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2006年12月のコラム

【コラム】

快楽と異常


 シリアルキラー、連続殺人者の事件がたびたび浮上する。英米が多そうだが、実は南米から日本、韓国まで、洋の東西を問わない。先般、死刑判決が出た日本の姉妹殺人では、「殺人の快楽」が話題になった。昔から快楽殺人というが、殺人により快楽、性的興奮を得るのは異常ではないのかもしれない。


 殺人には、なにものにも代えがたい、人の存在を抹消するという事実と衝撃がある。死への恐怖を伴う殺人という行為が快楽を生じさせることは、想像に難くない。また、一個の生物が死んでいく姿、それを自分が支配しているリアリティに、支配の快楽が重なる。「人を殺すなかれ」という禁忌を破る快感もある。そしてバタイユを借りるまでもなく、死と性の快楽はつながっていることを、僕たちはうすうす感じている。だから報道が、「異常な事件」「どうしてこのようなことを」と繰り返すたびに、「本当にそう思うか」といいたくなる。「異常ではない」「殺人は快楽かもしれない」とどこかで感じているからこそ、異常の枠に収めようとするのだろう。「正常な社会」を成り立たせるためにそのレッテルが必要になる。


 かつては異常性欲とされたSMは、プチSMや遊戯を含めて認知されてきた。精神異常も、鬱や引きこもりの蔓延する時代には、さほど異常ではなくなった。快楽殺人も、「異常」のレッテルを貼ったり、生い立ちなどに原因を求めて納得した「振り」をするのではなく、僕たち自身の感覚と現実を考えていかないと、リアルにとらえることはできない。


 こういう事件でワイドショーなどに登場する芸人やタレントの意見は、どうも常套句や保守に流れがちだ。事細かに報道しながらレッテルで安心させるのは、殺人を快楽に変えて消費するというテレビらしい情報操作だ。グルメも殺人もファッションも政治も井戸端会議のように語りながら、「正常」という名の保守化を促そうとしているように思うのは、「異常」だろうか。   (2006/12/35 志賀信夫)

【コラム】

夜中に3回起こされた。起こすのは猫。
齢二十一歳。「ねぇまだ化け猫にならないの?」と言われるお年頃。
人を起こす用件は、「毛布が落ちた。掛け直せ」。この毛布、もともとは私が自分のために買ったちょっといい膝掛け。上質の膝掛けに包まれて、お茶を飲みながら楽しみにしていた本を読む、冬のささやかな幸福を味わおうとしていた矢先、買ってきたばかりの膝掛けと本の包みを開け、お茶を煎れにいった数分の間に猫ベッドに持ち込み、毛だらけにしていた。その他、柔らかいガーゼ素材のスカート、シルクサテンにファーのボンボンつきバッグが一度も陽の目を見ることなく猫に強奪された。そうそう、着物をきて出掛けたあと、帯を解き抜け殻のような状態から私が一歩でた瞬間に、その丸くなった帯の真ん中に一瞬にして寝場所を見つける天才でもある。

夜中、家の中にカラスか?というほどの大声で叫ぶ。
高齢の猫にありがちな声というけど。毎日のことで命に関わるようなことでないとわかっているので無視。すると、机の上に乗る。かつて電話の上に乗り、器用にも[ハンズフリー]→[短縮]→[1]と踏み、友人宅へ深夜の迷惑電話をかけた前科有。さらにMacの上に乗り修理に出す羽目に。お陰で私の部屋の電話は引き出しにしまわれ、Macは無骨なPCラックに納め(せっかく可愛いMacなのに)、AV機器はギチギチの棚に。と、万全の対策をとっているので乗ったところで私は痛くも痒くもない。起きるもんか!
すると、さらに声が大きくなる。断末魔の叫びのように。これはいい加減ご近所迷惑。で、起きて毛布をかけてやる。でも、室内にいて毛皮を着た猫に電気座布団をあてがい、さらに毛布は必要か…?
休日、家にいると猫に振り回され、大変。

夜中、「毛布を!」と起こしたくせに明るくなってくると「太陽を!」とカーテンを開けガラス越しの日光浴を要求。電気座布団を置いたキャスターつき特製ベッドを窓辺に移動させろと。何のためにキャスター付けたんだ、化け猫寸前のくせに自分で押していけ。まぁ朝の定位置にベッドを置く。暫くすると「暑くなった」と叫び、カーテンを閉めさせる。次は「そろそろお昼寝をする」と毛布をかけさせる。やがて「あ・つ・いっ!」と叫ぶので、電気座布団のスイッチを切る。
夕方、猫の様子を見ると、ギュウギュウに丸くなり寝てる。よくよく見ると目を開けていて、顔を前足で覆った隙間から哀れっぽくこちらを見ている。その視線のほうが夜中の大声よりよっぽど効果的なんだけどな、ということで電気座布団のスイッチを入れる。
(WADA)

【コラム】

「ワンダーランド」

 都知事の行政私物化が問題になっている。本郷のギャラリー、東京ワンダーサイトは、開館当初のイベントに数回行った。だが有名なアーティストに混じって、無名の子息が壁画やステンドグラスを描いていることもあり、足が遠のいた。後にその友人が実質的に仕切っていると聞き、多くの人が「やっぱり」と思った。そして遊休施設の活用が渋谷、青山と増え、、男の妻まで雇い、いつの間にか都の美術館より予算が多くなっているのには驚いた。

 知事は小説家として優れた作品をかつて書き、芸術好きを自認している。だが『たけしの誰でもピカソ』に弟の特集で出たときに、弟より絵がうまいとか会話が自慢の山で、あまり薄っぺらさにびっくりした。またヘブンアーティスト。大道芸人などを審査して活動許可を与えるものだが、目印の金属ケースを持つと、歩行者天国や上野公園などで演じられる。当初から疑問視する声が多かった。ヤクザやショバ代から守ることはあるだろうが、活動・表現が制限される。何より、受からないと排除される構造を作った。表現活動をそのように制限することは、マイナスだ。大道芸に詳しい人も審査員だが、優劣は路上で観客が判断すべきだろう。人が集まらなければ、自然と淘汰される。保護と振興のためなら登録制にし、責任者と連絡先を明確にするだけのゆるい管理でいい。もちろん登録せずに活動する人は、もっとパワーがある。

 そのストレートな右傾化した発言に、議員当選当初は多くの人が呆れたが、いまや人気があるらしい。内外への差別発言も数えきれず、首都の首長として適任ではない。作家としては初期作品だけで、弟ネタで売るのは商売上手だ。今回の「私物化」事件をうやむやにせずに、退任させるべきだ。総理をはじめとして政府が右傾化する現在、気がついたら驚くような、おかしな国になっていたら、困るのは僕たちだ。愛国心を煽る人は決して戦争に行かないという事実と歴史を見つめよう。
                                           (志賀信夫)

【コラム】

 本棚を整理しました。今回は文庫用の棚のみ。「御宿かわせみ」の文庫31冊(未文庫化の単行本がまだ3冊あるらしいので、もっと増える見込み)を一気に買い揃えたため、当然、棚から溢れているわけです。片付け魔の性格上、本が棚に収まっていない状態にものすごくイライラします。だから買ってきた本は横にして積んでおくと、それが嫌なためにどんどん読破できるのです。ただ勢いで読んでいるので、しばらくしてから「この本、自分のかしら?」と一瞬おもうほどに身についていない結果もあるのですけど。(借りた本があることにも落ち着かないので、すぐ読んでしまうことは必定)

文庫は買ってくるとまず表紙カバーを外してしまいます。外した表紙カバーは、以前は取っておいたのですが、溜まっていく一方でかなり嵩張ります。そして保存したところでどうにもなるものでもなく、今ではさっさと処分しています。単行本とは違った装丁が凝らされているものもあり、処分は偲びないとは思うのですが。なかにはジャケ買い(?)して中身はともかく、フォトフレームに入れてるものもあります。
外してしまうのは、そのまま本棚に並べているとカラフル過ぎて、目に煩くて嫌なので。書店で探すときは、作家毎に色が決まっていたりして目印になるけれど、狭い部屋の中では「うざい」。(単行本やCDなども同じことですが、中が見えない扉つきに収納なので、いいのです)

文庫は、表紙カバーを外してしまうと、ほとんどの出版社の本がクラフト紙のベージュで、少々フザけたタイトルだとしても本棚に並べているとそこそこ知的に見えます。背表紙にも出版社毎に違いがあります。まずベージュでないのが講談社・集英社・角川書店・ハヤカワ。。。これらは申し訳ないことに本棚の奥のほうにまとめられます。よく読むから手前に置きたくても、ソファから本棚を眺め「やっぱヤダ!」と奥へ。でも、どういう訳かあまり手持ちがありません。ちくま文庫は背表紙の文字が濃く大きいのでこれも後ろのほう。(文庫棚は手前・中・奥と3段構え)

さて、整理して30冊ほど、もう読むことはないと思う本を抜き出しました。これをどうするかは大きな問題です。「御宿かわせみ」を買い揃えた「BOOK O××」で毎回言われた「読み終わったら、お売り下さい。」を実行する時かと思いましたが、表紙カバーがきれいであることが持っていける最低条件でしょうねぇ。(2006/12/4 WADA)

無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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