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2006年11月のコラム

【コラム】

エコとエゴ 

 東京の病院で一人の男が息を引き取った。宇井純。公害問題と闘い、造反し続けた男だった。「富田八郎」のペンネームで水俣病を告発、チッソのネコ実験を暴き、東大で万年助手として開いた自主講座「公害原論」は、学生運動が冷えた時代も人々を集め、環境問題への取組みの基礎を築き続けた。その後、沖縄大学の教授になり、下水処理技術が実を結んだ。仕事で沖縄を取材するときに、真先に思い浮かべた。米軍の町に宇井純がいる。


 宇井はJICA、当時国際協力事業団の環境分野の研修生を受け入れ、環境技術を途上国の人々に教えることにも熱意を注いでいた。かくして政府系広報誌に、保守の与那嶺知事と宇井純が並んで登場することになった。実はある左派作家には知事との対談を依頼したが、断られた。


 温和な語り口で丁寧に話す宇井は、環境対策の装置の説明になると熱が込もる。科学者のパッションを実感し、机上の学問や論理でなく、環境破壊の現実に向きあう宇井の強さを感じた。当時すでに体調を壊し、体を騙しながらの活動だった。


 いま世の中はエコ宣伝の大安売りだ。石油会社や自動車会社がしきりに唱えるエコにごまかされる。リッター10キロの燃費の車が時速60キロで3時間走ると石油缶1本のガソリンが消費され、二酸化炭素や汚染ガスをはき出す。それが日本だけで数千万台走り続けている。人間が数十倍の早さで移動する環境負荷は大きい。足尾や水俣のおかげで、日本の水銀や大気汚染の防御技術は発展し、途上国や中国に技術者が派遣されている。しかし同じ轍を踏む企業が後を絶たない。先日も有毒物質を大量に含んだゴミがリサイクル品として、役所のお墨付で使われていた。毎日の分別ゴミとリサイクルに費やすエネルギーが、見合った環境対策になっているか、誰が試算したのか。個人の環境意識は高まったが、エコの名の企業エゴや誇大広告を真に検証・告発する機関が必要だ。

付記:中西準子さんのサイトの追悼文、ぜひお読みください
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak366_370.html#zakkan366

(2006/11/27志賀信夫)

【コラム】

先週、スウェーデン大使館に行ってきました。大した用事があるわけでもなく、展覧会をやっていたので。

各国の大使館というのは興味があるのですが、どういう用事があれば中に入っていいものやら、どうもわかりません。

スウェーデン大使館は、ホテル・オークラのそばの高台にあり、鬱蒼と言っていいほどの深い緑に囲まれた静かな場所にあります。真夏でもさぞ涼やかであろうと思われ、冬であっても暖かな光がもれてくるような、いかにも北欧の静かな豊かさを感じさせる建物です。真上から見るとケーキ4分の1の形、おしゃれな北欧デザインの殿堂のようでその中に入ってみたかったのです。

展覧会は、正面玄関ではなくて脇の事務窓口のドアから繋がる細長いスペースで開かれていました。殺風景な(事務的な)部屋でしたが、さすがに天井が高く「日本じゃないな〜」という感じ。北欧インテリアなんていうものは、展示されているファブリック以外なにもないんだけど、異国情緒というのか、空気が違う。

もうひとつ、入ったことのある大使館は、インド大使館。九段の秀麗なイギリス大使館のすぐお隣。地図を頼りに歩いて行けば「今夜はカレーですか」という香りが漂ってきて、道を間違えていないことを確信。こちらでは、お茶会に紛れ込んだので2時間ほどのインド滞在。床も壁も石造りで空気がひんやりしてて、外の明るさはほとんど入ってきません。暑さ対策万全な造りのようです。いただくお料理やお菓子がどれもなにげにカレー風味や揚げ物で、私は苦手な味付けが多かったのだけど、この空間でならアリかな、と。

日本にあっての「外国」とどう頑張っても「日本」のままの違いはどんなところにあるんでしょう。私にしても自分の家とは似ても似つかぬ「オフィス」で働いているわけですが、どんな設備があろうとやっぱり「日本」で外国っぽさはありません。いる人が日本人だから?とも考えてみましたが、ウチの「オフィス」は外国人もいるし、そのビルで働く半分は外国人だと思うけど「日本」です。大使館だってそうでしょう?以前、赤坂の迎賓館に行ったときも、フランスそのままのような部屋を歩いてもどうしようもなく「日本」だったのです。建てる段階からこだわり抜いたヨーロッパ調の家に行って靴のままのリビングで日本茶を出されても違和感なく「日本」なのです。どこかの大使館を覗いてみての「外国だぁ〜!」という雰囲気・空気はどこから現れるんでしょうか。(2006/11/20 WADA)

【コラム】

むかつきとよそもの

 むかつき、目玉の話、よそもの、小さな王子。これらを見て何を想像するだろう。最近、文学作品の新訳を目にする。元来日本には訳書が驚くほど多い。『悪の華』『マルドロールの歌』は十近くで、こんな国は他にない。フロイトの訳はフランスよりも数十年早かった。

 新訳は通常、わかりやすく、読みやすくなる。『悪の華』を擬古文調で訳した斎藤磯雄は例外的だ。これまでタイトルは比較的手つかずだったが、かなり変わった。しかしバタイユの『眼球譚』が『目玉の話』だと、目玉が擬人化された童話か、目についてのエッセイを思い浮かべる。解剖学的用語「眼球」と「譚」という幻想文学表現がエロティシズムを感じさせた。『嘔吐』の抽象性は不条理、哲学者サルトルに合う。『むかつき』は部分訳に解説を加えたもので、ニートがテーマ。『よそもの』はカミュだ。

 『星の王子さま』の新訳は池澤夏樹や倉橋由美子など、競うように出版された。実は翻訳の版権が切れたかららしい。倉橋のは絶筆ともいうが、どちらもフランス語の達人ではないので、下訳者がいて作家の知名度と文体で売るということだ。ミステリーを除くと翻訳文学は勢いがなく、魔術的リアリスム以降、流行もない。国内では柔な恋愛文学真盛り。大人向けの童話も目立つ。難解な翻訳文学の時代は終ったのか。だが、すぐわかる面白さではないから、わからないまま口角泡を飛ばして議論していたような気もする。気取りや幼さもあったろうが、わからないものに挑戦する意識は高かった。

 いま北朝鮮の核やロケットにこちらもとか、靖国参拝反対の中国に対してとか、単純な報復論とプチナショナリズムが蔓延している。戦争を知らない首相も同様だ。あまりに単純な発想は同じ過ちを繰り返す。米国もベトナムからイラクまで、失敗が続く。わかりやすさを求めすぎるのは退行現象、意味を考えずに、「よそものにむかつく」保守化につながりはしないだろうか。(2006/11/13 志賀信夫)

【コラム】

捕物帳の「御宿かわせみ」にハマっています。文庫では、現在31巻まで出ていますが、1カ月ほどで25冊ばかり読みました。友人に勧められ、図書館で単行本を借りてみたのですが、単行本のタイトルには何巻というのが出ていません。そして、全巻そろっているわけではありません。市内の図書館に分散していたり、貸出中だったりで、なかなかペースよく読めるものではありません。そして、一話完結ではあるけれど、中心人物が増えていたり、時々登場していた人が突然に重要なレギュラーになったりと捕物帳としての展開以外に意外な点も多く、「これは(近所の)図書館じゃ駄目」というわけで、文庫を揃え読んでいます。

と言っても定価で新品を買うのは何だかなぁと思い、初めから古本屋さんで。1冊250円ほどで買えます。いつも同じ古本屋さんで巻を追って買っていましたが、そう都合よく順番通りには棚になく、やはり飛び飛びにはなってしまいます。で、ある日、買った本の背表紙に「105円」のシールが!「BOOK O××」ってチェーン店の値段シールです。「半額以下じゃん!」というわけで、さっそくそちらのお店へ。(「BOOK O××」の値段シールを貼ったまま売ってる古本屋さんの商売ッ気のなさがすごく好きですが)

「御宿かわせみ」全巻揃ってます!しかも結構きれい。一気に全部揃えてしまおうかという勢いでしたが、そこに並んでいるのはほとんど「250円」。やっぱりコンディションによってランクがあるんだなぁと思い、まずは店内をぐるーっと見てみると半分は105円コーナーです。ちょっと前まで、どこの本屋さんでも品切れが続いたベストセラーも105円で山積み。文庫・単行本問わず105円。

まぁやはり並んでいる本のほとんどは、ちょっと前のベストセラーで「1回読めば気が済みそう」なものが中心です。中には古びた岩波文庫などもありますが、学校のテキストとして買わされたっぽいタイトルです。図書館に入れた予約を半年以上待って読んだ「生協の白石さん」も105円。1時間くらい立ち読みすれば読破できそうと思いつつ、予約の順番が回ってくるのを意地で待ったものでした。ほんとに1時間で読み終わってしまったけど。「これからはちょっと読んでみたい位の本はここだなぁ」と思いました。「BOOK O××」では買った時「読み終わったら、お売り下さい。」と言われます。となると、貸本屋のような循環があるのかもしれません。

さて、250円の棚の裏側に「御宿かわせみ」シリーズの105円がありました。こちらは全巻揃ってはいなかったけど、数冊求めました。1日1冊ペースで読み、また行ってみると105円コーナーに続く巻があるんですねぇ。それを何度か繰り返し、ものすごいペースで回転しているのがわかりました。そんなわけで1カ月で25冊も、ほぼ順番通りにシリーズものが揃ってしまうわけです。お陰で、この頃、会話の中にカタカナ語が減っているような気もしますが、よくよく考えてみれば「御宿かわせみ」を読むことよりも揃えることにハマっているです。父の書棚に押し込んで、それぞれの話の内容をまったく覚えていない「鬼平犯科帳」の二の舞になりそうです。(2006/11/6 WADA)

無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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