Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》2003京都-即成院

vol.115


■2003年12月9日■
■京都-泉涌寺「即成院」■



清水寺の御開帳しか頭になく、2泊3日の京都で他にどこを見るか上の空でしたが、出発間際に調べたガイドブックにあった1カットの写真から泉涌寺塔頭の「即成院」も訪ねることにしました。即成院は観光客を迎えると言うよりは近隣の檀家さんのためのお寺。普段の法事が優先で、観光客が突然たずねていっても拝観できるかどうかわかりません。朝、ホテルを出る前に連絡し、拝観可能かどうか尋ねると「内陣まで見ますか?」とのこと。「もちろん!」ということでバスを乗り継いで向かいます。

境内に一歩入った感じからして、ガイドブックに当たり前に載っている寺院とは違います。「観光モード」で浮ついて拝観してはいけないところだと直感させるような。境内になぜか狛犬がいて、その一頭は頭を低くして歯をむき出す威嚇ポーズ。いきなり狛犬に威嚇されました。拝観ではなく、ここでは参拝が正しいのでしょう。

案内を請い、中にあげていただきます。思っていたよりも大きなお堂です。磨き込まれ、多くの人の手が触れた堂内の様子に親戚の法事で訪れるお寺を思い出し、お寺の香りで深呼吸。

さて、拝見したかった仏像。定朝とその弟子の作、光々しい光背の阿弥陀如来坐像を真ん中に、黒い二十五菩薩坐像が両脇3列4段にずらりと並ぶという形。写真では、その大きさがわからず、もしかしたら御厨子に収められた小さなものかも?という懸念もありましたが、実際にはかなり大きなものでした。見上げる大きさの阿弥陀如来。周りの二十五菩薩は人とほぼ等身大。内陣に入ると、まず「平等院へは行かれましたか?」と。藤原時代の浄土信仰の代表「平等院」の阿弥陀様と同じ願いで作られたものでしょう。平等院では大きさに圧倒され、極楽浄土は夢の世界ですが、即成院ではもう少し身近なものに感じられます。等身大の二十五菩薩は手に手に楽器を持ち、その表情の優しさ大らかさは素晴らしい!浮ついてはいけないと肝に銘じつつ、「きゃー!」と言ってしまいそうになるほど。「ビッグバンドのライブだよ〜!」と思う私にはここが極楽。

二十五菩薩は藤原時代から江戸時代の作とばらつきがあるのですが、統一感があります。羅漢かと思うほどに活き活きしたお顔(思いっきり笑ってるもん!)で楽を奏でる様に、「この人達が迎えにきてくれたら私は喜んでついて行く」。平等院の堂内に舞う雲中供養菩薩も音楽を奏でていますが、阿弥陀様に比べて小さく遠く、菩薩というよりは飛天か化仏かと思ってしまう。即成院では優し気な阿弥陀様の周りに菩薩たちが笑い声とともに音楽を奏でながら「集合写真」みたいにきちんと並んでいます。ひとつ、空くはずの場所には如意輪観音がいて、「ひとつ空いちゃうんでね」ということですが、何と言うか、歌姫みたいでしっくりはまっています。

お寺のかたには「わざわざ関東から?!」訪れてぽかーんと見上げている=阿弥陀様と菩薩様に魅了されている私たちを嬉しく思ってくださったようで「ここから見るといい感じですよ」などと穏やかに接していただきました。仏像を見る時に、ついついフィギュアを見るような気分もあり、どこかで申し訳ない気持ちを抱きつつの「見仏」なのですが、即成院で阿弥陀様、菩薩様に対峙し、お寺のかたと檀家のかたと旅行者である自分の、それぞれの気持ちが視線は違っていてもどこかで交差し、その一点を信心と言っていいような気がしました。信仰はしていないけれど、寺院や仏像というものの存在と、それを作り守り続けた人たちへの尊敬ではあると確信できます。菩薩様に笑い飛ばして受け入れられたようで、このままの不謹慎な「見仏」であってもいいのかなぁと思いました。


2003年12月8日

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