Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》09/11/20


岩村原太の「万国文化中心報告」vol.273

芦屋市立美術博物館●即興

 アンサンブルゾネとワークショップ生の群舞、岡登志子さん即興。ピアノ高瀬アキ氏とベース井野信義氏。白く丸いホールでの公演でした。照明は建物に付属するものとメタルハライド、高圧ナトリウムを各1灯。単純な上にも単純な、ただ点けて消す、という作業を繰り返す内容です。パフォーマンス全体の情報量としては、これぐらいが良いのではないか、と思って、やって見ました。

 そもそもの建物が情報量過多気味のバブル・デザインという難があって、空間を相手にするなら照明情報は無しでも成立するほど。ディテールが豊富というのか、シンプルではない、というのか、空間の細部の表情を消す必要がありました。今回わかったのは、建物のディテールはトップライトに対応していて、光源を床に置けば空間のボリュウムが容易に把握出来るということです。

 この発見が、パフォーマンス全体の情報を極力減らす発想へとつながりました。即興のダンス、はいずれにしても瞬間の発現ですから用意された情報は無しと考えても良い。音楽もアコーステックでしたので自然減衰する音色に流れを任せてしまえば新情報は殆んど無しにできる。幸い、ホール天井にはハロゲン光源(パーライト500wナロー)がぐるりと設置されていたので、これも使えます。

 与えられた空間に光を投ずることで何かを変えて見せる。それが照明作業の一つの使命であるはずですが、何を変えるのか、の議論は照明家個人の内部で処理される場合と、協働作業者でもあるプロダクション・メンバー間の集合論議を経る場合と、いくつかそのプロセスにバリエーションがあるように思われます。その際に、目の頼り、つまり、目で見てわかることばかりを意識するのでは論が広がらず深まらない。

 反省を踏まえて、改めて「体験」という言葉を大切にしなければなるまい、と考え始めています。目で見る以上の出来事がその場にある、耳で聞く以上の出来事がその場にある。観覧する立場としては「記憶」や「印象」などの不確かで個人的な出来事が去来する中、現在進行形のパフォーマンスを「体験」するわけで、経験値の豊富な出演者が上演する演目に滋味多い作品が珍しくないのもそれ故、と思えます。

 視覚・聴覚情報を厳選したからといって、あるいは厳選すればするだけ、鑑賞者個人の内的情報が溢れてきて、上演結果に独創性が減じてしまう可能性もある、ということです。技術演出レベルで言えば、厳選の手法は、それだけでは作品の成立を保証しないということでしょうか。情報を切って捨てるやり方、その切り口の鮮やかさや捨て加減の見事さが、同時に求められつつ構成される必要があるのでしょう。

 エッジを立てる、というデザインの謂いを思い出します。シンプルであればこそ、その断面の新鮮さが際立つ。目新しいということではなく、対象の内包する生命感や充実感がこぼれてくるようなプレゼンテーションを実現できると良いのですが。素材をどう料理するか、その発想が不足している自分自身の未熟が課題になりますね、いまさら「未熟」なぞと言ってて良いのかどうかはともかく。

(2009/11/20)


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