく「負けたんだね」。勝ったとしたら、どんな事件・事故があろうともゴールシーンを繰り返し流しただろうに、この豹変ぶりは何でしょうね。


私、サッカー、W杯は好きだけど、日本チームに対する過度の期待や報道の熱さにそっぽを向いていた。「自分たちのサッカーをするだけです」ってロスタイムで逆転されるお決まりパターンのサッカーですか?だから勝てないんじゃんと一人つっ込みつつ、オリンピックにしてもW杯にしても、そんなスタンスになってしまうのだけど、日本が嫌いなわけじゃない。実力に見合った応援とか期待とか報道であれば「頑張れ!ニッポン!」と言うことにやぶさかではない。


「どうみても絶対!弱いじゃん!」とは口が避けても言えない雰囲気の中、W杯の話題には沈黙を続けた2週間。今日をもって「これでおおっぴらにW杯を楽しめる!」と密かに心の中で喜んでいた。明るい表情は隠さなきゃいけないかしら?と思う中、日本の敗退が明らかになると「当然!勝てるんですっ!」と叫んでたキャスター陣は、掌を返したように世界との実力の差を、初めて冷静に語って「勝てるはずがない」と断言してる。新聞にも「そらみたことか」な論評が並んでいる。監督までが「プロ意識がない」って。なんだ、皆そう思ってたんじゃん!わかってたんじゃん!という裸の王様的な、ある意味、清々しい朝になったわけだけど。そうしてみると、一番日本チームを愛してたのは、ずっと一貫したスタンスでいた私?と思わなくもない。


さて、サッカーでお国柄を楽しむ。サッカーはこと細かな解説なんて不要なものだから、TVの音は消すか極力小さくする。そして、ピッチにいる国の音楽を流す。ドイツならワーグナー、南米にはもちろんサンバだし、サティとフランスのサッカーも意外と合うし、イタリアならカンツォーネよりオペラ。アフリカ勢なら熱いパーカッションが効いた民族音楽がいい。そして日本。。。サティやオペラがアリなわけだから雅楽もいいんじゃないかと思うけど、なんて言うかリズム・音楽にハマらない。ここが強化への秘策かもしれない、かも。(2006/6/26 WADA)

【コラム】

06.06.12

5月のある日の電車内で。「ただいま車内には空調を設定しております。車内の温度はいかがでしょうか?暑過ぎる・冷え過ぎるなど、また、ご不快な点、お気付きのことがありましたら、お気軽に車掌または運転士までお声をおかけ下さい」目を閉じて眠る体勢に入っていたのですが、笑うのをこらえるのが大変。まぁ100%原文のママではありませんが、かなりインパクトが強かったので、ほぼ合っていると思います。車内アナウンスというのは、車掌さんの裁量に任されているそうですが、これは久々のヒット。車掌さんも運転士さんも気軽な声が届きそうにない別室にいるのに。寒かったとしても、停まったタイミングで、ホームを走ってでも車掌さんか運転士さんにそれを伝えたいと思っても、真ん中辺りの車両にいたのではまず無理だし、降りてしまえば車内が暑かろうが寒かろうが知ったこっちゃない、でしょう?揺れる車内を先頭車両まで歩いていって、ガラスをドンドン叩いて「ちょーっとだけ、暑いんですけど」なんて言うのもねぇ。。。どんな反応があるか、やってみたかったけど。

寝た子を起こすようなアナウンスはたまにありますが、いつも聞き逃してひと駅ドキドキ過ごすのが「次は〜」の声。たいてい座れて居眠りをしている時です。目覚めて「今どこっ?」と焦ってみても、前に人が立っていて停まった駅の風景が見えなかったり、たまたま駅名の表示が見当たらない場所だったり。座ったまま振り返って窓の外を窺うのも、ギュウギュウの座席では難しいし。もしや乗り過ごしたのでは?と思いつつ、次のアナウンスを待ちます。通勤ラッシュの時間帯では、毎朝のことなのにいちいちアナウンスしなくてもいい、という声もあって主要なターミナル駅以外、アナウンスされないこともあります。そういう大きな駅では人が大きく動くから、逆にアナウンスなしでも気付くと思うんだけど、乗降が少ない駅こそ早めにドアに近付きたいからアナウンスすべき、と思います。

そして、車内のみんなが気持ちをひとつにして、次の声を待つ時があります。「次は」と言ったきり、黙ってしまう時。そういうときに限って皆アナウンスが耳に届いています。「次は○○だよ!」心で叫びながら、車掌さんは今、安全よりも駅名が最重要課題だ、とドキドキ。(2006/6/12 WADA)

【コラム】

蹴りたい気持ち


 夜中、奇声をあげた。高原が得点したからだ。ドイツに2点先制とは信じられない。実はサッカーが好きだ。ブラジルやドイツと日本は天と地、天皇と奴卑ほど違う。しかし実力伯仲でなくても、点をとり勝つことがあるのが、サッカーの面白さだ。PKだと小学生でもプロから点をとれる。他のスポーツではありえない可能性が世界中を熱くさせる。


 1998年のワールドカップで初めてフランスに行った。次の日韓はドイツvsアイルランド戦をようやく買った。そして今年はドイツへと思ったが金がない。団塊次世代の僕らからがたぶんサッカー世代。小学校でサッカーを習い、僕の中学は中国遠征を予定したほど強かった。指導した教師が熱心で、クラス対抗試合のために全クラスが早朝練習するほどだ。高校を出て読売クラブ(現ヴェルディ)に入ったヤツもいる。


 ただ試合での日の丸乱舞と君が代には馴染めない。侵略戦争に利用されたのみならず、再び為政者が国威発揚と掲げるから、よけいに嫌だ。拒む教師を罰する愚かな強制も話題になった。さらに教育基本法改定で愛国心とは、アナクロ以外の何ものでもない。法律に載せようというのは、愛されていないことの証明だ。米国の尻馬に乗ってイラクに派兵し、そのために国民を殺された政府は、戦争の責任を自己責任にすり換えた。さらに国有財産を企業に切り売りし、それを民営化として宣伝し、そういう国を愛せよと強要する。だが愛すべきは国家ではなく人々であり、かつ愛は自発的なもので、強制するものではない。 


 国際試合のたびにいわれることだが、スポーツへの熱狂を国威発揚と重ねたり、国家のために利用すべきでない。むしろそういう発想を蹴りとばし、弱い者が強い者を倒せる自由さこそ、まさにサッカーの魅力だと思う。日本チームが勝ちあがることは、不可能に近い。だからこそサッカーを愛し熱狂するのだ。(2006/6/5 志賀信夫)


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

TOPpage/Weekly/Performance/Music/Dance&Ballet/Movie/Art/Link