Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》2005鎌倉-長谷寺

vol.135


■2005年5月15日■
■鎌倉-長谷寺■



いざ鎌倉、ということで、初夏の鎌倉へ。季節を愛でるというより、紫陽花のシーズンになる前に行ってみようと思い立って。東京郊外から鎌倉というのは、電車の長旅はつらいし、クルマは論外だし、隣の神奈川県ではあるのにちょっと行きにくい処。でも運良く新宿から乗り換えなしの湘南ライナーが出ていて、1時間弱。

長谷寺は、仏教ミニテーマパークという感じだった。花々に囲まれ、崖に貼り付くような石段を遠足の子供にまみれながら登る。目玉というか名物(失礼!)は十一面観音像。天平様と思しき立像だが、古さが感じられない初々しい風情。ご本尊は阿弥陀仏で、こちらも金色が鮮やか。解説を読んでいると途中で由来が前後したり、復元された仏像なのかなどの細かいところがあやふやな書き方。これは、古さが見えないと有り難みを感じなかったり、明らかに偶像崇拝している私が間違っているのだけど、本物とは言わないのでは?とか、な〜んだかなぁと。

仏像好きの血が騒ぐのは、これらの仏さまよりも、薄暗くあまり整備されていない宝物館に収められ半ば朽ちたような「観音三十三応現身立像」。観音が三十三の姿に変身して現れるという(そのままだが)、その三十三体。塑像か木像かも瞬時にわからないような鑿痕の、色褪せ、欠損した仏さま達。奈良・興福寺の阿修羅像などに似た雰囲気を持っている。ただ、やはりその作風・時代性を意識して作られたのだろうなと感じる。自らではどうにも力を持てないような寂しさと置かれた環境がシンクロしてしてまう。三十三体それぞれがなんという名の像なのか、「わからない」というキャプションのみ。鳥頭人身で見分けやすい「迦楼羅像」など半分くらいはすぐにわかる。ちょっと調べれば何とかなりそうだが。絵巻ではなく三十三体の仏像(の数)が揃っているのは、珍しいと思う。宝物館には他に可愛らしい如意輪観音、三頭身の大黒天や厨子に収められるべきサイズの十一面観音などがある。出土した土器の破片、みたいな感じでガラスケースに入っている。きらびやかではない仏像はこのお寺では冷遇されているような気がする。

その他、長谷寺には仏足石ありガラゴロ回る経蔵あり、日本最大木魚に洞窟には弁天様とありとあらゆる仏教アイテムが揃っている。仏像マニアとしては突っ込みどころ満載だが、次はここ、あっちはまだ見てない、などとかなり時間をかけて楽しめるところだった。ということで、楽しめるのはいいのだが、極楽浄土を現したようなとは言いがたいテーマパーク仕様のお寺に対しては、どの仏像に向かって真摯に祈ればいいのか、問うてみたい気もする。仏像の古さ・新しさというのは、その「パワー」にはなんら関係のないことだと思うが、長い年月、何代もの人が祈り、守ってきたもののほうに、より敬意を持つのは当然のことだろう。言葉は悪いが、見栄えのいいキラキラの仏像を更に着飾らせて前面に出し、朽ちていたりする仏像をカビ臭い宝物館に展示する。宝物館には古びた十一面観音像もいた。こちらが本来、観音堂に置かれるべき仏像らしい。それが失われたわけではないのに初々しい十一面観音が真剣に手を合わせている人たちに対面している。この気持ちをどのようにお寺が見ているのか、ストレスを感じるところではあった。


2005年5月15日

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