Arts Calendar/column

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2005年3月のコラム

【コラム】

数字の秘密


 園まり、中尾ミエ、伊東ゆかりという3人娘が復活した。団塊の世代のアイドルだが、キャンディーズのようなグループではなく、御三家と同じく、ソロ歌手をセットでアピールするものだ。ただ3人というのはいい人数かもしれない。2人で喧嘩になると、一対一ではどちらかが降参するまで決着がつかないが、もう1人いると客観的に間をとりもてる。


 ところで文楽は三位一体が基本だ。人形、浄瑠璃、三味線による演技、台詞・歌、音楽・効果の三者のみならず、1つの人形を3人で演じる。もちろん浄瑠璃と三味線のコンビだけでも面白いし、ソロでも先日見た『 関取千両幟』では三味線が十分以上、己の技を尽くす見せ場があり、ロックやジャズのアドリブソロ以上の迫力があった。これらが人形と絡むと、三位一体の場面もあれば、2人ずつのバトル、ソロなど、コンサートと芝居とダンスが合わさったような、多様なものになる。そのなかで、人形はあくまで繊細、近くで見ると人間以上に魅力的で、へたな踊りより美しい。頭と右手の主遣い、左手の左遣い、足遣いという三者が一体となって動く。主遣いの動きを2人が感じとって瞬時に合わせる。だが文楽が面白いのは、それが揃う美しさだけではなく、人形の三者、そして人形、浄瑠璃、三味線の三者の闘いが背景にあるからではないか。


 先日ある舞踏家から「霊・魂・体」の三分説を聞いた。霊の存在をどう考えるかはそれぞれだが、心と体という二分法、あるいは体のみ、物質だけという現代への問いでもあるだろう。宗教はキリスト教の三位一体、神道の三種の神器など「3」が基本原理などを示していることがある。「1」という個のみではなく、「2」という0か1の二分法でもない、そういう「3」が全体のなかで個が立つ構造なのかもしれない。さらに1とそれ自体しか割りきれない素数というのも興味深いのだが、この話は小川洋子のベストセラーにまかせておこう。


                             2006/3/13志賀信夫

【コラム】

アニメ


夜中に「なんかやってないかなぁ」とテレビのチャンネルを選んでいると、アニメをやっていたりします。「萌え」はしないけど、ぼんやり見ています。夕方の子供向けアニメも会社で話題になったりして、見てみることもあります。が、この頃のアニメは絵が動かない、と思う。

普通に話している場面では、くちだけが2パターンくらいの動きを繰り返すのみ。だから、無表情。走るにしても、パンを捏ねたりしても、紙芝居と錯覚するくらい動かない。もちろん、違和感なく動いている番組もあるのだけど、雑になったなぁと思う。デフォルメされた表情も、私たちが教室の黒板に落書きしてたのと変わらないような、ええーと、さっぱりしたというか素っ気ない線で、ストーリーがどうだというより、その絵にびっくりして夜中に見続けてしまいます。恐いもの見たさ、のような感覚。アニメの仕事に関わりたい人って多いように思っていたけど、地道に絵を描く仕事は人気がないのでしょうか。それに、この頃のアニメってパソコンで作るのが主流じゃないのかなぁ?あの絵で放送するなら、パソコンを使ったほうがいいと思う。

ということで、いくつになっても、やっぱり上質な(手造りの!)アニメには心惹かれるわけです。人形・クレイなどなど。その中でも大好きな「ウォレスとグルミット」の新作試写会に行ってきました。第1作は、映画館で3回続けて見たくらい好きなアニメです。1分間の場面を作るのに何日もかかるような手間だから、新作もなかなかできない。待ちに待っての新作!だったんだけど。

ドリームワークスと提携したんですよねぇ、だから(?)CGが使われています。明らかにそうとわかる場面があることで、逆に手造りと信じてる部分も、もしかしたらCGなんじゃ?とちょっと疑いを持ちつつの試写会でした。

でも、興醒めになる一歩手前で、「ウォレスとグルミット」らしいギャグや仕掛けには満足。やっぱり動かないものが動く面白さが、アニメの原点なんだと思います。
                             

2006/3/6 WADA

【コラム】

海外雄飛


 ある批評家の渡欧記念パーティに行った。出版記念を兼ねたものだが、盛会だった。いまどき1年間の海外研修に壮行会でもないのだが、こういう時代錯誤はちょっといいと思った。


 いま海外へ行くのは簡単だ。パスポートがあればチケットを買い、すぐに旅立てる。ツアーはもちろん、個人でもたいがい一度行けば慣れる。しかしそこで暮らすとなればそれなりに困難がある。大きいのは健康だ。言葉とコミュニケーションでストレスを抱き、それが持病を悪化させることも多い。英語のできる漱石もロンドンでノイローゼになり帰国した。


 一時、定年後の海外移住が話題になったように、私たちには海外生活への憧れがある。かつては海外雄飛としてブームになり、ブラジルへ二十万人が渡航、いま子孫などが百二十万人暮らし、うち二十万人が出稼ぎにきた。NHKドラマ『ハルとナツ』では戦前のブラジル移民の苦労が描かれ、盗作疑惑も話題になったが、言葉とコミュニケーションの問題も大きかった。ドミニカ移民は、政府の宣伝で行き、耕せない土地を与えられて苦労し、老人たちが苦渋の訴訟を起こしたのに、いまだ補償されていない。失業者対策で海外に労働者を送った責任をとるべきだろうが、大戦後も含めて,日本が過去を切り捨てる態度と政策をとっていることが顕著に表れた裁判だった。いまは海外雄飛の時代とは違い、テレビやネットで様子を知り、Eメールが届くなど、距離感は縮まっているが、コミュニケーションの問題は変わらない。


 インターネットは、ついつい新しさを追求しがちだ。だが時代錯誤、アナクロニズムには過去を見つめる、見直すというメリットもある。ネットも過去の情報検索に便利なので、よく活用する。しかしそこにはサイトやデータを作る人や組織の意図や意識が反映される。その網から外れたところにある生きた言葉や生の世界を見直すことが、大切な何かを生むような気がしている。

                                2006/3/27  志賀信夫


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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