Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》 5.9-6.28


vol.243

'15. 5.9-6.28.

【演劇祭KOCHI 2015観劇ラリー参加作品】

会場:藁工蛸蔵

'15. 5. 9. 高知大学演劇研究会演劇祭公演 『えんぴつと消しゴム、それからカッターナイフ』『蝶の夢』
'15. 5.×. ふたりっこプロデュース公演 『障子の国のティンカー・ベル』
'15. 5.31. 劇団コヨーテ高知公演『同じこと』
'15. 6.×. 劇団シャカ力 『やりたい放[題]代官』
'15. 6.14. 白ノピエ子 『かかしか』
'15. 6.21. TRY-ANGLE act.25 『マリッジブルース』
'15. 6.28. シアターホリック 『スクラップ/ビルド』
'15. 6.28. アフターエンカイ

 今年の演劇祭KOCHIは15周年記念だそうだ。15年間欠かさずエントリーしている劇団があるというのも凄いが、たえず新規参加の劇団を得てきているのも立派なことだ。今年は何と北海道からの参加劇団もあると聞いて本当に驚いた。他方で、昨年と連年で参加している劇団が半分以下の3劇団に留まっているのは少し残念でもある。

 そんな演劇祭KOCHI2015のスタートは、高知大学演劇研究会の演劇祭公演『えんぴつと消しゴム、それからカッターナイフ』と『蝶の夢』で、後者がオリジナル台本の作品のようだ。
 大学生とは思えないような初々しさを感じたのは、自分自身の加齢が老の域に迫りつつあるからなのかもしれないが、文芸という異なる分野とは言えど大学時分にサークル活動に携わっていた頃の記憶として、大学生ともなれば小生意気に一端を気取っていたものだが、近年の若者事情の違いによるものなのかもしれないなどと思った。社会人が中心の演劇祭への初参加という点が作用したかもしれない。当日配布のリーフレットをみると、通称「演研」との高知大学のサークル活動は44年目を迎えるらしい。大学の中でも老舗サークルになるのだという。
 最初に演じられた『えんぴつ〜』でリーフレットにアクターとして記されていたのが台詞のある鉛筆(金子三輪郎3回生)、消しゴム(野村春菜3回生)、カッターナイフ(小玉隆介2回生)の3人だけだったのは何故だろう。キーボードばかりで筆記具を使ってくれないとぼやかれていた持ち主の少女を演じていたアクターも舞台効果として重要な役割を負っていたのに、不思議な気がした。作品的には、ゆる〜くじゃれ合っている感じのモラトリアム感に懐かしい学生気分を誘われるところがあったように思う。そのせいか、自分でも何だか訳もなく可笑しくなったりしていた。
 二つ目の『蝶の夢』は、なんだかレディコミのような話だったが、演目タイトルにもなっている令嬢の名前を一条蝶子(西森綾乃3回生)などとしているところには、作者(兵頭美来2回生)の意図的なものが窺えるようにも思った。蝶子が恋する画家青年の伸樹(堺喜隆)がアトリエに籠って個展に向けた新作の製作に苦しんでいる様子に、シャツのボタンを掛け違えたままの着放し姿を見せているように思ったが、若者ファッションというのは、老いの域に迫りつつある者が驚くようなことを“着こなし”として流行らせたりするので、後で会場にいた知り合いの若い女性に訊いてみたら、そういうのが流行ったりはしていないと思うとのことだった。それはともかく、細々とした間隔で頻繁に暗転するのが少々難だった。台本構成をもう少し工夫するとずいぶん違ってくるのではないかという気がした。

 映像化した作品『雨の糸にて』のエンディング曲を歌った矢野絢子の縁で、15周年記念を打ち出す今年の演劇祭KOCHIへのエントリーがされたとの劇団コヨーテの活動拠点は、なんと札幌。チケット取扱が「劇場歌小屋の2階」になっていたのは、そういう経緯によるのかと納得。劇団を主宰する亀井健の作・演出・主演による三人芝居の『同じこと』は、なんだか訳のわからない話だったが、日常のなかのささやかな“特別”に囚われ逃れられない人々の不可思議な寄合こそが劇団なるものの原初なのかもしれないとの想いを誘ってくれた。
 あの味噌・塩・醤油のラーメンは、具の乗り具合からして本当に出前を取ったものではなさそうだったが、伸びていたのは本当かもしれない。それはともかく、老けメイクをしてカツラ被って老人に変装するのが、男(亀井健)の趣味なのか存在証明なのか今ひとつピンと来なかったけれども、半人半魚を自称する女(まちるだ)にしても、観念的な独白を繰り返す女(ナガムツ)にしても、実在者ではなく男の妄想の住人のような気配が拭えなかった。
 それにしても、齢アラ還の僕などより随分と若いはずの者の芝居が陽水の替歌で始まったり、劇中歌が尾崎紀世彦だったりすることに、前に高知の劇団シアターホリックの松島寛和の作品に感じたのと同じ不思議な思いを抱いた。ともあれ、札幌からの参加とは思い掛けなく、少なくとも演劇祭KOCHIの15年間の足跡において特別なことと言える公演にはなっていたように思う。

 白ノピエ子の『かかしか』というタイトルを見て直ちに「案山子か」と想起できる人は少ない気がするが、芝居を観ても単純に「案山子か?」とも「案山子か!」とも、更には「案山子化」とも解しきれない不思議な代物で奇妙な魅力に包まれている気がした。
 バイオリンの生演奏を入れていたのは、二年前に喫茶アルテックで聴いた“矢野絢子〜ピアノとうた〜「Blue」発売記念ライブ”(http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/13/7-13.html)に出ていた嶋崎史香だった。今年の演劇祭は先の劇団コヨーテのものも含めて、“歌小屋の2階”との間に新たに生まれたらしい繋がりが目につく。
 それにしても、白ノピエ子と黒ノ七子との関係は何なのだろう。オフで台詞の入る人物がいたり、顔も見せず台詞もない登場人物が他にいたりはするが、ほぼ独り芝居と言っていいように思えるオリジナル作品を観ながら、他の芝居も観てみたい気にさせられた。

 15周年記念公演とのTRY-ANGLE act.25『マリッジブルース』は、記念公演を謳い上げるに遜色のない堂々たるウェルメイド・プレイだったように思う。昨年のアフターエンカイで、僕が演会のメンバー劇団を邦画黄金期の映画製作会社に擬えた際に、TRY-ANGLEを「ベタを恐れず洗練には向かわない娯楽性を大事にした作品づくりの“東映”」としたことへの返信であるかのように、俄然、洗練度を増し、レイ・チャールズの♪I Can't Stop Loving You♪で幕明けるとともに小説の一節を思わせるような言葉に彩られた新田理賀(和田有加[屋根裏舞台])の独白に意表を突かれた。唸らされたのは、このオープニングシーンをギャグにはしなかったことで、作:谷相裕一が、父娘と男女の積年の情愛についてそれぞれグッとくるハイライト場面を設えたウェルメイド・プレイとして貫いたところに痺れた。
 おそらく記念公演ということで張り込んだのだろう。ウェディングドレスを2組もチャーターする衣装【前田澄子】の頑張りも目を惹いたが、役者の個性がよく活かされた人物造形に感心した。そのせいか皆、活き活きと演じていたような気がする。とりわけ花嫁の父である病院長を演じていた安西寅[屋根裏舞台]やトリックスター的な役割を果たす神木麗を演じていた笹原由紀[屋根裏舞台]の嵌まり具合は観応えがあり、注意の欠けた発言やうっかりミスを繰り返す新米ウェデング・プランナーの三浦陽子(前田澄子)や生真面目で気の利かない先輩プランナー駒田昇三(清里達也)の人物造形の可笑しさにそれを感じた。
 シチュエイション・コメディ的には、もったいをつけた形で引っ張った花婿の医師 市川(領木隆行)の失踪理由を明らかにする際にどこまで納得感を与えられるかだろうなと思いながら観ていたが、失踪した理由よりも失踪していた間に誰よりも深く知り得た情報により、物語の後半を牽引していく役どころを負わせることで、市川の失踪理由に対する納得感を度外視させる構成を採っていたことに巧いなと感心した。
 花婿の失踪が引き起こしたシチュエイションを前面に立ててコメディにするだけでなく、得意の言葉遊びやギャグもふんだんに散りばめてあるところがTRY-ANGLEの真骨頂なのだが、今回は決して“ベタを恐れず洗練には向かわない娯楽性”などとは言わせない節度をあくまで保っていて恐れ入った。
 それにしても、「尿意、ドン!」といったダジャレや「じゃあ、避けるなよ」などのツッコミの数々に笑いつつ、伏線も利かせた笑いの仕込みに対して非常によく練られた台本だと思いながら観ていたときに気づいていた具体箇所の数々を、予想外にグッとくる場面の繰り出しに打たれて失念してしまったことが却って心地よく感じられる、とても素敵な舞台だったように思う。それはもしかすると、僕がもう既に花嫁の父も花婿の父も経験していたりすることや、しがないマイナーミュージシャンの高山(虎哲)からの数年越しの再プロポーズに至るまでの言葉をじっと聴いている癌を病んだベテランプランナー理賀の面持ちに心打たれたことが作用しているのかもしれないが、何だか非常に気持ちがよかった。♪I Can't Stop Loving …♪なのは、You じゃなくて芝居なんだろうなというようなことを思った。
 惜しむらくは、最後に一気に4組のマリッジを打ち上げる華々しいエンディングを見せるには舞台空間が少々狭すぎて演出的に十分な効果が挙げられずに、舞台がごちゃごちゃしているように感じられたことだった。最後の最後だけに何だかとてももったいない気がしたが、10人全員を登場させないと成立しない場面だけに、演出【領木隆行】としても捌きようがなかったのだろう。
 ともあれ、もう「基本的に、もじりやダジャレネタを駆使している感じなのだが、決して洗練や高尚に向かわない“東映の映画”的な娯楽性」などとは言えなくなったように感じた。

 劇団シアターホリックthe side session『スクラップ/ビルド』は、前回の『スクラップ』に「/ビルド」を加えていたから、切り抜き的ニュアンスよりも解体のほうに重きを置いた換骨奪胎を企図しているのかと思いきや、むしろ前回よりも3作の解体が後退しているように感じられるものだった。前回は劇団主宰の松島寛和の自作だった部分を愛媛の劇団だとのWorld Wide Works の佐々木慶の作『外は雨』にしたからなのかもしれない。前回同様にアントン・チェーホフの作品がリライトされていたが、『たばこの害について』から『ワーニャ伯父さん』になり、岸田國士の『葉桜』に替わって二代目市川團十郎の『外郎売』が取り上げられ、3作品を「バラバラにして再構築してみようと」する“楽天的実験演劇”を再び試みていた。
 役者陣の熱演には惹かれるものもありながら、作り手が演劇で何をしようとしているのかが今一つピンと来ないような印象は前回同様だった。何故この3作なのかが腹に入って来ず、廃品と切抜き記事という言わば対照的なダブルミーニングを持つように思える本作タイトルの“スクラップ”ともあまり繋がって来なかった。
 場面的に笑えるところがあったし、楽しそうな舞台ではあったように思う。『外は雨』の若夫婦を演じた二人は特に印象深かった。ミキを演じた佐藤和は若妻らしい愛らしさと親密感を魅力的に表現していたし、マコトを演じた藤島素晴のとぼけた感じの苛立ちを誘う一歩手前感が絶妙だったように思う。
 公演後のPPTで台本を提供した佐々木慶と劇団主宰の松島寛和が缶ビールを呑みながら対談していたが、佐々木によると、松島の演劇活動をかなり意識して芝居に取り組んでいるのだそうだ。松島に刺激されて『ドッグヴィル』のように床にテープを貼って文字書きした舞台装置を真似ようと指示したら通じなくてシアホリの名を出すと通じたというのが可笑しかったが、そう言えば、今日の舞台は、ステージ組みをしっかりしてあり、ピアノまで置いて演奏するばかりか、演じた役者の引きを舞台回りにしたり、舞台裏にしたりする仕掛けを講じた装置になっていて、その効果のほどはともかく、かなり目を惹いていたことに気づかされた。
 演劇祭も15年の歳月のなかで、県外劇団からの参加があったり、客演や台本の提供が相互に見られたりするようになってきていることに大いに感心した。PPTの後のアフタートークで、演劇祭および演会についての15年の足跡をかいつまんで紹介した画像映写や資料配布に加えた概要説明があったが、2009年には演劇祭としての演目が4公演にまで減少していたのに、その後の挽回がなかなか大したものだと思った。


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