Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》'16. 10.22.


vol.274

'16.10.22.

演劇ネットワーク実行員会『演出家だらけの青木さん家の奥さん 高知 ver.』

会場:かるぽーと小ホール

 どこまでが台本でどこからが即興なのか判然としない、実にスリリングで展開の読めない舞台を観ているうちに、自分が、即興的に出されたネタの可笑しさを笑っているのか、プロ・アマを越えて即興に鎬を削る舞台上の“演出家”たちの急場を笑っているのか、微妙な気がしてきながらも、終始笑わせてもらった。

 演出家だらけといいながらも、演劇の場合は映画と違って、プロアマ問わなければ役者経験のない演出家というのはほとんどいないような気がしているから、今回、ステージに姿を現した九人全員において、現在の足場の主従はともかく役者経験があるような気がする。だが、見せることにおいて達者なのは、やはり役者に足場を置いている鈴村貴彦(南河内万歳一座)と荒谷清水(南河内万歳一座)だったように思う。

 それにしても、何をどう演じるかの急場への動揺を露呈しながらも懸命に対処しようとしている真摯さと同時に、表現者として立っているとは思えない寛いだ笑いを舞台上で漏らしている“演出家”たちの姿に、本番舞台を観ているのか、公開トレーニングを観ているのか、判然としなくなる瞬間も多々あった。別に嫌な感じに見舞われたわけではないのだが、少々戸惑った。

 ふと思ったのが、作・演出の内藤裕敬の演じるナイトウが番頭のように仕切る酒屋で、ナイトウから振られる課題に即興で対応する多田淳之介(東京デスロック主宰)、田上豊(田上パル主宰)、麦生(劇団プラセボ主宰)、行正忠義(劇団シャカ力主宰)、領木隆行(TRY-ANGLE主宰)といった演出家たちが生み出すエピソードや描出によって、いかなる“青木さん家の奥さん”像が浮かび上がるのかといった趣向は、ほぼ何ら企図されていないことの是非だった。即興性のほうを重視すると、ある意味、刹那的でコント的な可笑しさを紡ぎ出していく方向に進んでいくのは必然のようにも思える。そのなかにあっても、先に発せられたものを事実としたり騙りとしたりする塩梅によって、ある種の人物像が浮かびあがってくると凄いことだと思ったが、部分的に試みている感じはあっても、そこには至っていなかったように思う。だが、創造に対する非常にスリリングで刺激的な試みであるようには感じた。

 けっきょく青木さん家の奥さんの女性像にしても、各配達員の彼女とのエピソードにしても、スズムラの配達稽古で配達員たちを通じて披瀝された彼女の趣味や嗜好にしても、最初のほうで互いに「嘘つけぇ〜!」とぶつかり合いをしていた配達員たちの言葉どおり、どこにも事実はなく全てが“騙り”だったということになるのだろうか。だとすれば、全ては新米店員スズムラの入店研修のために設えられた“騙り”に包まれた世界であって、けれどもそのなかに唯一、絶対の事実があって、それがスズムラの抱え上げていたビール2ケースの上に10キロの米と大瓶2本の醤油を積み上げた配達荷物の重量だったということなのかもしれない。

 お芝居というステージにしても、人が生きていくステージにしても、確かにそういうものなのかもしれない。しかし、そんなことを企図して作られた芝居だったのだろうか。そうとも思えないような気もするが、あれこれ笑わされながらも、何だ?これは、といろいろ触発してくれるものを宿した興味深いステージではあった。僕が観た初日の地元出演者は、みな現役で役者をやっていることもあって、大健闘だったように思う。フットワークの軽い麦生、反射神経のいい行正、生真面目な悶えが笑いを誘う領木、それぞれに個性が発揮されていて、面白かった。



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