Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》2005京都-金戒光明寺

vol.131


■2005年2月18日■
■京都-金戒光明寺■



今回の京都、まずは『金戒光明寺』。月にいちにちだけご開帳の文殊菩薩像が見られるその日だったので。京都駅の観光案内所でも正解の道順がわからなかったほど、観光とは無縁のお寺。結果、かなりの体力・時間をロスしながら、お寺近くのホテルで再度尋ね、ようやく辿り着く。そして目指す文殊塔は広大な境内の山のはるか天辺。登ってみて、もし「文殊菩薩は本堂に」なんて貼り紙があったらと、二の足を踏んでしまう高さと、日課のお墓参りをする人しかない境内の様子に不安を覚え、持参のガイドブックをめくる。電話でお寺に訊ねてみようと思う。だが、それに載っているくらいなら、そもそも観光案内所など行かないのだから。。。

腹を括って墓地の中の急な石段を登っていく。後でわかったのだが、この数時間前に足を骨折していたのだから無謀にもほどがある。文殊塔はフェンスに囲まれ、厳重に鍵がかけられていて、しかもしばらくの間、開けられた気配もない。絶対にここでは拝見できないと確信。案内をお願いして開けていただくにしても、この厳重さでは気軽に開けていただけそうもない。せっかく登った石段を下り、本堂か寺務所を探す。そんなこんなで2,30分は境内をうろうろしていたのだけど、出会ったのはお墓参りの2組と新選組マニアらしい青年グループのみ。去年の大河ドラマ放送中もこの静かな雰囲気を保っていたのだろうか。

人の気配に、開放されている御影堂に上がり込む。外陣・内陣の大きさに比べ、ちょっと小さめの座像。その前に座し、ひとごこちつくが、やはり拝むということは思い付かない不信心者「仏像じゃなくて人だし」。法然上人の御影と後で気付く。柔らかく明るい光が溢れる、大らかな空気のお堂だ。 先に見かけた「誠」印のグループも御影堂にいたが、「パンフレットがありますからどうぞ」という声にも無反応で目当てのものもなさそうな様子にただ黙って早々に出ていく。残されたのは私たちだけ。足は痛いし、疲れきった私は「たいへんだったんですよ〜」と愚痴を言いたくなるような優しい表情をただ見上げて座って満足。居心地のよさに、ここに泊まると言いたいほど。

お寺のかたに文殊菩薩のことを尋ねてみる。友人がご朱印をいただく間、くらいのお話と思いきや、長いお話となった。この『金戒光明寺』の文殊菩薩像は、日本三文殊に数える人もいるという運慶作。だからこそ拝見したかったのだけど、現在修復中で博物館にいらっしゃるとのこと。お帰りは数年先だそうだ。

文殊菩薩の話は早々に終わり、お寺の歴史を話してくださる。『金戒光明寺』は浄土宗大本山。法然上人が比叡山での修行を終えてまずここに草庵を営み、そこから浄土宗が始まった。つまり南無阿弥陀仏の発祥の地。お話を伺えばそういうこと。だから墓地にお坊さんのお墓が多かったんだと友人が気付く。「帰りに三門の額をご覧なさい」と教えていただく。「浄土真宗最初門」と勅額があるそうだ。

文殊菩薩のこと、お寺の歴史など伺い、古い絵はがきセットを頂く。片づけをしているときに出てきた「何十年だか前」に作ったもの。「古びているけど写っているものは今となにも違っていない」。境内の木々が今見るよりも少ーし細く感じられるくらいの色あせた写真。

新しいお店ができてる。でも昨日まであったのは何のお店だっけ?という私のサイクルとは、別次元のお寺の時間。100年くらい前、荒っぽい青年が大挙して来たことも、その青年達がTVドラマに描かれてる、なんてことも今年は花が咲くのが早いねぇというのと変わらない出来事なんだろう。そうでなければ、衆生を救うなんて言ってられない。ただ一瞬の判断が正しかったかどうかで人の評価を決められない。釈迦の入滅後56億7千万年も経ってから観音が人々を救いにくるって、そうだよなぁ。ここ2,3年のことで評価しないで欲しいよなぁと納得できる。(56億年後には確実に人類は滅亡してるとは思うけどね。一人につき一度、56億7千万人を助けるという説もあり)

今日が御開帳と思って来たと知ると、お寺のかたは「それは悪かったねぇ」と。恐縮される様子に、そういえば、ご開帳のことが載ってたガイドブックは数あるなかにも一冊だけで、かなり前の版だった。電話ででも確認するべきだったなとこちらも不手際を申し訳なく思う。その一方、不揃いな石段と土壁の細い参道、脇には寄り道したい古道具屋さんとか、桜の時季も見事であろう境内、墓地で五劫思惟阿弥陀仏のような仏像に遭遇、もちろん尽きないお寺のお話など、迷って境内をうろうろしたこと、来て良かったと思うことがたくさんあり、プラスマイナスで言えば見られなくてプラス。文殊菩薩は修復中で見られないと言われていれば、もちろん『金戒光明寺』には来なかったと思うし、すぐにお寺に着いてさっさと文殊菩薩だけを見ていたとしたら、このお寺の清々しさを知ることができただろうか。

でも、もうちょっと観光客を意識して欲しいなぁと痛む足で転げ落ちそうになりながら(転げ落ちたほうがどれだけ楽か、と思いつつ)、御影堂を辞す。三門をくぐり、額を拝見し境内を出る。「絶景かな」の南禅寺三門に大きさでは及ばないものの、威厳を感じる。なぜだか「立派!」という言葉が浮かぶ。情景はスタンダードで、それゆえ時代劇などでも使われているらしい。


2005年2月18日

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