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□WADA Map vol.142


特別展「仏像-一木にこめられた祈り-」

2006年10月3日〜12月3日
東京国立博物館 平成館


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仏像、仏像、木の仏像、とブツブツ言いながら最初のカテゴリーへ入る。置かれているのは私のイメージにある木造ではなく、法隆寺館にあるような造作の小さな十一面観音菩薩立像たち。年季のいった照る木肌は金剛仏のように黒く輝き、プロポーションも細かな装飾も。「これも木なんだ?」確かに4、50センチの木像のほうが瓔珞なども細工するにはふさわしいものかもしれない。一見、金剛仏のようであるけれど、どこかSF的なそれよりもずっと人間的で愛しさがある。このカテゴリーのみ仏像はガラスケース入り。持って帰りたくなる愛しさだから?

身長160〜180センチくらいの立像が出迎える第二章。愛しさより美しさへの憧れを強く思う。展覧会は「一木にこめられた祈り」というサブタイトルで、一木造であるから直立に近い立像が多いことは予想がつき、変化のあまりない展示になるかと思ったが、それぞれに表情が豊かで、衣の彫りも形にはまるものではなく仏師の工夫・試みも様々。定朝や慶派の台頭以前の奈良時代〜平安時代の約100年の作がおられる。まず、美と知性を備えた仏像たちに取り囲まれ、見おろされる。自分をひたすら小さく小さく感じると優しい視線。東大寺でよくお目にかかる弥勒仏坐像が「よっ」と片手を挙げ慰めてくれる。しかし、この章、衣も麗しい仏像が多い。薄く緩やかな衣が足もとにひらひらしたり、瓔珞も繊細。プロポーションも現代的。奈良・平安の人はどれだけうっとりしたことだろう。

奥には、展覧会の目玉の仏さまがいらっしゃる。八角堂をイメージした空間に展覧会前期は京都・宝菩提院願徳寺の「菩薩半跏像(伝如意輪観音)」。いつかは拝見したいと思っていたが、不便な場所でいつも旅行の計画段階で断念していた。美しい!エキゾチックな肌の色に伏し目がちな二重の目が艶っぽいが表情全体はキリリと知的。肩から流れる衣はたっぷりと半跏の足もとにまとわりついて…。360度から拝見できるようになっていて、どこから見ても隙がなく優しく強い。どんなにジロジロ見ても跳ね返す気高さ。ー展覧会後期にはこの場所に、滋賀・向源寺の「十一面観音菩薩立像」がおられる。美しいと評判の、期待が大き過ぎたかも知れない。本来のお顔より、取り巻く十面が想像以上に大きく強く表情豊かに感じられ、十一面という異形の存在意味を深く思う。それと後ろの大笑面などの嵌め込んでる感がちょっと興醒め。ー

さて、内心キャーキャーと「菩薩半跏像」に心躍らさせた後、裏側に位置する部屋には飾りの少ない如来・地蔵の立像がおられる。一転してとても静謐な空間。浮ついた気持ちを深呼吸させ、手を合わさせる迫力がある。奈良・融念寺の「地蔵菩薩立像」は、シルクロードから伝来したような彫りの深いきれいなお顔をしている。東洋館にいる西方の仏像のようにエキゾチックな雰囲気で、手もとの表情も珍しいもの。

「菩薩半跏像」に後ろ髪引かれ「地蔵菩薩立像」の美しさに涙しつつ、次へ進む。「やだ!ちょっと!かっこいいーっ!」(伝)持国天・(伝)広目天の2体の立像。この2体のカッコよさには他の人々の口からも声が出る。平安時代の作。ポーズとか顔の角度とか。もちろん顔だちも。おたふく風邪にかかれば美男美女になれたという平安の基準は信じられない。流行の顔はあったのだろうけど、美しさ・カッコよさの基本はいつの時代も変わらないものだろう。

鉈彫りと言われる仏像たちの第三章。顔以外の部分に「彫ってる途中?」のような横じまのノミ跡を残す。木から仏が生まれる過程を現しているのとのことで、木に宿る霊・魂も信仰の対象とする日本人らしい考えによるものらしい。横じまのせいで古代エジプトの王妃?という印象の仏像が多い。

このあとは、円空と木喰の第四章。「菩薩半跏像」や「地蔵菩薩立像」「十一面観音菩薩立像」を見に戻って、円空・木喰はショートカットで帰るか?と思う。そのくらい、この仏師たちには興味がなくて。でも「ごめん!円空、あなたの仏像は嫌いだったけど、誤解でした」。小学校で全員に渡された彫刻刀セットの箱に円空仏がアップになってた、その時から誤解してた。90%見ずに帰ろうと思っていたけど、ちらっと見た三尊にやられ、初めてじっくりと円空を見てきた。一本の木を三つに割って造られた「十一面観音菩薩立像」・「善女龍王立像」・「善財童子立像」の三尊。丸太のままにカーブした姿勢のバランスがなんとも美しい。三尊に造られたあとも一本の木に組合わさる写真が並ぶ。確かに彫り込んでなくて、何の仏さまだか判らないものも多い。アートに転びそうなあざとさも感じて今いち拝めなかったんだけど、フレンドリーな笑顔とプリミティブな造形は素材の木から生まれた様が現されているようで、仏像ってこういうものだったんだ、と初めて思った次第。鉈彫りの仏像のあとに(時代順だけど)円空を置く意味がわかった。(木喰はやっぱりまだわかりませんでした)

八百万の神々のおわす国に生まれ、「かたじけなさに涙」する感情を持って育ったことに感謝する。日本人にとって神も仏もありがたい、かたじけない存在で、神宿る木で仏像を作るのは必然だったんだ。日本人って何でも木で作ろうとするもんね、パソコンとかも。円空の仏像も「菩薩半跏像」も「十一面観音菩薩立像」も、「きれいっ」とか「カッコいーっ」とか騒ぎつつも、自然に拝めてしまうのはその美しさや静かさ・強さがそのまま木・天然のそれに通じているからなんだと思う。

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2006年12月
東京にて

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