Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》2.18.


vol.258

'16.2.18.

富良野GROUP公演『屋根』
会場:高知市文化プラザかるぽーと大ホール

 50周年の金婚どころか、70周年を過ぎて添い遂げた根来公平・しの夫妻の1923年(大正12年)の初夜から始まり大正・昭和・平成に至る“20世紀の百年を生き抜いた日本人夫婦の物語”を観ながら、1935年生まれである作者の倉本聰の位置するところは、ちょうど東京に出て狂乱物価の時代に超贅沢品のビデオレターを送ってきていた四郎に当たるのだろうなと思った。
 それで言えば、1973年当時には高校生になったばかりだった僕は、戦時中に戦死及び徴兵忌避自殺によって生きて戦後を見ることのなかった一平・次郎・三平のうちの次郎が、最晩年の公平・しの夫妻を迎えに来たかのようにして言っていた、人間が自然や肉体労働、命の息づきから遠ざかり機械に囲まれ消費に明け暮れた“夢幻の時間”のほうでしか生きてきていない戦後の高度経済成長期生まれだから、次郎の言う意味での帰るべき生き方自体を体験していない世代だ。幼い時分に住んでいた市営住宅の庭先で亡父が飼っていた鶏を絞めて鶏スキにして食べた覚えなどは辛くもあるものの、子どもの時分に家内であれ外であれ労働に従事した記憶がない。勉強しろなどと追い立てられた覚えもない。
 だから、次郎の言う“夢の時間”という言葉に、高校の同窓生だった今は亡き坂東眞砂子が五年余り前に上梓した『やっちゃれ、やっちゃれ! 独立土佐黒潮共和国』(文藝春秋)のなかで、「(高知県が独立して)電気洗濯機を使わなくなって以来、手洗いは日課となっている。新村人たちは洗濯が辛いと文句をいっているが、房江にとっては子供時代に戻っただけのことだった。 洗濯機も掃除機も冷蔵庫もテレビも、あの頃の村にはなかった。戦後、それらを村人が買えるようになった時、こんな楽な機械があるかと感嘆したものだった。しかし、なくなってしまえば、元の暮らしに戻るだけだ。あの便利な機械に囲まれていた頃は、夢だったのかもしれないと思いもする」(P174)と書いていた房江のことを想起しつつ、自分は戻る元のない新村人のほうだと思ったりした。
 だが、公平の息子五郎が見舞われた「借金は財産だ」などという不届きな煽り言葉は、確かに同時代のものとして苦々しく聞いた覚えがあり、「消費は美徳だ」と煽られた高度経済成長期と共に育っているからこそ、本作には描かれなかったバブル崩壊後の平成不況や物の生産消費からも離れた金融資本主義が席巻する時代を、本作の作者同様に同時代に過ごしてきてもいる。だから、作者が本作に込めているものについて、妙に複雑な思いが湧いてきた。
 2016年のいま現在、公平・しの夫婦のような形の帰るべきところは既に皆人が喪失しているし、帰る地点を持たない者が帰りようもないことを作者は強く意識しつつ、かつてあった生活や体験の“記憶と体感”を若き役者たちに演じさせることによって継いでいこうとして本作を創り上げたような気がしてならなかった。初々しく溌剌とした若さから身体が曲がり震えのくる老境までを演じた、実に丹念な身体表現に鍛え上げられた役者の演技を観ているうちに、そんな思いが湧いた。
 とりわけインパクトがあったのは、人権を蹂躙する戦時体制の悪しき部分の取り出しの見事さと、'60年代以降の日本の目まぐるしく急激な変化を悉く見覚えのあるファッションモードで一気に見せた演出の鮮やかさ(顔黒ルーズソックスが登場しながら何故ボディコンが出てこない?と思ったりはしたが)、そして、戦後に生き残った者が胸の内に観た戦死者の魂の帰還を緩やかな行進で現出させた場面、氷柱の下がる屋根に住み着いている紗幕越しの姿の美しさだった。
 そして、人がその生のなかで大切にすべきものは、微弱な個人では抗い難い川の流れにあって、やはり人と命を愛でる心と、清き慎ましさなのだろうと改めて思った。“屋根に神の住む足音を聴くことのできる”帰るべき地点を持つ者は既にいなくなっているとしても、夫妻が繰り返し歌っていた、ギュスターヴ・クールベの描いた『世界の起源』を想わせる♪ここから始まる♪は、どんな川の流れにあっても変わりないのが人間であるのと同じく、ということなのだろう。
 また、世の中を変えるほどの抗いを果たすことは出来ずとも、後に著名な木彫家になる男を救った公平の強さや、同時に従兄の鉄平を売った弱さを併せ持つのが人なればこそ、遠い満州に娘を売り遣った荒木が老いてバブル成金となっての嘆息が、無常の哀感を誘ってくるのだろうという気がした。
 1923年から始まった物語が、'33年、'43年、'53年、'73年、'83年と展開していって最後が'96年になっていたのは、やはり'93年だと地方ではバブル崩壊の現実がまだ露になっていなかったからなのだろうとも思った。そこには、作り手の地方在住者としての自負が窺えたような気がする。


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