Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》09/11/10


岩村原太の「万国文化中心報告」vol.272

山海塾●卵熱

 北九州芸術劇場中ホール。山海塾1986年作品「卵熱」、いわきアリオスに引き続いての再演会場です。劇場に求められる(と云われている)非日常性に完璧に応えたロビー・ホワイエの完成度、演劇やダンスの上演会場が(極論すれば)ブラックボックスで構わないとの乱暴な劇場論も黙らせる静粛な客席空間、ここに20年を超えた作品生命を誇る「卵熱」を飾るには、それなりの覚悟が必要です。

 作品内容は普遍的なモティーフであるが故に、ストーリーを追って眺めていたとしても、情緒的な動揺が必ず会場を覆いつくしてしまうので、できればディテールを研ぎ上げ、収まりを磨き上げて上演を進めなければならない、叶うならば繊細に、そうでなければ大胆に骨太に、作品のフレームを鮮やかに切り取ってみせる手腕を切れ味良く繰り出すことが常からの課題となる訳ですが、それは普通の劇場でのこと。

 この会場は繊細にも骨太にも対応するスーパーな雰囲気を持つだけに、とことん綺麗に造り上げるにせよ、ざっくりはっきり構造を示すにせよ、そればかりでは飽きが来てしまう恐れがあるように思うのですね。山海塾作品の最近の傾向としては演出や舞踊の変化が作中・景中に巧みに仕込まれてあるので、照明はそれらを限りなく丁寧に当てて見せれば良いのですが、「卵熱」はこちらから創って掛からないと駄目。

   それだけにやりがいのある作業なので、自身が若干25歳で山海塾に加わり、当初の3ヶ月をこの作品で北米に廻った折、今から思えば大層な苦労をしたのだろうと思います。自分の記憶に殆んど残っていない上、往時の同行者も黙して語らぬわけですから、酷いことが続いたんだろうと思うばかり。劇場にある種の趣があって、作品が劇場と拮抗する形になれば、雑な照明でも面白く仕上がった感覚がその全てです。

   北九州芸術劇場中ホールの難しさはここにあります。劇場があまりにその存在を消してしまうので、作品の拮抗する対象が見失われ、観客にとってそれは、作品と踊り手であったり、作品と舞台装置であったり、作品と照明であったり音楽であったり、ということになりかねない。時折、作品のパワーが空回りする旧作再演、という上演を見ることがありますが、この「卵熱」、まさにそのパワーある旧作なのです。

   公演が終わっているのでその成果を踏まえて反省すると、今度ばかりは照明完敗でございました。すべからく丁寧に仕上げる、との姿勢が劇場の雰囲気に呑まれ、必要な暗さを按配できなかったこと、慎重に照明変化を創るという進行は振付の力に(文字通り)振り回されて息も絶え絶えに追っていくことになってしまった、作品の芯の重み、その重みに光が届かなかった憾みが後味となって会場に漂う終演でした。

   時代の変化(それは劇場設備や観客の嗜好や、上演を求められる状況の変化などさまざま)に、照明デザインが後れを取っているのか、照明オペレーションが間に合わずに居るのか、現代の劇場でひとつの作品を繰り返し再演し続けることの真実の困難を、感覚的にではなく意識的に、技術的にではなく創造的に、乗り越える自覚がなければ40代も半ばの照明家としては自滅するに違いありません。

   いわきアリオスで出来たと思っていたことも、こうなって見ると怪しい限りです。 山海塾を好きでご覧になっている皆さん、初めて観にこられた方、出来ればどんな方にも好きになっていただければと願うものですが、本当にその実現は難しいです。

(2009/11/10)


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