Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》2005京都-誓願寺

vol.133


■2005年2月20日■
■京都-誓願寺■



やっと休暇をとってきた京都で、最後に見たものが『二条城』では帰るに帰れないのだが、残された時間は少ない。とりあえずは物欲を満たすため、自分のためのお土産を買いに寺町通や三条通あたりに行こうと思う、その途中。新京極の北端。『誓願寺』。アバンギャルドなライブを行ったり、寄席があったりでよく雑誌などでも紹介されているし、ベタなお土産好きには、新京極は京都ではハズせない場所だから、毎回のように前を通る。通りからすぐの本堂に丈六の阿弥陀様がいつでも見えている。余りにオープンすぎて、観光客がノコノコと入っていっていいのかなぁと思っていた。地元のかたが信心し、守っているお寺のオープンさは、人々と仏様の信頼関係の深さだから、そこに何のルールも約束も持たない人間が入っていくのはどうなんだろう、と。

でも、やっぱり開いているんだもん、いいんだよね。と上がってみることにする。さっきの『二条城』を世界遺産からはずしてここを登録しよう!境内・本堂ときちんと瑞々しく手入れされていることは言うまでもない。慈しまれているという空気が感じられる。

中でちゃんと見ると阿弥陀様は真っ黒く、光背や蓮華座が輝く金色。お顔に対して大きめの目も金で、インド辺りのエキゾチックな表情が空気まで温かくする。化仏のちょっとアバウトな並び方もいい。この阿弥陀様は歴史的・美術的という点ではそれほど評価は高くない。だが、人を包み込むオーラがすごく強い。これは絶対に町の人々との信頼の強さの現れだと思う。

清潔・清廉な空気。オレンジ色の光。新京極のアーケードの一番北端で、『誓願寺』の前には広場のように空間が開けている。小さな境内を補うように、この広場までがお寺の一部のようだ。商店と軒を並べる本堂は西向きで、向かいに店はなく六角通の起点になっている。それで西方からの日射しが入るんだ。『誓願寺』がこの場所に建っていたために、ここから新京極ができたという。

浅い春の午後の日射しが金の光背を照らし、阿弥陀様の力で圧倒的な明るさを増す中、しばらくくつろがせていただく。すると、ひっきりなしに訪れる人達が自分の念仏・お経を口にしていく。ただ単に通り道、ここを通らないと家に帰れない道だから、そういう感じでごくごく自然に。ああ、いいな、お寺って。特別なものでなく、いつでも身近にある拠りどころ。人々が仏様に向ける気持ちを受けとって、仏様はますます輝いてその力も強くして、また人々を惹きつけていく。一見さんの私たちも、そのご加護に包まれている。

こういうオープン、ウェルカムなお寺は京都だからあるのではなく、気をつけてみれば自分の家の近所にもきっとあるんだろう。旅先だからこそ、思い切って素直に飛び込んでみたけれど普段はなかなか。

おととし訪ねた『即成院』と今回の『金戒光明寺』・『誓願寺』。観光とはまったく別のところにある京都のお寺に長くいた。くつろいだりほっとしたり、「お寺はいいっ」なんて深く思うのはこういう檀家さんのためのお寺だ。こういうお寺に来て、初めてお寺というものを知りかけたと思う。美術品を見せてくれたり仏像メインのお寺ももちろん好きだけど、それは私にとってはちょっと特別な美術館なのだと思う。美術品を効果的に見せるために演出された美術館なのだ。その美術品・仏像を美しいと思い感動することも信仰の入り口であると思う。信仰ということからいえば、そういう脇道ばかりに目を奪われていたのが、ここ数年で真正面から「この人(仏像)を信じる!」と思わせる、お寺の本来のごく自然な力にも感じ入ることができるようになったのは、無駄に京都に行っているばかりではない成長のひとつだと思いたい。かと言って何かに帰依するという気配はまだない。

2005年2月20日

WADA Map」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室