Arts Calendar/Art's Report site/《WADA Map》コジカナツル0302

vol.100


コジカナツル



2003年2月21日
東京・高円寺JIROKICHI

小島良喜(Pf)
金澤英明(B)
鶴谷智生(Drs)


快勝したゲームのあとのハイタッチ。演奏後のハイタッチがそんな風に感じられる。目まぐるしく展開し、一瞬の判断で流れがすべて切り替わってしまうようなハイスピードの場面あり、布石の展開に驚くようなじっくりと攻める心理戦もあり。演奏中も合間にも言葉がほとんど出ないのも、そんなイメージを強くする。ライブの始まりとハーフタイム、ライブ後にひとこと。楽譜もおいてあるけれど見てる様子も感じられず。

観客もスポーツ観戦する気分でライブを楽しんでいるかもしれない。吸い込まれていくようなスピード感。オフェンスのプレイに目を(耳を)奪われているとディフェンスのぴりっとしたフィルインが得点チャンスをつくり出す。緻密に組み立てられているのか、それぞれの経験や感性で時に応じて展開していくのか、わからないけど、どちらにしてもプレーヤーの能力の高さがなければ、これほどまでに観客を引き込むことはできないだろう。
観客が味わうドキドキ感は、一流vs一流、トップクラスのゲームを楽しむのと同じ。展開が予想できないけど、ライブが始まってすぐに、絶対に楽しませてくれると確信。

スポーツにたとえて、荒々しいばかりのトリオと思われるかもしれないが、そんなことはない。ピアノ、ベース、ドラム、それぞれに華やかさやつややかさを荒事で包んでいるようだ。
小島さんのピアノに、私はまず白木蓮を連想する。高い気に咲く大きな白い花だ。ピアノの音の響きは硬質で、背の高い枝ものを。そこに咲くのは絶対に白い花でなければならないと思わせる気品と、また、あまやかな香り、愛嬌も漂っている。

金澤さんのベースは、この日は特に大きな音で聞こえていて、石をぶつけてごろごろとならすようなちょっとヘヴィな響きがある。だけどメロディを奏で、フレーズとなって聞こえてくるのは、柔らかくて頼りがいのある音で、大きな伽藍を支える太い柱とその礎石のようにも感じられる。長い時間、人の手に慈しまれ、つやつやと木目をさらに際立たせた丸い柱。トリオでの存在感とも近いように思う。

「コジカナツル」では、ピアノだけでなく、ベースやドラムもメロディを歌っている。3つの楽器で、対抗して別々のメロディを同時に演奏しているように感じる一瞬がある。そのアンサンブルの見事さ、新鮮さがライブに来てよかったという満足感を味合わせてくれる。それぞれのプレーヤーの存在が大きくてライブがものすごく濃密だ。

鶴谷さんの演奏には、ドラムにこんなにたくさんの音色があるんだっけ?といつも驚いてしまう。右手にマレット、左手にブラシだったり、スネアを素手でコンガのように叩いたかと思えば、エッジの効いたサイド・スティックが小気味良くきまる。様々なパスを繰り出し、得点を重ねるポイントガードといったところ。遊び心、アイデアをライブにぴったりとはめられる器用さに目と耳を奪われる。ものすごいライブスケジュールをこなしながらも、その演奏はいつもSurpraiseだ。どれだけのアイデアと感性が詰まっているんだろう。渾身のドラムソロにあっても、絶対に曲を殺したりはしないし、スタンドプレーでライブの流れを台無しにしたりもしない。

渡されるアンケートには「リクエスト」を書く欄がある。ライブで演奏されるのは、懐メロあり、サッチモあり、ディズニーナンバーだったりだけど、曲が始まってすぐに「あの曲!」と気付くものは少ない(私がわからないだけかもしれない)。元の曲の印象的な装飾は取り除かれ、素材だけが三人の手に委ねられる。カバーとかアレンジとか言ってる場合じゃないくらいに磨きこまれ、それがどうなるかはその時しだい。というと乱暴なようだが、こんなところから!と見つかった探しものが顔を出したような驚きと嬉しさもまた楽しい。

ライブハウスに入る前の段階から、演出されたコンサートも時にはいいかもしれないけど、「売る側」が提供するミュージシャンのスタイルや物語性が音楽性にすりかえられていることが多くて残念だ。逆にそれを否定するかのように無頼を装うミュージシャンもいて、聴きに行ってみて、演奏と別の部分の違和感に疲れてしまったりする。
「コジカナツル」は、余計なことは何も言わず、何もせず。時間になれば演奏が始まり、終わる。どんなに観客が拍手しようとアンコールの演奏がない時はない。全力投球で演奏して、ゲームセット、ノーサイドのホイッスルが鳴ったら延長戦なしの潔さがいい。


2003年2月21日

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