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□WADA Map vol.145


大乗寺-応挙の空間


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兵庫県美方郡香美町に高野山真言宗「大乗寺」というお寺があります。
創建は745年、行基と伝えられ、また円山応挙に所縁の、別名「応挙寺」とも呼ばれるお寺です。
江戸時代後期、当時の住職密蔵上人が、これから名を挙げようと苦学する円山応挙に江戸での画業修行の援助をしました。
その後、大乗寺客殿建築の際、大成した円山応挙が、密蔵上人の恩に応えるため客殿・仏間13間に165面の障壁画を息子である円山応瑞、弟子の呉春、長澤芦雪とともに描き上げ、納めたのです。
これらの障壁画は国の重要文化財に指定されています。

大乗寺の特筆すべき点は、客殿に設えられた円山応挙のオリジナルを、自然光で見られたことです。
一般の拝観では廊下から覗うわけですが、時には客殿に上がり和蝋燭の灯りで応挙を見ることも。
金の地に描かれた童子や草花を揺らめく灯りで見たのなら、どれほどに躍動感があり、鮮やかで、また厳かであったことか。
密蔵上人と応挙の信頼を、当の応挙が筆を取った「画」を目の前にして思うのは、どんなに心躍る物語、体験であったことか。
その特別な機会は何度かあり、その話は知っていたのに邂逅できなかったのが悔やまれます。
200年に亘り守られると同時に人々に開かれていた空間がなくなってしまいました。
すべては、この春までの、もう過去のことです。
大乗寺が応挙のオリジナルを収蔵したのは、客殿を再現した「応挙霊宝庫」(国内最大級とのこと)、機会があれば、こちらだけでも拝見したいと思っています。

となると、空っぽになってしまう客殿には、レプリカが入ることになるのが常套です。
「大乗寺客殿障壁画デジタル再製画事業」という事業により、収蔵庫に入れられた障壁画の替わりに、「デジタル再製画」が入りました。
この事業は、1999年に立ち上げられ、10年に及ぶ大事業となりました。
デジタル複製は、大日本印刷が作成し、そのWebSiteでは、この事業の特別なページも掲載されています。

また、大乗寺のWebSiteでは、かつて客殿に設えられていた障壁画(オリジナル)をデジタルミュージアムとして追体験することができます。

パソコンのディスプレイというデジタルなもので見ているにも関わらず、「応挙の空間」の違いは明らかです。
この2つのWebSiteを見比べるたびに大乗寺「応挙の画・応挙の空間」への旅情のような憧憬と、大日本印刷の「応挙を複製」した結果の相容れないギャップを強く感じます。
とても、真摯な事業であったはずなのに、デジタル複製の精度はとても高いはずなのに、これは一体どうしたこと?と不思議でなりません。

デジタル複製に、年月を経た金箔の味わいが、応挙の呼吸が、どこまで再現できるのか。。。
それまでのオリジナルを自然光・和蝋燭で見るというのとは雲泥の差と言っていいでしょう。
いわば、桂離宮では月を愛でたいと思うため、書割の夜空と満月を四六時中ぶら下げておくというようなもの。
という思いが浮かんできてしまいます。
例えば、10年かけて現れた傷も、応挙が一息で描き上げた一本の線も、すべて同時に印刷されたと思うと、やはり、大乗寺のデジタル複製も、結局は写真プリントなのか?と嘆息してしまうのです。

足りないのは、オリジナルが持っている積み重ねられた空気・匂いだけなのでしょうか。
経年変化をどう表現するかが、一番むずかしい点なのだと思います。
きらきらの仏像より、古びた仏像のほうが、どうしてもありがたく思えてしまう。
それは、仏像を信仰してきた人々の思いや時間が、曇った目で見れば汚れや垢、でも本当は、それこそが人と時間が作った艶として現れているからです。

とはいえ、キトラ古墳もモナリザも、21世紀の空気に一瞬さらされただけで、どんどん劣化してしまうのだから、何らかの方法で時間を止めなければ。
複製について、やっぱり本物には到底かなわぬものと言っているだけでなく、前向きに捉えなければならない事態かもしれません。

奈良・飛鳥の高松塚古墳は、展示のために石槨を再現した壁画館が隣接しています。
壁画館にあるのは、すべてレプリカとわかっています。でも、壁画館に入ると、オリジナルを守るためにはこうするしかない、さらにオリジナル(空間も含めて)がどれほど素晴らしいものか、だから守らなくてはならないのだという声も同時に聞こえてくるのです。
本物を見なければ価値がないと思うより、この隣で本物が呼吸している、その鼓動を実感し、感動してしまうのです。
それを守るため、収蔵庫とレプリカという手段しかないのは、理解できます。

複製が間違いなのではなくて、複製の作り手の姿勢がその出来に現れるのだと思います。
功名心または邪心から作られたものは、どれほど贅沢な材料を使っても美しくもないし、人に訴えるものはありません。
あらゆるアートも同じです。
むしろ、いかに「私」を消すかということが、複製を作るにあたって、大きな壁になるのかもしれません。

大乗寺は、かなり大きな伽藍です。その客殿・仏間13間に165面の応挙とその弟子の描いた障壁画が、描かれた当時のままに設えてあったのです。
大きさ、数量、名前、時間、どれをとってもすごいことでしょう?
下世話な言い方で、コレクションとしてもすごいし、とても贅沢な空間です。
例えば、日本画はどうも。。という人でも、画がずっと呼吸してきた空気で一緒に呼吸し、画がいつも見ている光で、応挙の呼吸も思いながら、その線を色を見れば、何の説明もなく、虜になってしまうでしょう。
この空間が、複製画に変わるのは惜しい事ではありますが、大乗寺の客殿には、それだけでは収まらない事態もあったのです。

冒頭で書いたように、大乗寺では、2009年の春、客殿を再現した収蔵庫に応挙の障壁画は収められ、本来の客殿には「再製画」が置かれることになりました。

「複製」ではなくて、「再製画」。

応挙らの障壁画をデジタル複製する事業が10年をかけて進められてきたのですが、納められたのはデジタル複製画ではなく、「再製画」。
監修した愛知県立芸術大学の吉本弘名誉教授により、応挙が描いたものが消された部分があり、また応挙の筆致とは異なる表現も見られます。
(「山水の間」の天橋立の水辺が消されている・「孔雀の間」の松の葉にオリジナルにはない表現)
常にオリジナルを見守っていた人たちの目には明らかな、応挙の筆の跡と思われる擦れが消されたり、余白・行間ともいうべき部分がキレイになくなっていたり、と洋画家の視点でトリミングされ、日本画の余韻がなくなっています。
複製と再製を辞書で引いてみれば、違いは歴然です。
複製は、いわゆるコピーであり、再製は元からあるものを壊して別のものを作ること。
「再製画」は、吉本弘氏が「創作」した別のものと言えるでしょう。
報道された言葉を引用すると、吉本氏は「応挙の精神を汲み取り、印刷でも新たな芸術空間を創作できた。」
この言葉を受けた長谷部住職は、「単なる複製ではなく、新たな作品を創造した”再製”」 
(2009年4月2日:神戸新聞社会面)
松煙墨・油煙墨を使い分けた応挙の筆致までを、金箔に印刷し、再現できる技術が確立できたのに、ただひとりの行為が200年余りの時間と人々の気持ちを台無しにしてしまったと言えるでしょう。
これがもし、洋画家である吉本氏のアトリエにでも置かれるだけならば、パロディと言い張ることもできるかもしれません。

応挙が絵師として、それ以前に人間として、大乗寺に密蔵上人の恩に応えるため、絵を奉納した気持ちを思うならば、こんなことができるでしょうか。
中途半端な画を完成品として、大乗寺に納めたとでも言うのでしょうか。
画家である人間のできる行為とは思えません。

客殿は、本尊の十一面観音菩薩像を囲むように、応挙の描いた障壁画で四天王を現す立体曼荼羅になっています。
このことからも、応挙がどれほどの心を込めて、大乗寺と密蔵上人のために描いたかがうかがえます。

吉本氏の行為は、とても愚かなものです。
この事業を紹介したWebSiteにも新聞記事にも、自身の名前が載っているのですから、この愚挙がまさか功名心からではないと思いますが。
画家であるならば、自分の行為が画に悪影響を与えたことは誰に言われるまでもなく目に見えるでしょうし、社会から批難されることもわかるはずです。
それでも敢えて、この愚挙を押し通した理由を、ぜひ本人から聞いてみたいものです。


大日本印刷には、吉本氏が触れる前のデジタルデータがあるはずです。
近い将来、応挙一門の描いた障壁画の「複製」が客殿に設えられることを願っています。


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