Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》'17. 7. 4.


vol.290

'17. 7. 4.

青年劇場公演 『みすてられた島』(高知市民劇場第327回例会)

会場:県民文化ホール・オレンジ


 坂東眞砂子の『やっちゃれ、やっちゃれ![独立・土佐黒潮共和国]』は読んでいるけれども、井上ひさしの『吉里吉里人』は、四十年近く書棚に鎮座ましましたまま未読だ。なにせ厚い。でも、この芝居を観て、もうそろそろ読まなくては、という気になった。会報では、第二次大戦後まもない時期の大島憲章に触れていたが、モチーフとしてもう一つ重要な部分を占めているのが沖縄であることを明らかに窺わせつつ、いわゆる沖縄問題が主題になってしまわないよう腐心しているところを好もしく思った。

 政治とか国づくりが生活者のなかで議論に終わらず実践されている感じがあって、それが『やっちゃれ、やっちゃれ!』を想起させたのだけれど、書物で読む以上のインパクトが、やはり生の舞台にはある。政治や国づくりに“理念”というものが非常に大事であることと併せて、それらはあくまで共同体のためのものであることを強く感じさせる提起のされ方に感心した。

 そのうえで、理念について島外出身者ゆかり(大山 秋)の説く“島の美点”を容れて「経済至上主義から人間至上主義へ」を掲げていたわけだが、折しもメフィストホールで清水宏のスタンダップコメディによる 『ヤツらを笑い飛ばせ!』を観たばかりで、そこで諧謔的に誇示されていた「カネよりスキ」のことを思い起こした。人の生き方が「しょせんカネメでしょ」ではないと思っている人々は、政治家たちが考える以上にたくさんいるはずだ。本作に描かれたほどの島への移住者があるとは俄かには思いがたいが、戦禍リスクという要素が加われば、あり得ないことではないのかもしれない。

 人物造形では、やはり島長の児島大作(吉村 直)に奥深い味があったが、最も感心したのは、島の事業家である鳴海耕造(広戸 聡)だった。企業誘致に熱心だった彼の努力が島の人々の民意により頓挫したときの彼の処し方を見て、ある意味、彼が最も望ましい現実的リベラリストだったような気がした。

 時節柄ちょっと残念だったのは、『20世紀少年』とか「トモダチ作戦」を持ち出すまでもなく、現政権によってすっかり言葉に色の付けられてしまっている「トモダチ」という言葉をある意味、無頓着に使っているように感じられてしまったことだ。言葉に罪はないはずなのだが、妙に気になってしまい、気分が削がれた。

◎『やっちゃれ、やっちゃれ! [独立・土佐黒潮共和国]』を読んで
http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/zatsu/97.htm



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