Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》 3.26.


vol.237

'15. 3.26.

シアターTACOGURA003公演『七人の部長』
会場:多目的ホール蛸蔵

主催者から直々の誘いを受けながらも公演日の三日とも先約があって行けないと伝えたら、前日夜の通しリハに案内されて観ることができた。既に先の土曜に須崎の「すさき まちかどギャラリー」での公演を済ませている芝居なのに、というか、だからこそ、かもしれないが、立ち位置を間違える役者がいたりしていたのは、空間サイズが「蛸蔵」とでは違って戸惑っていたのかもしれない。

 それはともかく、4年近く前に南河内万歳一座・内藤裕敬プロデュース公演で観たものが、なかなか面白かったので、それとの対照としても実に興味深かった。作品自体への感心は初見のほうがインパクトがあるし、プロの劇団による公演とダイレクトに比較するのは酷な話で、各部長のキャラ立ちにしても、随所に仕込まれていた笑いの冴えも、少々及ばない気はしたが、なかなかの健闘ぶりで、かなり面白く観ることができた。惜しむらくは、少々一本調子に感じられる時間帯が幾度かあったことだ。強弱という形のメリハリではなく、舞台に流れる時間の緩急を感じさせる形でのメリハリが利いてくれば、もっと楽しい芝居になるように感じたが、本番ではどうだったのだろう。客席の反応によって随分と違ってくる部分のように思うから、通しリハだけでは分からないところだ。

 ただ、敢えて女子高という設定のまま演じていた南河内万歳一座の公演と違って、男子4人女子3人としていた点は、むしろ素直に観られる舞台になっていて好感を抱いた。そして、文化部4運動部3の部長の内訳が、運動部のほうが女子の多い配分になっていたことは、僕の目には収まりのいいバランスのように感じられた。鍵を握っていたのは、生徒会長兼手芸部部長に男子生徒を当てるか女子生徒を当てるかだと思うが、ここに手芸を趣味にする男子生徒(伊藤友己)を配したのは正解だったような気がする。7人の役者をどう配分するかということにおいて、それぞれの役者の個性を考慮すると、それぞれの力量の程はともかく相互の入れ替えが考えにくいベストキャスティングだと思った。

 そのうえで、剣道部部長(濱田万央)にしても、アニメ部部長(河野カエ)、ソフトボール部部長(倉内水月)にしても、その態度の豹変をも含めて立ち位置、物言いが総じてはっきりしているように感じられる部長がいずれも女子生徒で、煮え切らなかったり不得要領だったり、懐疑的傾向の強い部長が押しなべて男子生徒だったことが目を惹いた。文化部・運動部、男女という属性で観て同調や巻込みを志向しがちなのが運動部であり、女生徒であることが露わになっていたことの納得感が前述した“収まりのいいバランス”を僕に感じさせてくれる一助になっていたような気がする。

 そして、部活動予算会議を終えて教室を出ていく際に、選挙のときに君に投票して良かったと告げていた文芸部部長(友野大智)にしても、いったん教室を出ながらも戻ってきて声を掛けた陸上部部長(丸山良太)にしても、いずれも男子生徒だったことがまた興味深かった。

 ともあれ、演劇部部長(吉岡裕太)の投じた一石によって予定外の経過を辿ることになった部活動予算会議だったわけだが、最初の段では事情がよく分かっているだけに最も事務的な態度で臨んでいた生徒会長が最後は部活動予算会議の決定による拒否権発動に最も固執していたことをどう仕舞いを付けるかが観どころの芝居だと思う。

 結局、予算案は学校側の案どおりになって何ら変わらなかったけれども、予算案自体は変わらなくても、協議をすることには確かに意味があり、予算案の変化よりも大事な人の心の交流に関わる変化が得られていることを肯定的に描きだすのが高校演劇としての本作のまっとうな主題だろうから、その意味では、ある種、誇らしげにボードに掲示した予算案が役者全員の捌けた後ひとりでに揺れ落ちたエンディングの南河内万歳一座版が、そのことによって、生徒によって学校側の押し付けを拒むことのできなかった結末が敗北であることを示唆し、それまでの“意見表明や表白それ自体が、結果の如何とは別に、独立して意味を持っているのだという非常に真っ当な価値観の呈示”と対照をなすことで作品に深みを与えていたことに比べると、非常に真っ当な価値観の呈示と共感性の打ち出しのほうに寄っている物足りなさを感じた。

 しかも、作劇的にはそちらの側に傾いているわりには、その共感性の高揚の部分が南河内万歳一座版よりもむしろ抑制的に表現されている感じがあって、妙に中途半端な気がした。雨も上がり鮮やかに差し込む夕日の明るさに頼って偲ばせるのではなく、いっそ確かに予算案は変わらなかったけれども、意味ある討議がなされた満足感が打ち出されたほうが気持のいいエンディングになったような気がしなくもない。評決の逆転を観た『十二人の怒れる男』のラストの清々しさと同じようなものを出してみるラストは考えなかったのだろうか。あるいは、束の間夢見た拒否権の発動が叶わなかったことへの生徒会長の無念を、一人残った教室で皺々になった予算案を伸ばして黒板に掲示するのではなく、6人の部長を曖昧な笑顔で見送った後、ごみ箱に投げつける生徒会長の姿にしてみるとかいうのもあるかもしれない。本作が、そういった複雑さを内包する作品であることを改めて教えてくれたように感じられる刺激的なひとときだった。


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