Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》08/9/21


岩村原太の「万国文化中心報告」vol.241

オペラって●夢を見る仕掛けなのかも

 オペラの空気、一概には申し上げられませんが、今度の一連の上演の中で、人見記念講堂での終演後には、夢を見た(見ている)気分が全体に漂う、独特の高揚感がそこにあったと思います。そういえば、オペラを創る人たちは(殊に日本では)皆どこか夢見心地で、その、このある種の酩酊感を常に身に帯びている気もします。

 自分の為の宇宙がここにあって、その景色にはいつも調和があり、静かに満ちている光は美しく、いよいよ音楽が始まると俄然その景色は迫力を増し、自分の座席から覗いていた宇宙の活動が始まる、そうした気分が盛り上がる。宇宙は夢を見る。自分という星の一生、あるいはその星に住むものの誕生と死、その何倍にも大きな世界。

 全世界は歌い、泣き、笑い、全天は輝き、暗くなり、色が変わり、太陽も月も、幾つも幾つも巡って来て、それぞれに真実があり、それぞれに豊かさがあり、その景色の優美さ雄大さには飽くことが無く、やがて満天の星空の向こうにさらに宇宙が広がっていることを、その宇宙もまた、初めて見えてきた新しい驚きに満ちている。

 夢は自身の中にしか無く、現場での共有が出来ないものだけに、どれだけ事前に様々な夢を自分が思い描きあるいは実現し、何度も何度でも繰り返して味わってきたかが、オペラ的な教養のベースを創る勉強(経験)を計るのだと思いました。歌舞伎や日舞、能狂言、バレエ、全てそうかもしれませんが、何か夢の「強度」が違う。

 オペラの「夢」は、夢見ることを信念として、夢を見るために夢を作り続ける努力が無ければ決して得ることの出来ない種類の、特には他人の夢を盗んででも自分の夢を充実させるような意地が無ければ、あるいは人間としての底力が無ければ、すぐに沈んでしまう風船のような形をしている。
誰よりも強く夢を見ること、それが、オペラを鑑賞するということだし、オペラを創るということなんだろうし、オペラに感動するということなのかもしれません。夢を共有するというより、夢に共振しているという状況が、客席を含めた全劇場にあまねく満ちる。テノールやソプラノの人間としての限界を超えようとする歌声が、その夢をさらに悲愴に、甘美に彩る。

 レパートリーとしてオペラ・アリアを扱っていなくても、室内楽や交響楽の演奏会に時にそんなロマンティックな気分がはじけるのは、その場でクラシック演奏家や愛好家の皆が一時の夢を共有し、それに自分が共振していたからなんだなぁと、少し、いろいろのことを思い返したりしました。深宇宙の開拓、それこそが音楽ですね。

 昭和女子大学人見記念講堂は70年代市民会館建設ブームの頃の基本設計を基に、必要なものだけを選び出し装置してある構えになっています。
客席観は雄大で舞台に立つ自分を大きく感じます。空間容積の割りに座席数は多くなく、舞台の高さも100cmを越えるのが理由だと思いますが、西洋音楽の上演には良い環境です。

(2008/9/21)


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