Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》 4.17.


vol.265

'16. 4.17.

シアターTACOGURA公演#007『イプセン 民衆の敵』
会場:多目的ホール蛸蔵

 稀代の活劇俳優スティーヴ・マックィーンが惚れ込んで製作総指揮を担い、主演した映画化作品の『民衆の敵』を名画座で観たのは、三十二年前の四月のことだが、なかなか力のある作品だった覚えがある。当然のことながら三十二年前に映画化作品を観たときには想起のしようのなかった“福島の放射能汚染にまつわる「美味しんぼ問題」”のことを、今観ると思わずにいられなかった。

 会場アンケートに「あなたの思う“民衆の敵”は誰か、上位二つを選択してください」というような問いがあって、町長(政治的権力者)、事業家(財界)、新聞の編集者(マスコミ)、博士(告発者)、博士(学識ある専門家)、船長(少数派の民衆)、集会参加者(多数派の民衆)、その他、というような選択肢が並んでいたのが目を惹いた。観客に振り返りを促すなかなか良い設問だと思った。僕自身は、本作のタイトルはあくまで、汚染の告発を行おうとしたトマス・ストックマン博士(山田憲人)が扇動に乗せられた多数派町民から与えられた呼称だと受け止めていて、“民衆の敵”という形で社会的に存在した人物は設けられてなかったと解したので、その他を選択し、「いずれも民衆の敵ではない」と記して回答した。

 キャストで最も気に掛かった登場人物は、真木よう子を思わせる声質と眼差しの強さが印象深い伊藤麻由の演じていたストックマン夫人カトリンで、夫トマスを支持しながらも成算を気に掛ける現実的な立ち位置において、最もぶれが少ない代わりに常に微妙さの伴っている役どころだったと思うのだが、十年前に美術館中庭ステージで観た中島諒人の演出によるイプセン作『ヘッダ・ガブラー』を思い出すような“出演者の全てが総じて強い口調で台詞を発する単調さ”によって生み出す迫力を企図しているように感じられるなかでは、カトリンの微妙な心情を表出するのは難しい気がした。

 演技・演出スタイルとしての力強さではないところの力を最も強く感じたのは、トマス・ストックマン博士を演じた山田憲人だったように思う。とりわけ最後の孤高というには余りに危うい高笑いを続けていた演技に感心した。彼が行うとしていた告発が、彼自身の信じる正義という“いわば彼自身のためのもの”であって「民衆のため」のものではなかったように映るところがミソだったように思う。

中島諒人の演出によるイプセン作『ヘッダ・ガブラー』
http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/05/09-02.html


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