Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》「空海と高野山」展

vol.119


「空海と高野山」展



2004年4月6日〜5月16日
東京・上野「東京国立博物館 平成館」

出ているものは、それぞれ素晴らしいもののはずなのに、どうしても素直に見て感動はおろか何か感覚にひっかかるということさえ起きない平成館。何度足を運んでも、最初の展示室で神経がささくれてしまう。先日の「南禅寺」も興味はすごくあったのに、「平成館」ということで躊躇しているうちに終わってしまった。

私が見たいのは密教仏像だけだし。そのものだけ集中して見れば、展示方法がどうのということは気にならないかもしれない。博物館に行くだけでどうしてこんなに溜め息つきながら行かなければならないのだろうと自分に飽きれつつ、「平成館」に入る。

運慶(工房)作の八大童子立像や快慶の孔雀明王像。不動明王もたくさんいる。これらが見たかった。表情の豊かさ、装飾性など際立っている傑作のはず。仏像好きとしては、はずせない仏像たちだ。ガラスケースに入らずに一列にステージに並ぶように展示されている八大童子。遠目には「きゃーっ」なんだけど、近付いてみるとやはり「平成館」だ。2段構えの台に乗り、遠い。しかもそれぞれが近く、正面しか見えない。仏像は見上げるものであると思う。それについてはいい。でも博物館で展示されている時は、側面や後ろ側も少しは見えるようにして欲しい。解説も仏像の名前と有名な仏師の名前を記すだけでなく、もうちょっと何とかならないものだろうか。阿弥陀仏などに比べ、異形である密教の仏像は「仏像」というカテゴリーにいれていいのかというような姿でもある。「これは仏像である」という前提なしに見て、何と思うだろうか。さらに、ただモノとして置かれているようで、敬虔な気持ちになど全く起こらない。当然、曼陀羅も展示されている。ここにいる仏像がどのような教えに基づくもので、後に展示されている曼陀羅のどの位置に描かれているか、そういうことを関連づけて見せるのが博物館ではないだろうか。

展覧会のタイトル通り「空海と高野山」というテーマだろう。空海と仏像ではないし、空海と書でもない。「高野山」は金剛峰寺という呼ばれ方をしない自然と一体になった「場」であり、それ自体が立体曼陀羅であり、空海の宇宙感だという。「高野山」という名前を挙げながら、なぜ平面的な展示しかできないのだろう。以前、「平成館」の展示について”スーパーの鮮魚コーナーのようだ”と書いたことがある。訂正:スーパーは、「買って!美味しいよ!便利だよ!買って!」という気持ちが並べ方の工夫に現れる。「平成館」には感じられないものだ。

もうここにいたくないと暗い気持ちになり、仏像だけを拾い見て、早々に「平成館」を出る。「平成館」には出口はなく本館を通って外に出るしかない。 ちゃんと順路に従って、本館に入ると、そこは仏像の展示室。本館と平成館って学芸員が対立してるのか?なんて思ってしまう。本館の仏像はホントに見やすく、本来のありがたみも感じさせる。ここでは、一体一体の仏像に手を合わせる人がいる。外国の人も何となく敬意を感じているような表情で見ている。「平成館」では指差して笑ってたよね、あなた。今、思い返すと本館の仏像にも「○○像」「何世紀頃」というようなキャプションくらいしかないものもあった。でも、「平成館」と明らかに違うのは、『仏像という何世紀にも亘って人々が手を合わせてきたものであり、ここは仮の住まいである。だが、その「力」をいま失っているわけではない。』ということが暗黙のうちに感じられるように置かれ、光が当たっている点だ。

散り初めた桜の花びらを浴びながら「法隆寺館」へ。まず、カフェでカプチーノを飲む。天気がよかったので外の席。すぐ足下で、雀が羽ばたいて散った花びらを舞い上がらせて遊んでいる。 何十回目かの第一展示室、第二展示室と見て歩く。2階には「夢違観音」と「聖徳太子像」が特別展示中。やっぱりここは違う。ガラスケースなし、私と視線が合う、わずかに上あたりに「夢違観音」の目がある。観音に当てられた照明はシルエットを白く浮かび上がらせ、黒い壁にもう一体の観音像をつくり出す。どの角度から見ても一つだけのシルエット。前に何人が立とうとも「夢違観音」に影ができることはない。警備員が目を光らせているけれども、横や斜め後ろ、すぐそばに立って見ることができる。展示室の中央に置かれた椅子に掛けて、じっくりと遠目に見るにもストレスのない空間。展示室全体は暗いけれど、見たいものを見るにはまったく障りのない照明が逆にそのものを際立たせる。

ひとしきり「夢違観音」を見た後、展示室を出るとエントランスのプールを見下ろす2階のガラス張りのベランダのような空間にでる。暗い展示室からはいきなりの明るさで、プールの波紋が映ったか、さざ波が起きているかのように細かく接いだ板の床が揺れるような感覚。端まで行くと水に飛び込めそうに近く見える。

2004年4月8日

WADA Map」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室