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2005年4月

【コラム】

独り言


 最近、独り言をいうようになった。「よっこらしょ」などの掛け声や、「これをして、あれをやって」などと行動を口に出す。また、「これでいいかなあ」「どうしようねえ」などと疑問や考えを口にして、見えない対話相手がいそうなものもある。とりあえず前者をモノローグ型、後者をダイアローグ型としてみた。そう人にいうと、テレビが独り言を増やしているのではないかといわれた。確かにドラマを見て、「それはだめだ」「こうすれば」「ありえねえ」と突っ込んだり、サッカーで「右に振れ」と叫んだりする。後者はスタジアム観戦の気分でちょっと違うが、テレビの前は意外と騒がしいときもある。


 年をとると独り言が多くなるというが、やはり1人でいることが多くなるためだろう。ただ、老いも若きも全体として、独り言は増えて、会話は減ってきているようにも思う。休みの午後、電話を受けたものの声が出にくくて、その日初めてしゃべったことに気がついた、そんな経験はないだろうか。考えてみると、朝の「おはよう」「いってきます」の挨拶程度でも、声を出すことは大事なのかもしれない。日本語ブームで声を出す本がはやっている。言葉は移り変わるものと認識しているので、正しい日本語なるものの押しつけはいただけないが、声を出すのがいいのは確かだ。そう考えると、独り言も悪くない。歌うこと、笑うことが精神的にプラスに働くのはよく知られているが、発声、発話だけでもいいような気がする。


 先日見た芝居は、登場人物それぞれがモノローグ、語る内容も違いがなく、全体が独り言にしか聞こえなかった。それでもウケればいいのだろうが、これはちょっと難しかった。仕事場でつい独り言をいって、恥ずかしい思いをすることがあるが、それがウケて、対話になることもある。「やっちまったぜ、ああ」「え、何が」「いや」「それはね…」。まず独り言でいいのかもしれない。「そうそう、いいかもしれない」。
                               

                                                            05/4/25 志賀信夫

【コラム】

中宮寺菩薩半跏像


東京国立博物館本館で奈良・中宮寺国宝菩薩半跏像が特別公開中です。


中宮寺菩薩半跏像!木造ですが、長い年月の灯明のせいでしょう、鋳造のように黒光りしています。光背にわずかに彩色のあとがある点、寄木造の継ぎ目が所々に見られる点などから木造であるとかろうじて感じられます。少し前屈み、頬に指を当て、右足を左膝に乗せています。中宮寺では如意輪観音としていますが、国宝第一号の広隆寺・弥勒菩薩半跏思惟像と同じポーズ。如意輪というにはちょっと色気が足りないなという男性的な佇まい。左足は蓮華座から踏み出そうとする瞬間、と言われていますが、私には置いた瞬間に見えます。


360度ぐるりと拝見できるようになっています。どこから見ても、この姿が頭頂に結われた二つの髷を頂点にした円錐型(光背を支える竹のせいか筍型に思えます)にきれいに収まるプロポーション。鋳造に見えるもう一つは鎌倉時代あたりの仏像に比べると、衣に厚みがあったり、垂らした髪に軽さが感じられないからでしょうか。台座に広がる衣の裾や蓮華座など、等間隔・シンメトリーが基準。「これもアリ?」という程度にアンシンメトリー。キチッと約束事のなかにおさまるような仏像です。同じ本館で見られる鎌倉時代・平安時代の仏像の細やかさ・華やかさ・ファッションセンスと比べると稚拙なものかもしれません。


が、長い時間、人々に愛されたのは、その表情のせいでしょう。写真では確かにアルカイックスマイルとか神秘的な微笑みとか言われる通りですが、実物を間近で拝見すると違います。単純な形の中にすっぽりおさまってしまう仏像の中で唯一、人間臭い表情なんですよね。めちゃくちゃ本音が現われた無防備な笑顔に見えるのです。例えるなら、湯舟に体を沈めた瞬間の「あ〜極楽極楽」とか、「美味しいっ」って顔。体部分は、朝鮮半島からの金剛仏を模したように思えますが、お顔だけは身近な誰かの「幸せな瞬間」を映し取ったのだと確信しています。

                                       05/04/18 WADA

【コラム】

化粧列車


 山手線などが到着すると、電車全体が広告で彩られていて吃驚することがある。綺麗なのもあるが、だいたいが派手で人目を引こうとしている。そんな車中での女性の化粧も一般化してきた。以前は若い子が鏡を見てシャドウや唇を塗っていた。しばらくすると、素顔からファウンデーション、アイライン、マスカラなどの作業をすべて行う人も出現し、年齢も三十代後半くらいまでに伸びた。男は奇麗な女が好きなのだが、化粧で化けるのは好まない。まして化けていく過程を見たくはない。男性の大半は素顔に口紅程度を好み、厚い白塗りの肌や匂いが好きな男性は例外的だろう。


 女は何のために化粧をするのか。突きつめてみれば、男を惹きつけるため、つまり自分を美によって男に売るためだ。種の保存につながる自然な行為であり、男が金や名誉を求め、それで女を惹きつけるのと同じだろう。もちろん国や民族によっては、男が化粧するところもある。また鳥は概して雄のほうが美しい。


 車内の化粧の不快さは、その楽屋裏を見せられるためだけではない。目の前の人々は関係ないという態度にもよる。男性の不快感は、自分がその女性から性的対象となっていない、男として無視されているということにも起因するだろう。


 白粉、ファウンデーションなどを使われると、その匂いと粉も気になる。独特の匂いの微粒子が飛んでくるような不快さは、屁や目の前で靴下を脱ぐ中年男と変わらない。コギャルがヘヤブラシの髪の毛を床に捨てたりもする。肉体の一部を巷に撒きちらすのもどうかと思うが、さらに驚いたのは爪切りだ。中年男性がシルバーシートで切っているのは時々見かけたが、最近は女性でもいる。さすがにここまでくると、「電車はお前の部屋じゃない」といいたくなる。さらにパジャマで乗ってきて、服を着替える人が出てくるかもしれない。その場合はどうしたらいいのか。もっとも、それが若い美女なら、大歓迎なのだが。
                                    

                                     05/04/11 志賀信夫

【コラム】

こんにちは?

勤務地が銀座だと昼休みや帰り道でよく「有名人」を見かけます。プライベートで歩いている様子の人も、雑踏で撮影の人も。銀座でなくても「有名人」が歩いているところを狙っているわけでもないのに、結構見かけます。頻度が高いと見かけても、かなり冷静というか驚きも軽く、「ああ」と言うひとことの語尾は下がりがちです。


そんな中、銀座で出会って一番びっくりしてドキドキしてしまったのは、いつもの通勤電車で会う女性。
私は毎朝、同じ電車の決まった車両に乗っています。折り返し始発になる電車で、その到着の少し前からいつも同じ顔ぶれ並んで待っています。「今朝は私のほうが早かった」なんて思いながら、いつものメンバーの顔は覚えてしまっています。座る場所もだいたい決まっているもんですよね。


顔以外、なにも知らない「顔見知り」の一人を、お昼を食べに会社を出たところで見かけました。寒いのにコートなし、銀座なのにバッグなし、でも手に持ち帰りのお弁当が入っているふうの買い物袋。というと近くに勤めている証拠。相手も何やら見覚えのある顔と思った様子。「どこの誰だっけ?」とお互い眉間にシワの瞬間。「あーっ」(無言。でも語尾あがる!)と相手も晴れ晴れとした表情ながら、つぎに浮かぶのは「挨拶するべき?」という新たな疑問。


毎朝、必ず顔を合わせていて、例えば3日間、見かけなければ「休暇とって旅行かな?」とか風邪のシーズンならば「体調くずしちゃったのかな?」なんて思うんだけど、だからといって「こんにちは」って言う?言えば、翌朝からは確実に「おはようございます」と言うことになって、通勤電車の中で「どちらにお勤め?」とか話すことになったりするのかしら?なんて。。。


きっと、お互い同じことが一瞬で頭を駆け巡ったわけで、暗黙のうちに「ここはまぁこのままで」と知らん顔して通り過ぎたのでした。

                                    05/04/04 WADA


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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