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2005年2月のコラム

【コラム】


 本は蘇る


 マンガ『キャンディ・キャンディ』はもう書店にない。原作者とマンガ家が著作権を争い、増刷・刊行できなくなった。数年前に新古書店問題が話題になった。大規模チェーン店に対し、マンガ家と出版社が著作権料が入らないと反対していた。新刊同様の古書が大規模販売されると、新刊本が売れなくなるということらしい。だが一つの商品で二度利益を得よう、だめなら規制しろというのは虫がいい。絶版にする出版社に対し、古書市場が本を残してきたといえるのだが。

 マンガ雑誌は発行部数が驚くほど多く、大半は読み捨てで、都会ではホームレスが集めて百円で売る。連載が単行本になり、出版社もそれらの利益で堅い本を出すから、出版文化に貢献してはいるのだが。マンガはアニメからオタク、萌えを生み、現代日本を代表する文化となって政府までが後押しするとは、誰も想像しなかった。

 以前は古本を買わない人も多かったが、新古書店で変わったと思う。愉しい古書店めぐりは時間がとられるが、いまはネットでは驚くほど簡単に日本中、世界中から手に入る。ネットオークションには、個人が数十円の文庫本から数十万の稀覯本まで載せている。押し入れや棚に眠っていた本、捨てられる本が流通する。オークションは値段が吊り上がるマイナスもあるが、フリーマーケットとともに再利用の意識を普及させたのではないか。古書店に本を持ち込むと、びっくりほど安く買い取られ、大半は「値段がつかない」とタダで置いていく羽目になる。だから新古書店も経営が成り立ち、パリにまで支店を開ける。それでも日焼けした小口や天という本のフチを削り、きれいにして流通させて、経済活性化を一部支えているのではないか。

 ただいつのまにか部屋の本が増えている。頻繁な地震の後、帰ると山が崩れている。このぶんだとネットで本を探すコンピュータを、本の山のなかで探すコンピュータが必要になりそうだ。
                             

2006/2/27 志賀信夫

【コラム】

オリンピックに水をさす


オリンピックが始まりました。いちばんの楽しみの開会式・選手入場は見事に見逃しました。再放送も。寝ていました。パヴァロッティの「誰も寝てはならぬ」先に言ってくれよ!です。終盤のダイジェストか総集編をチェックです。

見逃したのは、なんともムゴイ時差が20%、気持ちが盛り上がらなかったのが80%。開会式だけは見たかったけれど、その中で流れるであろうアナウンスを聞くのは嫌だなぁと思っていた気持ちが睡魔をパワーアップさせたようです。

なによりも、日本人選手たちへの過度の期待の声が嫌い。聞いているのが恥ずかしいやら、つらいやら。身内に起きた出来事を晒されて、それによって頑張り度をはかるようなレポート。もちろん選手自身の事件にも遠慮なく踏み込みます。ケガを乗り越えた選手は頑張ってエライけど、体調を万全に、ケガしなかった選手は頑張っていないように聞こえます。対戦相手のミスには手を叩かんばかりにはしゃぐアナウンサーもいて、平等なマスコミ報道のモラル、なんてことを柄にもなく考えては溜め息が出てしまいます。アナウンサーが狂喜して、同じ場面を繰り返し繰り返し流している時間、他国のトップ選手同士の4年に一度しか見られない名勝負とその後の握手が、きっとあるだろうと思うと、本当に残念。

どの国の選手も、みんなが誰かの期待を背負っています。英雄だらけなんです。出る以上はメダル獲得は当然という選手もいれば、今は世界でどの位置にいるのか、まずちからを試したい・世界のレベルを体験したいという選手もいるでしょう。日本選手のなかにも、十何位という順位を「俺たち、よくやった!」と喜ぶ選手・競技もあるのです。今回、日本は100人を超える選手団をトリノに送っています。大会を通して、一度も放送に名前が乗らない選手のほうが圧倒的に多いでしょう。そういう選手たちの競技の行方こそ、夜中だろうが未明だろうが、翌日の仕事に差し障りがあろうとも、静かに見守って心から賞賛したいと思います。

だから、日本人が出場しなくても、アイドル的選手がいなくても、いろんな競技を放送してほしい。どの競技もいま見られる最高水準の競技のはずだから、本当はぜんぶ見たいのです。

2006/2/27 WADA

【コラム】

「ドラマの快楽」


 テレビドラマが好きだ。子どもの頃はデビッド・ジャンセンの『逃亡者』に惹かれ、日本のドラマは80年代の倉本聰や山田太一、向田邦子から見るようになった。特に『阿修羅のごとく』は傑作だった。ここ数年は演劇の脚本家や演出家によるドラマも面白い。三谷幸喜は以前からだが、宮藤官九郎、松尾スズキなどのマニアックな存在もブレイク。いまもよく見ると、『時効警察』には岩松了やケラリーノ・サンドロビッチが名前を連ねている。


 一方、高村薫の『照柿』を見事な作品にした井上由美子が好きだ。見逃していた『白い巨塔』を今春の再放送で毎日見つづけてしまった。むろん俳優も捨てがたい。例えばキムタクはワンパターンだがやはり魅力的、井上由美子脚本のジェット機操縦士やレーサーといった、古典的「理想」を演じられるのは彼ぐらいだろう。


 ドラマと映画は見終ったときの気持ちがちがう。映画の「完」の文字は静かに受けとめられるが、気に入ったドラマは「まだ続いてほしい」と思うことがある。毎週や毎日接することで、物語と人物が自分のなかで生き始め、現実のような感じを抱いたりもする。『北の国から』では、子どもたちの成長そのものを、みんなで見守った。だから彼らは他に出ても「純と蛍」だ。


 テレビの人物は、私たちの日常に入ってしまうと、いつの間にか知人のように思えることもある。さんまに会ったら、関西弁をまねて話しかけてしまうかもしれない。ホリエモンもそうやって生み出された虚像のようだ。持ち上げたと思うと落とすマスコミの手法はいつもながら巧みだ。テレビにより「ホリエモンの株」は大きく上がり、そして大きく下がった。野口氏はフジテレビの逆襲による儀性者なのか、それを追求する他局との間でテレビ戦争が勃発するのか、安倍晋三を通じてヒューザーまで登場するのか、新たな展開が待たれるところだ。ところでこのドラマの脚本家は誰だっただろう。        

2006/2/13  志賀 信夫

【コラム】

新しい電話

(先日お騒がせしました「ピアス」は、予想通り窓サッシのレールの隙間から無事救出されました)

携帯電話を買い替えました。これを持つようになって6代目(台目?)です。買い替えるたび「これね、こんなことができるねん!」と友達に自慢したり、されたりを繰り返しています。そして、自慢の種が当たり前のことになり、画期的な機能を知らされることが多くなってきたら、次の買い替え時です。

私は、いちど気に入ったものはいつまでも長く使っていたいのですが、機械の寿命もあるし「未対応」なことが多くなってくれば、そうも言っていられません。ちょっとしたことで「社会的不利益」を被ることが嫌いですから。以前の機種は、2年近く使っていて同じものを店頭でもしばらく前から見なくなっていました。「社会的不利益」は感じなかったので、急いで買い替える必要もなかったのですが、メールを打っていて「長州小力」が出なかったことで時代の流れを感じてしまいました。

「そろそろ新しいの」と頭に浮かぶようになると、もう駄目で、電話会社のサイトをマメに見たり、ついショップを覗いてしまいます。そして「本日発売!」という携帯電話を見つけました。デザイン・機能とも100%気に入ったわけではないけれど、最新機種にしては小型で「まぁこんなところかな?」と決めてしまいました。

さて、これが使いにくいのなんのって!「手に馴染むボディ」は馴染みすぎて通話中に触れてはいけないボタンに指が乗ってしまい、何度通話が打ち切られたか!都心のビジネス街でも、銀座の真ん中でも東京駅でも圏外!でも、まったく同じ地点で、翌日はバリ4だったりします。郊外にある自宅では、昼間はアンテナ4本ですが、夕方から段々と本数が減っていき、夜11時から翌朝までは圏外。ちょっと前の共産圏とか戦争やってる国みたいなことになってます。届かなかったメールは、申告されただけで2週間で10通は下りません。

携帯電話を持っている相手には、自分の意志は伝わっているというのが、近頃の大前提でしょう?友人それぞれ忙しいから、必ず直後に返信を求められるとは思っていませんが、ふとした時に「このあいだのメールにあった本、見つけたけど買っておく?」なんてことも、お互いやってたりしてます。さすがにこれでは持っている意味がなく、あえなく2週間、機種変更解禁日に以前のケイタイに変えました。

2006/2/6  WADA


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