Arts Calendar/column

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2005年8月

【コラム】

台風

富士五湖のどれか(覚えていない…)の湖畔に行った時です。台風の接近はわかっているのに、そこしか休暇が取れない友人の「どうしても行きたいっ」に折れて、4人で1泊。宿からは「できたらキャンセルして欲しい」と連絡があったのに決行。観光してから宿に着いた時には、直撃決定!と誰もが確信する生暖かい風と湿気と厚い雲。こういう状況になると、なぜ「血湧き肉躍」ってしまうのでしょう。妙に饒舌・ハイテンションになって今までの台風体験なんかを喋りまくるわけです。台風回避でキャンセルした賢い人達の分の食材を使って、予定よりも豪華な食事を出していただき(非常物資として取っておくほうがいいんじゃないですか?)、さらに盛り上がる。アタマの中には「禿げ山の一夜」が鳴り響き、室内からのわずかな灯りに浮かび上がる木々は魔王の腕のように猛りくるう。停電に備えて、ロウソクが支給されます。キャンドルの灯ゆらめくロマンチックな湖畔の夜、じゃなくて明らかに非常用のロウソクです。百物語やるっきゃない。


一夜明けて台風一過、とはならなかった。台風は遅々として進まず、チェックアウトの時間に合わせるかのように襲ってきます。「もう1泊しようよ」の多数意見は「どうしても行きたいっ」と言ったヤツの「いま帰らないと明日会社に行けないっ」に負けました。送迎はしない宿ですが、放り出すわけにもいかず、中央本線の駅まで送っていただきました。車を最敬礼で見送り、さて切符をと思ったら、土砂崩れがあったとかで不通。この暴風雨だもの、当たり前だ。事態に右往左往する見込みの甘い観光客たち。臨時のバスを出すから、とにかくそれに乗るようにと指示され、乗ります。どこに連れて行かれるのか、わかりません。通過した湖は、まるで怒濤の日本海。どどーんって感じです。その高い波は道路を乗り越え、山の斜面にぶつかって波飛沫をあげる。また高波が押し寄せる。波といってもすべて風のチカラだけで起きる波ですから。バスも波のタイミングをはかりながら「それーっ」と勢いで通り過ぎます。山道を通れば、倒木で道が塞がれている。。。


どこをどう通ったのかはわかりません。3時間ほどして降ろされたのは御殿場。富士山を半周したらしい。御殿場の駅も何線が不通だの復旧したのと、ごったがえしています。切符も買わず(あ、バスも無料だった)何とか東京行らしい電車に乗ります。改札付近はごちゃごちゃだったのに、車内は平穏。ぼろぼろぐちゃぐちゃの私たちは異様。東京駅からは、いつも通勤電車。誰も傘なんて持たず、平気でヒラヒラな夏服なの。地元の駅に到着、精算しないと改札は出られません。「中央本線が不通で、御殿場までバスで、そこから・・・」経路を説明してる本人がまったくわかっていません。駅員さんも「計算のしようがないので」こっそり改札を通して出していただきました。


まぁなんて穏やかな夕焼け空。2,3時間、宿に待機していれば、中央本線もすぐに復旧して台風も通過して、簡単に帰ってこられたのです。いや〜でも楽しかった!何しに行ったんだかわかんないけど。
                                   

                                  05/8/29 WADA

【コラム】

山に思う

 夏山登山で遭難者が増えている。1年で267人が死亡・行方不明になっているというから、お盆や連休などは1日1人以上だろう。その八割が中高年だ。自然志向でシニアやリタイア組がこぞって山に出かける。しかし徹夜、早朝出発などで体力が尽きて倒れ、救助ヘリを呼んだりする。1日に5回以上出動する山もあるという。シニアが元気といわれるが、「お元気ですね」「お若いですね」に自分も騙されて、気がつくと山に登っている。高校以来目立った運動もせず、1日1時間も歩くことがない僕たちが山に登るためには、体力作りと維持が欠かせない。


 最近交通事故もお年寄りが多い。信号がないところでの無謀な横断で命を落とす。よけられるはず、間に合うはずという若い頃の感覚で、動こうとして動けない。僕もガードレールをまたごうとして、体の動かなさにびっくりした。歩行中に60歳以上が年600人亡くなっているという。


 『山の郵便配達』という中国映画があった。1日かけて山を越え郵便を運ぶ。字の読めない老人に読んで代筆もする。便りのない息子に成り変わって返事を書く。雨の日も嵐の日も届く人力による配達システムは、日本も同じだ。


 JRは民営化の成功例として取り上げられる。しかし解雇された職員はいまも法廷で争い、地方の支線は廃線となった。それは過疎化と中央集中化を推し進め、車のための道路と観光が環境破壊を促進する。さらに国営事業の跡地に、企業が群がって都内の再開発が進んでいる。


 郵便貯金に対する銀行、小包に対する運送業の利益を擁護し、企業の参入をはかる政治家たち。こうなると民営化は企業とその利益を追求する政治家の策略としか思えない。一方で郵政を基盤にした政治家たちが反対する。僕たちはこのような利権争いと公共事業の食い荒らしに、共にノーというべきではないのか。『楢山節考』は姥捨て山の話だが、利権政治家たちを捨てる山はどこかにないのだろうか。
                                   

                                  05/8/22 志賀信夫

【コラム】

浴衣から


色とりどりの浴衣を町中で見かけるようになって久しいですが、私はこれが大嫌いです。デパートの呉服売り場で吊されているカラフルな浴衣を品定めし、店員さんにワザとつかまっては「ちゃんとした浴衣が欲しいの」と嫌味を言って歩いてます。祖母が入院していた病院の売店には、患者さん用に明るい色の「寝巻き」が売られていました。明るい色・可愛い花柄で落ち込みがちの気分を少しでも和らげようというものでしょう。それらにそっくりなのが浴衣として流行ってるんですよね、今。


生地もよれよれで薄くて寝巻き向きです。ちゃんとした浴衣はやっぱり紺と白!帯は献上あたりにして欲しい。くるぶしがすっきり見えるように着付けて。お年を召したかたなら鼠や茶系も素敵ですね。


先日、イベントで吉永小百合さんが白地に紺の綿紅梅の浴衣を着ていました。半襟をつけて、長襦袢も。足袋はいて、普通の着物を浴衣に替えただけの着付けかた。これは茶道に「浴衣点前」というのがあり、その着付けかたを真似たものだと思います。茶室に入るには足袋が絶対に必要です。それでも浴衣を着たくて仕様がなかった誰かが考えた苦肉の策が「浴衣点前」の着付けでしょう。(見た目は涼し気かも知れませんが、実際にはすごく暑い!絹を重ねたほうがどれだけ涼しいか)浴衣というのはバスローブであり、本来ひとまえで着るものではありません。いい大人が、真夏のイベントだからと言って浴衣で人前には出られないとの吉永小百合さんの着こなしだったのかと思います。


ついでに言うと白地の浴衣は昼に着るもの、紺(濃い色)地のものは夜に着るものと決まっています。光の当たり方を考えたものです。そんなルールも明治大正あたりから言われたことでしょう。民族衣装というには新しいルールかもしれませんが、知れ渡る前に廃れるのは何か悔しい。廃れるなら、あのカラフルなよれよれ浴衣こそなくなって欲しい。


呉服屋さんの中には、どんな形であれ着物が見直されるのは嬉しい、と言う人もいます。でも、今風の浴衣や人類史上最古のお商売の好みを真似たような着物ばかりが残ったって。。。若い人だけじゃなくて、教える立場の年齢の人がルール無視ですから、難しいでしょうか。大相撲中継で、桟敷きに座った人の着物姿がそうです。遠くから結婚式に出席して着替えないままの正装で国技館に来た人か、これからご出勤という人ばかりが着物を着てるみたいです。好意的に考えて、ですが。


着物と帯の組み合わせ、行く場所に、季節によって選ぶ柄、色、素材。完璧にするにはどれほど財産があっても足りないけれど、自分の範囲内でルールを守った上で遊ぶ。これをやりたいですね。テレビに出る人ってのが絶大なチカラを持つ日本だから、発言力のある女優さんが「これがホントなのよ」なんて言ってくれたら効果あるでしょうか?呉服屋さんが舞台のドラマもあるけれど、自分ちにいるのに豪華なよそ行き着てんじゃねーよ、って感じだからなぁ。(まず、自分の言葉遣いから。。。)

                                   

                                  05/8/15 WADA

 「コラム・ライブラリー

【コラム】

黄色い粉の秘密


 夏の食べ物というと、ソーメン、冷し中華、冷麺、鰻にカレーだ。暑いとなぜカレーが食べたいのかわからない。ただ汗を流しながら食べるのは、暑い夏がふさわしい。夏バテ、食欲のないときには香辛料に食欲を刺激され、香りだけで欲望が高まる。

 日本では近年カレールウの発達がカレーの普及を推進し、レトルトカレーが加速したといえる。インスタントラーメンを基盤にラーメンブームが花開いたと考えれば、日本の食文化の一面はインスタントなのかもしれない。西洋では出汁を肉や魚から取るのに対して、日本では鰹節、昆布、椎茸などの乾物を使う。インスタント文化の基盤があるのだ。

 先日カレーバイキングに行き、食べ過ぎて動けなくなった。キャンプや家でも思わずお代わりをしてしまう。遠藤賢司の曲は「君も僕も猫も、みんな好きだね、カレーライスが…」と始まる。猫が食べるかどうか試していないが、恋人と猫、あるいは猫と子どもがいてカレーがある場面は、団欒の典型かもしれない。そこに砒素を入れたという女性容疑者は、見事に団欒を打ち砕いた。

 僕も高校生からカレー作りにはまった。最初に香辛料を買い集めて作ったときは、ターメリックがなくて白いカレーになった。色々試して、中村屋のカレー粉がやはりベストだと思っている。容器に書かれた方法に忠実に作ると、かなり美味しい本格カレーができあがる。スパイスを加えて好みの味にもできる。インドの独立革命家ラス・ビハリ・ボースが亡命中に、右翼玄洋社の頭山満の紹介で、かくまわれた中村屋で教
えたという粉とレシピだ。その前に英国カレーが伝わっていたから、インドカレーも日本で英国と闘ったといえるだろうか。

 いまやタイを中心としたアジアのカレーなど、多様なカレーを僕たちは食べることができる。レシピもある程度知っている。しかしカレー粉がなぜ私たちを惹きつけるのか、それは永遠の秘密かもしれない。
                                   

                                  05/8/8 志賀信夫

【コラム】

分不相応なことに高校の夏休み、部活の合宿で旧軽井沢の別荘に「滞在」したことがある。確か、顧問の先生の伝手で貸していただいたのだった。ゲストがたくさんあるから、というお宅なので何人でも泊まれる用意があった。それにしても20人弱の女子高生によくも貸してくださったものだ。太っ腹というより無謀。さすがの別荘地、窓を開いても隣の別荘は目に入らないほど距離をおいていて、白樺の小さな橋があり、清流にスイカを遊ばせた。そんなところで「あえいうえおあお〜」なんて大声を出すのはさすがの女子高生も遠慮する(演劇部でした)。ジャージ着て練習なんてしてる場合じゃなく、みんなでお嬢様ごっこばかりしていた記憶しかない。

2度目の豪華な別荘体験は、さる会社の社長に貸していただいた時。富士山と聞いていたものの、着いても富士山が見えない。「富士山はどこ?」「いま踏んでるのが富士山だから」という山の中で、富士山は見えてこその富士山なのにと、ちょっと騙されたような気がしないでもない場所だった。家の中にタタミ1畳ほどの鉄板があり「ここで好きなだけ肉焼いて食べなさい」と高級なお肉も持たせてくれた。2階には蔵書のほとんどが漫画という広いライブラリーもあった。

でも、市井の生活が染み付いている私には、別荘は向かないなぁと思う。なにより、別荘までの道中が遠すぎる。軽井沢はもちろん電車で行ったのだが、釜飯を食べつつ2時間くらいはかかっただろう(今は新幹線が使えるのだろうか?)。軽井沢の駅からもかなり遠かった。富士山へは持ち主の高級外車で送迎付き。快適ではあったけど3時間以上かかった。そういう所要時間だが、ここの持ち主はひと月に2,3日の滞在がせいぜいだそうだ。そして、着いたら掃除・帰る前に掃除も抱き合わせ。食事作るのも自分(豪華な焼肉も毎日じゃあ・・・それに後の掃除の大変だったこと!)。3日のうち、1日は家事をしていることになる。そして、帰ったら洗濯と自分の部屋の掃除が待ってる。

ひと夏ずっと別荘にいられて、家事いっさいをやってくれる人がいるならいいかというと、それもちょっとなぁ。。。どちらも外に出るというと昼間の散歩しかすることがない。アウトドア嫌いだから、ハイキングは苦行に近いものがある。街灯がないから陽が傾きかけたら、もう別荘からは出られないほど真っ暗になる。富士山のなんてホントに山の中の斜面だから、夜になったら絶対に外に出ないようにと再三注意を受けた。そして、テレビのチャンネルが、少ない。読書ははかどりそうだが、それでは家で引きこもっているのと変わらず、別荘の意味もあまりないかも。こういった環境では私は2日が限度だろう。刻々と変わる夕景を眺めていられる岬などだったらもう少し楽しめるかも知れない(が、潮風のあたる場所はメンテナンスが大変らしい)。ひと様に借りておいて、だが。別荘向きでない理由なら山のように浮かぶ。

そういえば、子供のころに短期間だけ我が家も別荘を持ったことがあった。場所は磐梯山だから冬のスキー向きの物件だったのだろうが、夏休みに行ってしまったのが間違い。野口英世と白虎隊・・・と子供には嬉しい遊び場は少なく、家でごろごろ過ごす夏休みと全く変わらない日々に母がキレた。「ご飯作って掃除して!買い物するお店もなくて!お母さん家にいるより大変よっ!」

                                  05/8/1 WADA


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