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2003年6月

登山

学生時代、登山にハマっている友達をみて(わざわざそんな苦しい思いまでして、トイレもお風呂もないような山に登って何が楽しいんだろう?)となかばあきれていた私ですが、社員旅行で行った屋久島で、縄文杉まで往復8時間の山歩きが無事に出来てしまったのをきっかけに山好きになってしまいました。
中学高校のマラソン大会ではいつもほとんどビリ、自分の体力なんて普通の人の半分以下だと思ってたのに、もう若くもない年になってこんなことが出来てしまうとは…。
このところ中高年の登山が流行ってるようですが、そういえば屋久島でへたばってる平均30代の私たちを尻目にさっさと登っていくのはかなり年輩のグループだったりしました。
山を登る行為ってどこか人生と似ているような気がします。黙々と汗を流して歩きながら、自分の弱い部分や嫌な部分が出てきたり、意外と忍耐強くて頑張る自分が出てきたり。
そう思うと、逆に山登りの体力って、人生を重ねるごとについてくるのかも。中高年が登山好きなのも理解できます。ていうか、私もだんだん中年に近づいてきた、っていうこと?

                               03.06.02 taki

極夜

南極には、「極夜」というのがあるそうです(きっと北極にも)。白夜の反対で、まったく太陽が昇らない日が1カ月余り続くのだそうです。かなりな夜型の私には、暮らしやすい時期かもしれませんが、やっぱり午前6時とか7時には目覚まし時計を鳴らさなければならないことでしょう。私が夜のほうが好きなのは、太陽が出ている時間は「勤労時間」、日が落ちて電気の下では自分の時間という切換えがあるからだと思うのです。会社の電話が鳴ったらお世話になってなくても1コールで「お世話になっております!」と出なきゃならないけど、自分の携帯で非通知の電話ならシカトできる。雨で暗い休日なら、部屋を明るくしてゆっくり本を読もうと思う。でも、南極にいる観測隊員や動物たちにそんな切換えは無用で、24時間すべてが生きるために気の抜けない時間でしょう。街暮らしの、なんてのんきなこと。
電気の明かりだけの1カ月というのは、どういうものなのでしょう。本来そこに住んでいない人間にとっては、電気はまさに命綱。一瞬でも止まることがあったら、ものすごい恐怖でしょう。ペンギンやアザラシは暗い中、どうやって暮らしていくのでしょう。・・・ペンギンは鳥目じゃないのかしら?

                               03.06.09 WADA

正しい日本語

日本語が乱れているとか、おかしな言葉が流行してるとか、いつの時代でも言われています。昭和初期の小説なんて読むと肯定と否定が今の使い方と逆だったりします。その頃にも「言葉が乱れている」はやっぱり憂慮されていて、「近頃の若いものは!」と怒られているのです。それが、当時乱れた言葉を使うことに嬉々としていた子供が、今ではクレヨンしんちゃんを糾弾してたり。美しい言葉は美人薄命?
でも、悪い言葉だって印象が強いだけで「憎まれっ子世にはばかる」わけでもないと思います。ただ感染力は強大。
近所に、息子さん一家が南米で暮らしているというお宅があります。その息子さんには小学生の男の子が二人いるのですが、日本人学校も英語での外国人学校もなく、外国のテレビも見ることのできない町で、一家は外ではポルトガル語を使わざるを得ないということです。つまり、テレビや雑誌から流行する日本語からは無菌状態で暮らしているのです。夏休みには一家で里帰りしてきます。親戚の子供達も集まってきます。すると、とってもお行儀のいい言葉遣いだった男の子二人は、一日にして最新流行の言葉を完璧に使いこなすようになってしまうのです。不思議なもので、悪い言葉は、シチュエーション・活用と間違って使われることはほとんどない。
尊敬語だの謙譲語だのって本当に使いこなせる人はなかなかいないのに。美しい日本語の将来を考えるなら、この不思議がヒントになるんじゃないでしょうか?

                               03.06.16 WADA

アクセス

この頃、自宅のパソコンを立ち上げるのが、おっくうになっています。パソコンを使うのは、メールとホームページチェックくらいですが、1日に1回か2回はメールのチェックをしていたのが、ひどいときには3日に1回だったり。間隔が空いてしまったときに限って、大事な、緊急のメールが届いてたりして「オーマイガッ!」ってことになるんですが。パソコンを立ち上げなくなった大きな理由は、「携帯電話」です。少し込みいった話になると、やはりパソコンで(キーボードで)打ち込むほうが早いし楽だけど、ちょっとしたおしゃべり程度の用事や急いで知らせたい用事ならば、携帯電話のメールを使います。友達と「繋がってる」感覚になり、それだけでも満足感があるんですよね。
所構わず、親指を動かしている高校生などの気持ちがわからなくもないです。大きく言えば「世の中と繋がってる」と錯覚してるかもしれません。

最新ニュースも携帯電話のニュースサイトでチェックできます。自分がいる場所限定のニュースと全国、世界のニュースもパソコンを立ち上げている時間で読み終わってしまいます。ハードが大きければ、大きいニュースが届いているわけでなく、逆に小さい分、簡潔に、重要な部分だけを知ることができますが、自分の感情と頭を使わなければ、世界はどんどんと内側に閉じてしまうと思います。ニュースを読む、友達の消息を確認する。それだけで終わってしまったら、自己満足でしかありません。携帯電話でもデスクトップのパソコンでも、自分に届いた情報をどう読み込んで、他の情報とつなげて関連づけて、自分なりに「考えて」いかなければ、頭の中にはブチブチと途切れた単語だけが漂って、言葉の使い方も忘れてしまうような気がします。

                               03.06.23 WADA


無断転載禁止 掲載:アーク編集室

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