Arts Calendar/Art's Report site/《YAMAsan no Live_bibouroku》10.19.


vol.228

'14.10.19.

(公財)高知市文化振興事業団<高知の演劇推進プログラム>作・演出 内藤裕敬『あらし』
会場:高知市文化プラザかるぽーと小ホール

 朝、山口を発って昼の高知公演を鑑賞するのは、けっこう厳しい日程なのだが、「公共ホールと地域の表現者が連携し、高知の演劇文化をさらに発展・推進することを目的とした、演劇合同公演」と掲げた高知市文化振興事業団の非常に意欲的な取組を観逃すのは惜しく少々無理をしてみた。その甲斐はあったように思う。
 内藤裕敬の作品は、'99年に観た『流星王者』(http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Ryusei_ooja.html)に痺れて以来、機会あれば観るよう努めていて、これまでに『百物語』『似世物小屋』『お馬鹿屋敷』と観ているのだが、どうやら夏という季節に強い思いがあるような気がする。もう50代半ばで、僕とほぼ同い年なのに、今なお相米監督の『台風クラブ』を思わせるような若いエネルギーを窺わせる主題と舞台を作り上げようとしていることに大いに感心した。
 UFOとか幽霊、神というものに対して、その存在を信じるか信じないかというのは、人における世界観の根本を左右する大きな分岐だと思うのだが、UFOや神を持ち出してくると妙な色が付いてくるのに比べ、幽霊というのは何故か素直に入ってくるし、どこかユーモラスでさえあることに改めて気づかせてもらったように思う。同様にまた、人に金を貸す人か貸さない人かというのも大きな分岐だが、この点では、貸す貸さない以上に、貸すことを求められる求められないという部分に着目していたのが目を惹いた。人が他人からどう思われているか、また、人を周りがどう見ているか、ということによって形作られる存在感のほうが、実存以上に意味を持っているのが人間社会であるからだろう。
 この“人における存在感と評価の問題が人に対して及ぼしている様々な作用”というのは、非常に興味深い主題なのだが、残念ながら充分に彫り込まれているようには感じられなかった。だが、作り手の狙いは、そういう能書き的主題にあるのではなく、僕が三十年前の『台風クラブ』の映画日誌(http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/1986j/02.htm)に「少年期には、それとは別に、実に大きな非論理の世界を持っているということであり、それは大人たちが、時折自己欺瞞として叫ぶ「理屈じゃないんだ」という世界とは本質的に異なる少年期独自の世界」と綴ったようなものの持つエネルギーの表出なのだろう。敢えて“学校の先生”たちの話にしてあるところにも、『台風クラブ』の梅宮先生の弁を意識しているようなところがあるのかもしれないなどと思ったのは、たまたま最近、自分の映画日誌を再読する機会があったからだろう。
 当日配布のリーフレットの「高知公演によせて」に、内藤が「熱心で未熟だ」と記した高知の俳優たちは、その点において、充分に応えていたような気がする。その多くを高知の演劇シーンのなかで普段から目にしていることもあって、とても興味深かった。なかでも目を惹いたのは、ミツウラ先生を演じていた井上琢己だ。彼がシャカ力で演じる以前から観ているけれども、その演技の重量感が力となるときと少々暑苦しいときとがあって、かつて中島諒人が演出したクリエイション05『ヘッダ・ガブラー』やクリエイション06『誤解』を観たときに大いに目を惹いたものの、日頃の劇団活動のなかでは少々持て余しているような感があったので、今回の作品での程の好い可笑しみに接して、彼が目指していたのはこういう味だったのかもしれないと納得させられた。畳の上の水練ならぬ炬燵の上の水練のようなことは、いつもの芝居でもよくやっているのに、普段の演技とどこが違っていたのだろう。
 妙に可笑しくて仕方がなかったのは、校長を演じた領木隆行だ。高知の役者はオーディションで選ばれたようだが、裏がありながらも臆面もなく能弁に振舞える校長の可笑しみを配役するなら、やはり選ばれるのは彼になるのかと合点しつつ、そのお似合いぶりが愉快だった。
 また、濱田万央の演じたイザワ先生の微妙にヘンな押しの強いキャラクターは、津野あゆみの演じたコジマ先生の元気を感じさせる率直で明るい押しとの好対照で印象深く、前面に出てきていたミタ先生(谷脇ななみ)とワタナベ先生(阿井瑞希)のツッコミとボケの可笑しみ以上に効いていたように思う。オカ先生を演じた丸山良太は、どこで何を演じても丸山良太を感じさせる個性の際立ちを再認識させられ、しばしば繰り返す退場の可笑しさが似合っていた。演劇センター'90の公演でよく観た山北美砂子を舞台で観るのは久しぶりだ。『刑事物語 くろしおの詩』['85]に駅の売店の娘役で出演していた覚えがあるが、チラシに記されていた「劇団とりあえず」のことは全く知らなかった。
 ヘンな人たちということでは、タシロ(藤岡武洋)もタニ(鈴村貴彦)も魚屋店長(吉岡裕太)も挙ってヘンなのだが、そういうなかにあってキシ先生(清里達也)を置くことの可笑しみは常套ではあるけれども、清里達也の持ち味が活かされていて、きちんと真面目さが可笑しさになっていたように思う。
 いろいろな点で、高知市文化振興事業団の掲げていた目的に適った公演になっていたような気がするが、地域の表現者の活動以上に、公共ホールが<高知の演劇推進プログラム>を継続して取り組んでいくことのほうが心許ないというのが正直な思いだ。県立美術館が地域の表現者と連携して演劇活動を推進していた時期もあったが、ほんの数年で途切れ、長らく専ら海外からのコアな公演を招聘することに熱心になっているような気がする。高知市文化振興事業団には、同じ轍を踏まずに粘り強く取り組んでもらいたいものだ。


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