Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》'17.11. 9.


vol.297

'17.10.14.〜15.

からくり劇場公演No.2『土管』

会場:蛸蔵

 何ともシュールな舞台劇の最後に半ば取ってつけたように嵌め込まれていたエンディングは、佃典彦による台本ではどのような書かれ方がされていたのだろう。

 中三の雅彦(中城賢太)が野球部を辞めて以来、ろくなことになっていなかった母子家庭も、人生の選択における二択にて常にハズレを引いてきたと述懐する男(谷山圭一郎)と、私は不幸を呼ぶ存在だと自認していた女(小野純子)にしても、難儀そうな中学教師生活のなかで痛ましい家庭訪問になっていた男女教員(岡村慎司&ネリ)にしても、皆人がそれまでには見られなかった“寄り添い”というものを初めて得ていて、独り立つ地図屋(からくり敬三)さえも、きらきらと降り注ぐ光を浴びていた。

 ちょっと不思議な幸福感を醸し出していて、心惹かれたのだが、その効果を引き立てたのは、バックに流れていた清志郎の歌以上に、人生の歩みにおいて常に後れを取ってきたと零す男(刈谷隆介)の妻(別役和美)が、まな板に包丁で刻んでいた音の響きだったような気がする。

 圧倒的な存在感で終始舞台を牽引していた“土管”の造形が素晴らしかった。地面に突き立つ土管はまだしも、天井からぶら下がる土管という発想は、なかなか出来るものではないと思う。オープニングで突き立つ土管に投げ入れたものが天井から落ちてくるという形で示された二つの土管の繋いでいる世界は何だろうと、最初はパラレルワールドかと思っていたものが次第に異界であると判明してくるにつれ、ぬめぬめとした湿り気を帯びる土管に浸る快感に溺れてしまうことの持つ意味が変容してきて、ちょっとしたホラー色に流れて行っていたものをひっくり返す、けっこう意表を突いたエンディングだったように思う。

 八人の登場人物のうち、土管に浸かることが一度もなかったのは男女教員と雅彦の三人、二つの世界を行き来した者がまた三人で、雅彦の両親と地図屋だったように思う。二択を迷う男と不幸を呼ぶ女の二人は土管の快楽に溺れても行き来はしなかったはずだ。そのそれぞれの差異の持つ意味を思うと、異界の側から登場せずに土管を行き来した唯一の人物である雅彦の母の存在がやけに気になってきた。

 それにしても、よく造り込まれた舞台装置だったように思う。開幕早々のキューピー⇒マヨネーズには、出てくることに時間が掛かったのも道理だと笑わされたが、星一徹の魔送球が判る『巨人の星』世代は殆どいそうにない場内に、一体いつ頃の台本なのだろうと思ったら、舞台挨拶のなかで演出のはぐれ庵が1996年の作品だと紹介していた。その時点でも30年くらい経っていたわけだから、同時代性を狙ってのネタではなかったのだなと思うと同時に、もしかすると「土管」の着想は、未来からロボットがやってきたドラえもんにあるのかも、などとも思った。なかなか観応えのある作品だった。



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