Arts Calendar/column

アーツカレンダー<コラム>のページ


2005年7月

【コラム】

「演劇」vs「ダンス」?

 岡田利規は先般岸田戯曲賞を受賞したが、同時に受賞した、いまもっともチケットの取れない長塚圭史ほど有名ではない。しかし今度はトヨタのダンス振付賞にノミネートされ、最終候補に残った。岡田の作品では会話、言葉と同時に、過剰な身振りが頻繁に表れる。台詞はいまの若者の話法を強調し、極度にリフレインするが、身振りも無意識に行っているしぐさなどを強調し、それがダンス的な動きになってくる。審査では、作品の生成が演劇かダンスかが話題になったというが、いま日本でダンスと演劇が強く侵犯し合っている顕著な例といえるだろう。


 コンテンポラリーダンスの舞台が、日常の動きや言葉などを取り入れて、演劇的要素が目立ってきたのは、ピナ・バウシュのタンツテアターの影響が大だろう。コントや人形芝居まで取り入れたコンドルズの舞台は、一般にも広く人気を得ている。このようなダンスの隆盛からか、ミュージカル以外の芝居に振付家を招くことが増えてきた。白井晃の『ルル』は、井手茂太による役者の奇妙な動きが印象的だった。
 実は六十年代演劇では、唐十郎の舞台から麿赤児が登場したし、鈴木忠志のメソッドには舞踏的な要素があり、初期の鴻上尚史の舞台はダンスが魅力の一つだった。海外ではダンスミュージカルも盛んだし、歌舞伎はいまも日本舞踊と密接で、世界中に古代から舞踊劇がある。そう考えると、演劇とダンスの分化に対する揺り戻しなのかもしれない。


 いずれにせよ、演劇かダンスかとか、どっちが先かという「鶏と卵」的な発想ではなく、なぜその舞台が面白いかを考えるほうがいい。また芝居の言葉に対する身体の復権、舞踊技術に対する物語や日常の逆襲などとするのでもなく、個々の作品の面白さをちょっとだけ考えてみれば、それでいいような気がする。それにしても岡田の舞台は面白い。


 ところでこれはコラム? エッセイ? 批評? で、面白い? うーん。
                                


                                  2005/7/18 志賀信夫

【コラム】

停電

真夏で、たぶん10歳頃のことだったと思う。暑い日の夕方、帰宅してみると誰もいない。玄関から通る部屋すべての灯りをつけながら、リビングではクーラーをつけ、テレビをつけ、おふろの湯沸かし器も作動。ブゥンと音がしたと思う。まっくら。停電。


外は薄暗くなっていて、何をするにも心もとない。ブレーカーボックスの場所はわかるが何をどうするのかはわからない。いずれ親も帰ってくるだろう。下手に動かないほうがいいが、とりあえず、いろんなスイッチをOFFにしておく。


しばらくするとお隣のおばさんが縁側に顔を出してくれた。「電気がついて、帰って来たなと思ったら、すぐ真っ暗になってそのままだから。やったなと思ったのよ」と。停電中だから玄関のピンポンも鳴るはずなく、庭から様子を見にきてくれたのだった。当時の私は病弱な文学少女とご近所では思われていたので、暗い部屋でさぞかし心細く怯えているのだろうと心配されたのだという。すみません。病弱な文学少女と言えなくもなかったかもしれないが、度胸はよかった。肝もすわっていた。というわけで、暗い部屋でお徳用カップのアイスクリームを抱え込んでいたのだった。停電して心配なのは冷凍庫のアイスクリームだけだった。続いてお隣のおじさんが脚立・懐中電灯・工具箱を持ってきてくれて解決。


最近、久しぶりに「使い過ぎの停電」を味わった。何が引き金になったか分からないのだが、とても暑い日だったので、クーラー2台フル回転した上に、いろいろなものを使ったのだろう。昔はクーラーをつけるとなると、他の電機製品を使うときには気を使ったものだ。今は何アンペアだか知らないが、一般家庭の上限にしているので、「クーラーつけるわよ」と声もかからない。油断していたら、落ちた。停電となると、電話・ステレオ・ビデオ・炊飯器・電子レンジなど、充電式やタイマーで動かすようなものが「電気が切れたよ〜」とピーピー警告音を鳴らし、うるさい。10分や20分停電したところで人間は平気だが、電機製品を黙らせるため、ブレーカーを直す。内蔵電池がちゃんと働いているから、あんなにピーピー言わなくても大丈夫なはずだが、念のため、大事ないか脈を看る医師のように、時計やタイマーを見て回る。


                                  2005/7/11 WADA

【コラム】

武器としての肉体

 毎日必ずヘソやパンツを目にする。いつしか若い女性は暖かくなると腹を出す習慣になったらしい。チビT、小さいTシャツが流行ったころからパンツ、最近はズボンやスラックスをそう呼ぶから紛らわしいが、それが下がってきて、ヘソ出しが日常化した。70年代にもヘソ出しルックがあった。股上の浅いパンツは前はヒップボーン、いまはローライズというらしい。


 そしてパンツが下がったためにパンツ、パンティが見えることがある。おもに前ではなくうしろだ。フリルだとうれしいし、黒のTバックはカッコイイが、肌色Tバックが褌状に出ていたときは笑った。パンツが見えるのを喜ぶのは男の宿命。スカートから見えそうになるとドキドキしない男はいない。その体型や年齢でドキドキ度は変わるのだが。


 最近は若い男のパンツを目にすることもある。高校生がウエストが股のあたりにくるようにズボンを下げズルズルと履き、トランクスの柄が目に入る。米国のラッパーの影響らしいが、僕たちの時代のボンタン、つまりツッパリのズルズルズボンとも関係があるだろう。女子のルーズソックスは稀になったが、制服を極端にミニにし、下にブルマーや冬はジャージを履く子もいるから奇妙だ。ルーズソックス世代がいまの
ヘソ出し世代なのか。


 ヘソ出しは便秘がちな人にはいいだろう。女性たちはダイエットなどでスタイルがよくなっており、その成果報告ともいえる。ランジェリーと見まごう姿や谷間を晒す人も増えた。男女平等、男女共同参画などジェンダー、フェミニスム的な考えは広まったが、女性たちは逆にセクシュアリティや女性性を強調し始めているようにみえる。


 最近の海外の芝居で、男が全裸になりチンチンを見せるものが二作あった。日本の舞台でもチンチンを見せたダンスが話題になった。若い男のヒゲや見せるパンツは対抗意識なのか。ただ女性より男性にはセクシュアリティの武器が少ないような気がする。


                                  2005/7/4  志賀信夫


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

TOPpage/Weekly/Performance/Music/Dance&Ballet/Movie/Art/Link